パン・ド・カンパーニュの部屋

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秩父夜祭

2006-12-04 18:13:09 | Weblog
昨日は秩父夜祭。
昨年は土曜日が3日で、仕事が終わってすぐに駆けつけ、夜祭を堪能して来ましたが、今年は日曜日が3日になったので、おととい秩父の実家に帰り、昨日の午前中お祭りを見て、お昼過ぎに家に帰ってきました。

で、今回は「秩父昼祭」の報告です。

写真は秩父神社に詣でた「本町屋台」です。



秩父夜祭とは、秩父神社の例大祭で、昔は霜月3日に行われていました(今年にあわせると12月22日にあたります)。秩父は、昔は織物の産地で有名でした。普通は秋の収穫祭でもっと前にを行うのでしょうが、このような晩秋、初冬にお祭りを行うのは珍しいと思います。秋は一年最後のお蚕の時期にあたります。この秋蚕(あきご)を終えての感謝のお祭りが「秩父夜祭」なのです。民謡「秩父音頭」にも、「秋蚕仕舞うて、秩父夜祭待つばかり」とあります。だから、こんな時期にお祭りを行うようになったとか。

秩父の町の人間にとって、お祭りとは、この夜祭を指します。もの心ついた頃から、みんなお祭りを楽しみにしています。昔、祭囃子(秩父では屋台囃しといいます)の練習が始まると、夜、勉強をしていても上の空。この時期、期末試験の直前で、毎年、2学期の期末テストの成績はがくんと落ちてしまっって、今でも母親にちくちくとその頃のことを言われます。

もっと前の私の小さい頃の思い出は、父親にタコの風船を買ってもらって、すぐに手を離して飛んでいってしまったこと。欲しくて欲しくて、やっとねだって買ってもらったのにです。今でもその悔しさと言ったら忘れられません。家に帰っても、一人で飛んでいった風船を探しに行ったことを覚えています。今でも風船を売っているか、出店(秩父では露店のことをそう呼びます)を探しましたが、見つけられませんでした。今はもう人気がないのでしょうか。

あとはお面を買ってもらったことでしょうか。鉄人28号です。幼稚園の頃、鉄人28号が人気でした。
今日は2軒ほどお面屋さんを見つけました。こちらはまだ健在でした。



まずは秩父鉄道、お花畑駅前を通り、狭い番場通りから秩父神社へ。

お花畑駅隣の踏切。ここを屋台が通り、その先の団子坂を登り、秩父公園のお旅所へ向かいます。踏切では、屋台が通るたびに、架線をはずします。



狭い番場通り。昔はここを通って、屋台がお旅所まで行っていました。



秩父神社には屋台が詣でていました。このアップ写真が冒頭の本町屋台の後姿です。



秩父神社の建物は、遠く武田信玄にの焼き討ちにあい焼けてしまって、今の建物は徳川家康の寄進により立てられたものとか。

日光東照宮ゆかりの彫刻師「左甚五郎」作と言われる龍。



秩父神社のお参りを済ませて、旧140号の大通りを通り実家に戻る。
途中、中近の笠鉾を抜く。(今は電線があるので、笠鉾は飾らないで、屋台形式で練り歩く)



秩父の屋台(山車)は漆塗りの豪華なものです。江戸時代、絹織物の産地で有名だったので、豪商たちがお金を出し合って豪華な屋台を作ったと言われています。

実家を出てから30年、もう生まれ故郷で育った年数よりもはるかに長い年数を外で暮らしていますが、お祭りを見に実家に帰るのは、また格別の思いがあります。両親もいまだ健在で、元気に暮らしており、親不孝な息子の帰りを心待ちにしてくれています。来年は2日が日曜日。この日に帰るとしましょう。