パン・ド・カンパーニュの部屋

自分で作ったおいしいものを中心においしい話を!

防災訓練

2005-08-28 21:03:42 | 自然
今日は、私の住んでいる市の、防災訓練が行われました。
毎年、8月の最終日曜日に開催されます。
仕事の関係の団体の一員として、ここ5年くらい参加しています。いくつか自分も体験コーナーで体験してきました。
これは、救護コーナーでの怪我人につけるトリアージタグ。救急の場合の優先順位が一目でわかるようになっています。一番下の緑は軽症、下から2番目の黄色は、多少治療の時間が遅れても命に危険はないもの、3番目の赤が最優先で処置が必要な患者、ただし、救命可能なもの。一番上の黒は、すでに死亡している人、あるいは処置を行っても救命が不可能な人となっています。これを症状ごとに、ミシン目が入っていて、ちぎって順位を示します。黒や赤にはなりたくないですね。



これは起震車。地震の揺れを体験できるようになっています。震度6では立っていることはもちろん、しゃがみこんでいても、飛ばされないように何かにつかまっていないといられません。怖かったです。



自衛隊の炊き出し訓練。カレーライスを作って食べさせてくれました。おいしかったです。私の市の担当は、埼玉の朝霞にある陸上自衛隊です。わざわざ来てくれました。いざとなったら、頼りになりますね。



これは放水体験。やってみましたが、二人がかりでないとできません。一人でもなんとかホースはもてましたが、重くてすぐに疲れそうです。



訓練最後の放水訓練。はではでしさから訓練の花形。今年からわが市の消防署に最新鋭のポンプ車が導入されたとか。高い建物の火災でも下から水が届くのでしょう。



このごろ、大きな地震が各地で発生しています。日ごろから、備えあれば憂いなし、という格言にのっとり、本気で家の中の防災を考えなければいけないと思いました。とりあえず、家具の転倒防止でしょうか。地震で命を落とす原因の8割が、家具の下敷きになってだそうです。わかっていて、むやみにこの原因で命は落としたくありませんものね。
みなさん、お気をつけください。

秋山、決定!

2005-08-25 20:43:45 | 山登り



ここ何年か、9月、10月の連休を利用して、紅葉が目当てではないのですが、秋のアルプスに出かけています。
今年の予定も決まりました。北アルプスの剣岳です。一般道では日本で最も険しいとされている山。覚悟を決めて登ってきます。
そうそう、連れは、またあのよねやん。またまた、おかしい登山記が書けるかも。
ご期待ください。(写真は剣岳、おととしの秋、種池~針ノ木縦走の際、撮ったものです)

9月22日(木)新宿23:54発、夜行のムーンライト信州に乗車。
翌23日(金)5:08信濃大町着。その先は、黒部・立山アルペンルート。まずはバスで、扇沢まで。そのあとは、トロリーバス、ケーブルカーを乗り継ぎ、室堂まで。
立山の山を縦走し、1日目は剣岳直下の剣山荘に宿泊。
2日目は早朝、水とカメラだけをサブザックに詰めて剣岳を目指す。カニのタテバイを通過し山頂へ。そして、同じルートで、カニのヨコバイを通り、剣山荘へ戻る。そして、一目散に室堂へ引き返し、富山方面へ。富山へ行く途中で1泊。ゆっくり温泉にでも入って疲れを癒す。
3日目は北陸本線と上越新幹線を乗り継ぎ、帰京。

また、山仲間とどんな出会いが待っているか、楽しみです。

裏磐梯旅行記

2005-08-19 22:10:44 | 自然
お盆休みを利用して、家族で裏磐梯のほうへ旅行に行ってきました。家族といっても、妻と上の娘との3人です。高2の下の娘は家族旅行なんて行きたくないと言ったので、あえて娘の部活の合宿日程に合わせて休みを取りました。
上の娘は8月2日に車の免許を取ったばかり。なるべくこの機会に運転をさせて、慣らさせてやりたいと思います。

8月12日(金)は午前6時45分に自宅を出発。本当は6時頃には出発したかったのですが、家族でお出かけのときは、なかなか希望どおりにはなりません。

中央道の国立府中ICから高速へ。交通情報では、もう帰省ラッシュが始まっている様子で、東北道も渋滞の予想。急遽、経路を常磐道に変更、首都高経由で三郷まで、そこから常磐道へ。途中、中央道は三鷹付近でいつもどおりの渋滞、首都高も通常の混雑。まあまあの時間で常磐道にのれたのでひと安心。

SAで一休み。娘と運転を交代。何しろ、まだ、免許を取ってから車に乗るのは2回目。1回目は家の近くの道で、それも細い道ときたものだから、曲がり角を大回りしそうになって、対向車も来てしまって立ち往生。同乗の妻が半狂乱になって運転を替わったとか。むしろ、高速道路のほうが走りやすそうなので、運転させることにしました。本線に合流する前の加速車線で、最低でも80キロには加速させて合流するように注意する。なんとか本線に乗れた。ひと安心。あとは左車線をゆっくりでも、前の車についていけばよい。30分もしたら会話が出来るくらいまで落ち着く。ときどき、前にのろい車があり、追い越し方を教える。まあまあ。

2時間くらいで、いわきの手前まで来たので、PAで休憩。いわきからは磐越道へ。郡山までの間、片側1車線の対面交通の場所があるので、私が運転する。郡山を過ぎたところで、また休憩。娘と運転を替わる。だんだん慣れてきた。少し余裕も出てきた。

会津若松で高速を降り、一般道へ。これから喜多方へ向かう。娘がラーメンの食べ歩きに凝っているので、ぜひ行きたいのだと。喜多方の手前で、いきなり左からおまわりさんが旗を持って飛び出てきた。一瞬ドキッとしたが、こちらは免許取り立てで、そんなスピードなんか出していないのは明白。うちの車は見逃し、後ろの車を捕まえた。えっ、なんだろう。シートベルトかな?
で、なんとか喜多方市内へ。町の中は歩道もなく観光客がうろうろ。娘は運転を怖がってきたので、赤信号で交代。すぐに駐車場へ。1時間100円とのこと、安い。到着時間は午後1時30分。

馬車が町の中を進む。



お目当てのラーメン屋は「源来軒」、なにやら喜多方ラーメン発祥の店とか。



お店まで来ると、行列ができている。20人くらい。相当待たされそうだが、しょうがない。



ところが、すぐにお店の人が出てきて、2階へどうぞと言われる。1階は4人がけのテーブルが10個、2階は8~10人くらい座れそうな円卓が6個くらい。しめて、100人くらい座れそう。これなら、けっこう並んでいても大丈夫か。
普通のラーメンと餃子を頼む。20分待って出てきた餃子はジャンボ餃子。これが5個で550円。ラーメンはというと、チャーシュー、メンマ、なるとのトッピングで、味は煮干のだしがよくきいていておいしい、素朴な味。これも550円。満足の喜多方ラーメン。

食べ終わった足で、お店の回りを少しだけ散策。古いお店が目に付く。

これは下駄屋さん。会津は桐下駄の産地とか。



これは熱帯魚屋さん。ネーミングがいかにも地方らしく、おもしろい。



娘が造り酒屋で利き酒をしたいとかで、会津の華という蔵元へ行く。
喜多方は蔵作りでも有名。



初めに酒蔵を案内してもらう。夏でもひんやりしていて気持ちがいい。そのあと、いくつかお酒を飲ましてもらう。私は運転があるので、我慢。
2本ほどお土産のお酒を買って外に出る。そうしたらポツリポツリ雨が降ってきた。急いで駐車場に引き返す。
万事休す。ぬれないですんだ。

これから、一路裏磐梯へ。五色沼に近い桧原湖畔の剣が峰のペンション「マーベリック」が今晩の宿泊先。1時間もしないで、到着。

これは、ペンションの近くのセブンイレブン。看板が地味だと思いませんか。カメラの写りが悪いのではありません。車の色、シャツの色と比べてみてください。
この地域は、こうした看板や、屋根、外壁などの色に気をつけている場所なのです。



とりあえず、雨も上がっている。荷物を置いて、夕飯まで出かける。五色沼を歩こうと思い、駐車場まで行ったら、急に雨が降ってきた。とりあえず、ビジターセンターで雨宿り。なかなかやまないので、温泉に行くことになった。ペンションに戻り、オーナーに相談したら、猫魔ホテルが立ち寄り温泉をやっていて、一応温泉だというので、そこに行くことにする。車でほんの2,3分。立派なホテルだ。料金表を見ると、この季節で2万円とか。浴場は広くてきれい。私は烏の行水なので、10分くらいで外に出てしまった。ロビーで1時間くらい、娘と妻を待つ。やっと出てきた。聞くと温泉は小さい浴槽で、茶色をしていたとか。なんだ、自分は水が入っているのかと思い、入らなかった。それに露天風呂もどこにあるかわからなかったので、入らずじまい。つまらない人だ。

これは、レトロなボンネットバス、森の熊さん号。



ペンションに帰り、犬に餌をやり、お散歩。車の中に入れ、朝までぐっすりおやすみなさい。
7時半よりやっと夕食。お客さんは全部で7組。男同士のグループが多い。ここは釣りをやる人が多く泊まるところみたいだ。赤身の馬刺しもある。なかなか上物だ。そしてメインは牛フィレ肉のステーキ。ここの名物だそうな。おいしかった。これはこれで満足。



朝は8時に朝食とか。おやすみなさい。


明けて、2日目。天気は曇り。夜中に雨の音で目が覚めるが、今のところやんでいる。このままでもって欲しいと祈る。6時に目が醒め、まずは犬の散歩。外の道に行くと、けっこう犬の散歩に出くわす。場所が場所だけに、みんな連れてくるのだ。犬の散歩から帰ると、妻が外に出る支度をして待っている。朝飯前にちょっとトレッキングに行くことにする。

近くの中瀬沼とレンゲ沼付近を歩く。道は整備されていて歩きやすい。ところどころ木道になっていてさらに歩きやすい。この裏磐梯というところは、明治28年の7月15日に磐梯山が大噴火をした際に、川が堰き止められ、大小無数の湖沼群を形成した場所なので、ちょっと歩くと無名の湿地帯に遭遇するような場所。有名なところは探勝路となっていて道が整備されている。
軽く1時間ほど歩き、ペンションに帰り、朝食。

9時過ぎチェックアウト。その際、冬のスノーシューのトレッキングやわかさぎ釣りの話を聞く。今度は冬に来たいなあ。

ペンションから桧原湖畔まで車で5分くらい。
ええっ、何、湖にガスがかかって、対岸すら見えない。なにやら不気味。ネッシーみたいなのがでてきそう。こんな感じなのかなあとがっかり。

カヌーの半日コースは9:30集合。桧原湖畔のBACCSというお店が主催する。インストラクターが一人ついて案内をしてくれる。ダッチオーブンの昼食がついて、一人4000円。一日でもそんなに値段は変わらない。

説明を聞いて、お店から出ると、おおっ、またまた槍ヶ岳の夕焼け空のような奇跡が待っていました。さっきまでガスが出ていた湖に、ガス一つかかっていなくて、対岸まで見渡せるようになっていたんです。これを奇跡と言わず、なんと言う。



犬も、おとなしければカヌーに乗せてくれるとのこと。人間と同じにライフジャケットを着せる。なにやら得意そうな顔をしている、うちの犬のチャッピー。



まずは、浜辺でオールを持って漕ぎ方の講習。それが終わって、すぐに実践。私と娘と真ん中に犬。妻とインストラクターのコンビ。あと、若い二人連れの男性。まずは、岸辺で慣れる。それが終わって、真ん中の島まで一気に漕ぎ出す。なかなかおもしろい。今度は対岸へ、そのまま岸辺沿いに進む。そしてまた対岸へ。キャンプ場に上陸し、トイレ休憩。このキャンプ場は、陸からの道はなく、船でないと来られないとか。東京から来たというボーイスカウトの集団がいる。みんなで魚釣りやカヌーに乗ったりして遊んでいる。一休みして、最初の場所まで戻ってお終い。おもしろかった。
カヌーが終わって、近くのキャンプ場のお風呂で汗を流す。湯船につかると、こんなに体が冷えていたのかというくらい温かくて気持ちがよい。食事ができるまで、しばらく散策路を歩く。

いよいよ、食事開始。ダッチオーブンで焼いた鳥の骨付きもも肉と丸ごとジャガイモ。



こんな単純な料理だが、鳥がぱりっと焼けていて、おいしい。今度はダッチオーブンの料理を極めたいなと思ってしまう。
食事を終えたとたんに雨がざあざあ降ってきた。運がいい。雨なので、湖畔のトレッキングはやめにして、娘と妻は美術館へ。私は磐梯山噴火記念館へ。3時の待ち合わせなのに、またまた遅れてきた。ソフトクリームを食べ、今日の宿へ直行。

プチホテル「星の雫」。若いご夫婦だけでやっているこじんまりとした宿。部屋数は6室しかない。だから、とっても目が行き届いている。右側が展望の利く食堂。客室も、すべて窓から磐梯山の眺めが得られる。



荷物を置いて、給油しがてら、桧原湖を1周する。約1時間。裏のほうの道は、ロードレースの練習場になっており、車の運転手宛に、注意するよう看板がところどころ立っている。宿に戻って、お風呂に入る。シャワーが3つあるくらいの、中くらいの浴槽のお風呂場。これと同じタイプのお風呂がもう一つある。貸切にでき、入り口に鍵がかかるようになっている。

6時から夕食。地の食材をつかった素朴なお料理だが、こだわりの食材を用いていて、おいしい。それでもってなかなかのボリューム。あと、たらの芽ややまぶどうのつるの天婦羅、奥様が作ったトマトのスープ。どれも素材の味が生きていて、おいしい。



ワインは特別のルートで取っているというテーブルワイン。だが、同じワインがラベルを換えて高い値段で売られているという。だからお値打ち品。今回はきりっと冷やした白ワインを注文したが、なかなかおいしい。セミヨンとソービニヨンブランのブレンドか。

食事後、妻と娘は別室でマッサージを頼んでやってもらう。翌日聞いたら、27歳の若い中国人の奥さんだったとか。ええっ、そんならやってもらうんだったな。そういうところのマッサージ師なんて、中年のおばさんをイメージしていたので、気にも留めていなかった。でも、パンさん、大のくすぐったがり屋なので、マッサージの類は受けつけません。だから、高嶺の花なんです。
今日はカヌーで疲れたので、ぐっすり。


明けて3日目。空は曇り空。今日は帰るだけだからこんな感じでもいいかな。
まずは、犬の散歩。宿の周りを30分くらい。道路の脇にこんなものが普通に見られる。

やまぶどう。



こんな季節に蕨。



宿の前の小道を入ると、高台に行き着き、桧原湖を望む。あとで聞くと、ここは展望の丘というのだとか。木々の葉っぱが散ると、木の間からの風景がすばらしいという。ぜひその頃来てみたいものだ。さらに、その隣の道を行くと、こんな風景。名も知れぬ沼。



こんな風景はこの辺では珍しくはない。宿に帰ると、妻が支度をして待っている。また、朝飯前のトレッキング。

宿から車で3分くらいの野鳥の森探索路に行く。初めは木道やチップを敷き詰めた道が続く。途中から道が細くなり、山道に。

ここから先がおもしろそうだが、時間がないので引き返す。また来たいな。

熊の生活圏に侵入。熊が人間の生活圏に入り込むのではない、人間が熊様の生活圏にお邪魔させてもらうのだ。



宿に帰って朝食。フランスから冷凍で輸入したという穀物入りのパン、硬く噛み応えがあるがおいしい。

宿をチェックアウトして、すぐ近くの道の駅でお土産を買い込む。喜多方ラーメンや会津産のサイダーなど。

これから、磐梯吾妻スカイラインの近くの、岳温泉宝龍荘に下の娘を迎えに行く。10日からここに、バトミントンの部活の合宿で今日まで滞在していた。またまた上の娘に運転させる。山道なので左側の側講に脱輪させないか冷や冷や。1時間くらいで到着。

娘に付き添っていっしょに待っていてくれた、大学生の先輩を二本松の駅まで送っていく。東北大学の歯学部1年生、優秀な女の子。さすが、はきはきしていてしっかりしている。仙台の下宿先に帰るのだという。二本松で別れて、こちらは東北道へ。途中、上の娘が白河ラーメンを食べて行きたいというので、白河で下りる。道は白河の町をはずれ、ぐんぐん郊外へ。こんなところにラーメン屋があるのかというような場所。



カーナビがなければ行けないかもしれない。便利です、カーナビって。やっと到着。1時10分。白河ラーメン「とら食堂」。お店の前は長蛇の列、駐車場もいっぱい。なんとか1台のスペースを見つけ、駐車。エンジンをかけたまま、エアコンをつけっぱなしにして犬を車の中に残していく。列の一番最後に並ぶ。聞けば列の一番前の人は1時間30分待っているとか。覚悟を決める。家族そろってラーメンを食べるなんて、普段はないことなので、こんなときしか経験できない貴重な体験。こんなときに限って容赦なく降り注ぐ太陽。みんなで日傘を差して、外で待つ。後ろの家族連れのお父さん曰く、おいしいかどうかより、話の種に並んで食べるんだそうな。まったく同感。やっぱり1時間30分並んでで、やっとお店の中に入ることができた(2:40)。で、ラーメンを注文して待つこと25分(3:05)。やっと念願のラーメンが。半熟煮卵を別に注文。1個100円。娘たちは手打ちラーメン(普通のラーメンのこと)660円だったかな。私と妻はワンタンメン760円(だったかな)。透明なすっきりしたスープでおいしい。妻はこの間食べた喜多方ラーメンのほうがおいしかったというが、どちらもそれなりにおいしかったです。

近くの農産物直売場で桃(福島は桃が名産)やらお米などを買い、帰路に着く。
東北道に乗り、いよいよ渋滞にはまってしまった。もう、帰省帰りの渋滞が始まったらしい。途中のPAで娘と運転を交代。渋滞の部分を運転させる。こんな状況なら免許取立ての娘でも十分役に立つ。なんとか川口まで来る。カーナビにはPAがあると出ていたので、そこで娘と運転を交代する予定であったが、PAわからない。ああ、そのまま首都高に乗ってしまった。こうなれば、運を天に任せ、娘に運転させるしかない。都心に近づいたら狭いPAがあったので駐車させ、運転を替る。ああ、怖かった。さて、中央道にのり、無事に家に到着。皆さんお疲れ様。来年の夏は、どこに行きましょうかね。
お楽しみに。

名物ラーメン 二題

2005-08-17 16:22:39 | おいしいもの
今回、お盆の休暇を裏磐梯で過ごしました。
その旅行記は現在執筆中で、完成までもう数日かかりそうです。
その前に、今回食べたラーメンをのせますので、しばらくの間、これでお楽しみください。

旅行第一日目:喜多方ラーメン 源来軒(元祖喜多方ラーメン)



旅行第3日目:白河ラーメン とら食堂(元祖?白河ラーメン)



この二つを知っている方は、かなりのラーメン通ですね。
上の娘に教わりました。

詳細は旅行記にて。

槍ヶ岳登頂記(3日目)

2005-08-11 11:31:44 | 山登り
昨晩は、なかなか寝付けなかった。そして、寝ていても何回も目が覚める。興奮しているのだろうか。
4時過ぎに山小屋の発電機のエンジンが動き出した音で目が覚める。まだ暗い。顔を洗いに洗面所に行く。冷たい水だ。下の槍沢の源頭部からポンプで水を上げているのだという。
4時半過ぎ、外に出てみる。東の空が明るい。今のこの時期、日の出は午前5時少し前。太陽の方向に雲はあるが問題ないだろう。まわりがだんだん明るくなり、景色もはっきりしてくる。いよいよ太陽が、雲の上から出る。常念と大天井の間から太陽が出た。



それとともに、山々が赤く輝きだす。これを、モルゲンロートに山が染まると表現する。一日のうち、日の出後、何分かの出来事。この時間を逃すと、もう見られない一瞬の自然の芸術。
槍ヶ岳が赤く染まっている。



写真を場所を変えて撮る。あっ、5時を過ぎた。朝食が始まっている。食堂に行くと、みんな席について食事をしている。ごめんなさい、遅くなって。



食事を終え、身支度をして外に出る。これからよねやんの儀式が始まる。よねやんの山での唯一の楽しみは、若い女性とのツーショット写真。昨日、ここの小屋で知り合った、大阪のFさんがお目当て。昨日のうちに撮影の承諾をもらっていたみたいだ。槍の見える高台で記念撮影。小屋の人に頼んでシャッターを押してもらう。
まずは、よねやんとFさんのツーショット。よかったね、よねやん。そして私を入れて3人で撮ってもらう。

無事に撮影が終わり、大阪のFさんを槍ヶ岳へ送り出す。気をつけて。聞けば、槍ヶ岳に登ったあと、飛騨側に急下降、槍平小屋経由で新穂高温泉まで行き、今日中に帰阪するとのこと。がんばるなあ。

あっ、そういえば我々の槍ヶ岳をバックの写真がないことに気がつき、急遽、お互いに写真を撮りあう。よかった、気がついて。
ほほ、パンさんの小サービス。 いよいよベールを脱ぐ、前姿登場!
えっ、よくわからない? そこがいいところなんですよ。



さて、いよいよ下り開始。5時50分。ここから槍沢まで一気に急下降する。急ではあるが、まあ、普通の道。これなら安心。途中、高山植物も咲いているが、こちら側は数が少ない。



道標のところで槍ヶ岳をバックに写真撮影。ここが、近くから槍を見る最後の地点か。槍ヶ岳の見納め。



さて、出発。途中、雪渓を何箇所か歩く。シャーベット状になっていて、歩きやすい。がちがちに凍っていたらアイゼンが必要だが、今の季節、こんな感じなので、登山靴で十分。雪渓で、また写真撮影。他の人にも頼まれ、シャッターを押してあげる。



雪渓をあとにして、いよいよ、槍沢沿いの樹林帯に入る。日陰の心地よさを何日かぶりに体験。ほっとする。ゆるい下り坂が続くが、時折、平坦な道にもなる。ババ平のキャンプ地を通過。コンクリートの箱みたいな小さい物置のような建造物が目に付いた。見ると、鉄の扉がある。なんだろうと思いあけようとしたが、開かない、鍵が閉まっているようだ。昔はここに寝泊りしたのだろうか。

程なく槍沢ロッヂに到着。先ほど雪渓のところで、写真を撮ってあげた黄色いシャツを着たおじさんが休んでいる。
そばには若いご夫婦がいて、いっしょに、楽しそうに会話をしている。前を通り、軽く挨拶をして、トイレに行く。チップ制なので、料金箱に100円を入れる。

黄色いシャツのおじさんに、お先にと声をかけ、出発。だんだん、沢が川らしくなり、その脇を上高地への道が続く。1時間15分で横尾に到着。10時45分。

お腹がすいたよー。
聞くとラーメンができるというので頼みに行くが、10時からでないとできないという。それなら、我慢してこの先の徳沢に行こう。あそこならもっとメニューもあるはず。
でも、お腹がすいたなー。よねやんに言うと、非常食で持ってきたパンがあるという。それを分けてもらい食べる。食べていると、隣に先ほどの黄色いシャツのおじさんが座る。若いご夫婦もいっしょ。若いご夫婦もお腹をすかせている。よねやんのパンを分けてあげる。こんなものでも、喜んで受け取ってくれた。喜んでもらうと、こっちもうれしくなる。

またまた、お先に出発。ここまで来ると、涸沢(穂高岳)からの登山客と合流するので、歩く人も多くなる。それに道も車が通れるくらいの広さになり、整備されていて歩きやすい。途中、韓国の団体さんとすれ違う。「こんにちは。」と挨拶すると、「アンニョン・ハルカ。」(だったかな?)と挨拶を返してくれる。行き先は槍か涸沢か、聞いてみればよかった。でも、韓国語わからないからなあ。片言の英語で聞けばよかったかな。なかなか、着るものに気合が入っている。スポーツ選手のようだ。だから、目立つ。それに、顔もなんとなく、純日本人とは違う。後になって思えば。

徳沢に到着。徳沢園(一応、山小屋)でカレーを食べる。またまた、カレー。辛いもののほうが食欲がわく。よねやんは、この先の明神で岩魚を食べると張り切っているので、ここではソフトクリームをなめている。昔、よねやんが上高地に来たときに、明神池で岩魚の塩焼きを食べたんですと。その味が忘れられないということで食べに行きます。

ここの徳沢園は井上靖の小説「氷壁」(昭和30年代の小説)に実名で登場する。ここのキャッチフレーズが「氷壁の宿」。でも、わかる人が、今の時代にどれだけいるかな(あっ、私は後年、文庫本で読みました)。
カレーを食べて、少し気力がわいてきた。上高地まではまっすぐ行って、あと2時間。先が見えてきた。身支度をして、出発しようと思ったら、先ほどパンを上げた若いご夫婦が到着。われわれはこの先の明神池で、岩魚を食べると言ったら、いっしょに行こうということになった。

聞けば、ご夫婦とも都下のご出身で、奥さんは私の住んでいる市の隣という。世の中狭いもんだ。今は千葉県に住んでいるという。今までご無沙汰していた山登りを、昨年からまた再開したとか。今回は、表銀座コースを槍ヶ岳まで。1日目は中房温泉から大天井ヒュッテまで。なかなかの健脚。2日目が喜作新道を通って、槍ヶ岳登頂、そして、殺生ヒュッテに泊まったという。奥さんは、よくNHKのドラマに出てくる女優さんに似ている。名前はわかりません、ごめんなさい。

徳沢から明神池まで約1時間の道のり。わいわいがやがやと、みんなで話をしながらだったので、あっという間に着いてしまった。人数が多いと、また楽しさも増す。

梓川を渡り、初めのお店は「山の飛騨屋」、よねやんここかな。ん、ちがう? Mさんのご主人が、地図をわざわざ出してくれて確かめる。きっと嘉門次小屋だろうということになって、もう少し歩く。やっと着いた。

嘉門次小屋は上高地でも最初の頃の山小屋。上条嘉門次という熊打ち、カモシカ打ちの猟師が始めた小屋。昔は、その山をよく知っている猟師が、請われると山の案内をしていた。先の小林喜作もそうした一人。嘉門次は、日本アルプスの命名者、ウェストンを案内してこの辺の山を歩いた。

嘉門次小屋は混雑している。まるで、初詣のお寺の境内みたい。まずはあいているテーブルを探し、席の確保。よねやんは岩魚の塩焼きを注文しに行く、私は、缶ビールを買ってくる。よねやん、ごちそうさま、よねやんが、4人分ごちそうしてくれるんだって? よねやん、気前がいい。こんなところも、よねやんの好きなところ。

これが、嘉門次小屋の岩魚の塩焼き。1匹900円なり。美味しいが、値段もいい。頭の先から、尻尾まで丸ごと食べられる。内臓はとっていない。そのまま入っているが、よく焼けていて、生臭くなく食べられる。こんな食べ方、初めて。さすが、値段のことだけはある。これなら文句ない。Mさんご夫妻は、お昼ご飯にさらに、岩魚の塩焼き定食を食べる。塩焼き1匹と、ご飯、味噌汁、おしんこがついて1500円。



これは囲炉裏で焼いているところ。



さて、岩魚を食べて満足したところで、出発。よねやん以外は明神池を見たことがないので、見に行く。えええっ、お金を払わないと入れないの? 明神池は穂高神社の聖地とかで、拝観料がいるのだと。塀の隙間から、池を垣間見る。これでいいや。
梓川の右岸を河童橋まで歩く。木道あり、川べりに道ありで、変化があって面白い。ところが、途中で雨が降ってきた。初めはポツリポツリ、そのうちザーッ、河童橋まで来ると、バケツをひっくり返したようなどしゃ降り。ああ、よかった、1日ずれていて。これが山の上だったら大変。
バスターミナルで、Mさんご夫妻と別れる。我々は、バスを乗り継いで、新穂高温泉の蒲田温泉、「双六荘」に宿泊。Mさんご夫妻は上高地・大正池ホテルに宿泊とのこと。お名残惜しい。また、どこかの山でお会いしましょうね。

バスターミナルには平湯温泉行きのバスが待っている。急ぐように促され、すぐに切符を買いに行く。1050円。お客さんはいっぱい。我々の分だけ空席があり、座る。そして、バスはどしゃ降りの中を出発。おおっ、なんと運転手は若いきれいな女性。こんなバスならずっと乗っていたい。でも、この路線、道が狭く、それにどしゃ降りと来たものだから、慎重な運転。しっかり頼みますよ、我々の命は、あなたの細腕にかかっているんだから。

釜トンネルはつい最近、全面2車線になり、すいすい。今まではトンネルの中で、一方通行、便利になった。さらに安房トンネルを抜けると雨は小雨になった。よかった。無事に平湯バスターミナルに到着。

2日前の早朝に東京からここに着いた。そして、今日は上高地からここに着いた。ということは、ここを起点に1周したということ。よく歩いたな、よくがんばったな、自分を自分で褒めてやりたい。そして、よねやん、ありがとう。
こうして、2泊3日の山行は終わった。
来年の夏はどこに行こうか。また、どんなドラマが待っていることだろう。楽しみだ。

追伸、 槍ヶ岳診療所のS先生からメールが届いた。昨日あたりの槍ヶ岳の気温は8度という。羨ましい限りだ。先生、また来年、人間ドック、よろしくお願いします。




長々と見ていただき、ありがとうございました。

さてと。ジャジャジャジャーン。パンさん、最初で最後の大サービス!
槍沢の雪渓にて、よねやん撮影。よねやん、撮り方、うまいじゃない。
撮り方はうまいが、いかんせんモデルさんがいけませんね。
ぐぁっかりさせてごめんなさい。

でも、みなさん、これからもよろしくお願いします。


槍ヶ岳登頂記(2日目) 超大作! その1

2005-08-07 22:30:44 | 山登り
夢うつつに、雨が窓にあたる音がする。外は雨なのだろうかと、気になるが、また寝てしまう。

また目が覚める。何時頃だろうと、時計を見る。3時か。まだ早いな、もう少し、布団の中でうとうとしていよう。少し時間がたったら、廊下を歩く人の足音が多くなった。おっ、3時半か、そろそろ起きようか。たっぷり9時間は寝た勘定になるので、寝覚めはよい。隣に寝ているよねやんも目が覚めたみたいだ。起きようか、と声をかける。

食事は4時半からということなので、まだ時間がある。すぐ出発できるように、ザックのパッキングをしておく。天気が気になるので、外に出てみる。ガスはかかっているが雨は降っていない。うん、よかった、これなら何とか槍まで行けるだろう。

4時半少し前に洗面所に行き、顔を洗う。これでしっかり目が覚めた。その足で、食堂へ。もう食事の配膳が済んで、お客さんが続々席についている。我々も席に着き、食事を始める。寝起きなので、食欲もわかないが、無理やりでも食べておかないと、今日の日程はこなせない。



食事を終えて食堂から外へ出ると、食堂に入りきれないで待っている人の長蛇の列。朝食は早いもの順。よかった、早く食べることができて、これなら予定より早く出発できそう。

なんだかんだで5時20分出発。最初から、樅沢岳の登り、起きたての体にはきつい、ゆっくり登る。頂上に、樅沢岳の標識が立っている。そこを過ぎたら、ハイマツの中の下り。

千丈沢乗越まであと3時間少しの行程、途中少しばかりのアップダウンを繰り返し、稜線の右斜面、左斜面を交互に歩く。右斜面の飛騨側からは風とともにガスが斜面を這い上がってくる。顔の右半分が直接ガスにかかり、眼鏡の右側のレンズだけ水滴に覆われる。左斜面の信州側に行くと、風はやみ、時折、ガスが晴れて下側の風景が広がる。ああ、ずっとこんな感じで晴れていてくれればいいのにと思う。

途中高山植物が咲いていて、目を楽しませてくれる。ほんとうに、このあたりは花がいっぱい咲いていて、こんな天気が悪くても、歩く楽しみを感じさせてくれる。

ナデシコ



ミネウスユキソウ(いわゆるエーデルワイスの仲間)



イブキジャコウソウ(葉っぱを触るとハーブの香りがぷーん)



イブキジャコウソウとチシマギキョウ



途中、またクロユリが咲いている。よねやんはクロユリを見ると、♪クロユリは恋の花~♪ なんて必ず口ずさむ。クロユリを見ると、頭の中のスイッチがオンになるらしい。よねやんは私より10歳年上、私はそんな歌、知らないなあ。



ほんと、よねやんと歩いていると、飽きない。どちらかというと、よねやんのほうから話しかけてくる。私も、ふだんは人に話題を振って、話を盛り上げていくほうだが、いかんせん、山に登っているときだと、あまり、話す余裕がない。よねやん、ごめん。



ときどき、ガスが晴れ、行く先々の景色を見せてくれる。

左側に硫黄岳の一部分が見える(ここが硫黄乗越か)



こんなところを、これから通過する。今回の稜線で最も鎌尾根らしいところ。どきどきする。鎖が山際の岩に渡してある。これなら安心。特に鎖にしがみつかなくても、登りなので心配ない。



ああ、やっとこの先が千丈沢乗越らしい。道標らしきものが見え、人がいっぱい休んでいる姿が見える。(青いザックカバーがよねやん)



予定より30分くらい早く到着。時間はまだ9時半だが、朝食が早かったので、そろそろお腹がすきだした。ここでお弁当を食べておかないと、いよいよここからの槍ヶ岳への登りが、途中でへばってしまうだろう。

ということで、風を避ける場所を見つけ、お弁当を食べる。お腹は減っているのだが、あまり食欲はない。軽い高山病なのだろうか。無理やり、全部食べる。というか、流し込んだといったほうが正確か。

さて、昼食も済み、いよいよ今回最大の難関、槍への急登が始まる。地図だとここから2時間。なぜか、風もこのときになって急に強まる。台風のような風だ。果たしてこの先、大丈夫なのだろうか。昨日、双六小屋の支配人さんに、今日の槍ヶ岳への道のことを聞いたときに、雨で濡れていても大丈夫だが、風が強いと、要注意と聞いたことが脳裏をよぎる。槍ヶ岳への登頂をあきらめ、ここから、飛騨沢へ下ろうか? 今なら、まだ間に合う。よねやんに、風が強くなったけど大丈夫かな、と尋ねたが、取り合ってくれない。よねやんは楽天家なのだ。聞いたほうがまちがい。

ええっい、どうにかなるだろう、仕方なく、どきどきしながら、歩き出す。だいたい、道がどのような状態なのか、見当もつかない。ざらざらしているのだろうか、痩せ尾根を登るのだろうかなどと、悪いほう悪いほうに思ってしまう。

初めは直線的な道をひたすら登る。えっ、雨がポツポツ降ってきた。なんて間が悪いのだろう。これからというときに。しょうがない、雨具を上下着る。また、ひたすら登り。でも、5分くらいで、雨がやんだ。あっ、助かった。昨日は雨具を着たら、暑くてしょうがなかったが、今日は強い風のおかげで暑くはない。むしろ、風よけで都合がよいくらいだ。でも、邪魔なので脱ぐ。雨はやんだが、相変わらず風は強い。そして、寒い。ストックを持つ手はかじかみ、鼻水もたらたら。よねやんは夏用の手袋をつけている。用意がいい。今度、買おう。

まだまだ、ひたすら登り。でも、足場はよい。これならぜんぜん安心だ。痩せ尾根もない。このままこんな感じで、頂上まで続いて欲しい。

今まで直線的だった道が、今度はつづら折に、ジグザグになってきた。ガイドブックには、ジグザグになってきたら頂上は近いと書いてあった。しめしめ、頂上はもうすぐかな。なにせ、ガスがかかっているので、先の景色がぜんぜん見えない。晴れていれば、槍の穂先がどんどん近づいてくるのがわかるのだろうが。

しばらく歩くと道がやや平坦になった。そして、ガソリンの匂いがしてきた。おっ、山小屋の発電機が近い証拠だ。と思ったらすぐに、槍ヶ岳の肩にある、槍ヶ岳山荘が見えてきた。やったあ、登りきった。なんだ、千丈沢乗越から、まだ1時間しかたっていないではないか。地図だと2時間、その半分の時間で登ることができた。これも、ガスがかかって、寒いくらいだったおかげだ。

この登った場所は、晴れていれば照り返しがきついところで、体力を消耗する一番の難所だったのだ。来る前に、私の知り合いの経験者の話、二人が二人とも、晴れているときのこの場所の難儀さを強調していたのを思い出した。

槍ヶ岳の肩に11時に到着。双六小屋から休憩を入れて5時間40分で来られたことになる。予想では7時間を予定していたのだが、これなら満足のいく時間だ。

さっそく、槍ヶ岳山荘の前で一休み。ここの山小屋には診療所がある。慈恵医大の先生が常駐している。人間ドッグでお世話になっているS先生が、ときどき登っているという話を聞いているので、診療所に会いに行くが、あいにく不在。来週、登ってくるという。1週間違いで残念。来年の人間ドッグのとき、挨拶してこよう。とりあえず、私の名刺の裏に手紙を書いて置いてきた。

なんだかんだで、11時45分。まだガスは晴れない。無常にも大槍(槍の穂先)はガスの中。こんな状況なので、穂先に登る人は少ないみたいだ。今が登るにはチャンスか。よし、登ろう。

サブザックにカメラと水をつめて、背中に背負う。いざ、出発。いよいよ、穂先の岩に三点支持で張り付く。大まかに、登りと下りのルートは別れているが、一部分共通の場所があり、そこが渋滞するようだ。登りは3箇所のはしごの他は、自力で岩肌を登っていく。ちょうど、あちこちに窪みやら出っ張りがあり、手や足を置くのに都合がよい。そして何より、岩がしっかりしていて、何の不安もない。思っていたより簡単だった。案ずるより生むが易しとはこのこと。
いよいよ最後の2つのはしごに取り付く。ほぼ直角だ。



はしごを上りきり、頂上へ。一抱えもあるような岩がごろごろしている。広さは8畳くらいと聞いていたが、それよりは広そうだ。相変わらず周りの景色は見えない。残念。



祠の前でよねやんに写真を撮ってもらう。



頂上の三角点、標高3180メートル。日本で5番目に高い。



北鎌尾根の終着点、ここからひょっこり、クライマーが顔を出すこともある。



また、二人の姿を頼んで撮ってもらう。10分くらいで、下り開始。下るほうが緊張する。はしごも下り専用があり、スムースに下りられる。下りのルートは鎖が3、4箇所あるが、足場はしっかりしているので何とか下りられた。よねやんが先に下りきって、こちらにカメラを向けている。思わずVサイン。あとで聞くと、私を撮るためにカメラを向けたのではないとのこと。なんだ、でもラッキー。いい記念写真になりました。よねやん悔しがる。自分も撮ってもらいたかったと。でも、あとの祭り。



以上、槍の穂先の上り下り、これも予定どおり1時間。空いていてよかった。
荷物を整え、槍ヶ岳山荘をあとにする。今晩の宿泊先のヒュッテ大槍へ向かって、下りていく。山荘からほんの少し下ったところで、ガスが切れ、大槍(槍の穂先)が顔をだす。山荘の周りにいた人たちから、大きな歓声が上がる。写真を撮ろうと、ザックからカメラを取り出そうとしていたら、また、ガスがかかる。しばらく待っていると、再びガスが晴れる。ぱちり。岩にへばりついている人の姿が確認できる。はしごも見える。こんな感じで、槍の穂先に登ったり降りたりしているのです。



文字は1万字以内という警告が出てきたので、続きはその2へ。

槍ヶ岳登頂記(2日目) 超大作! その2

2005-08-07 22:20:59 | 山登り
さて、槍ヶ岳をあとに、どんどん今晩の宿泊先のヒュッテ大槍に向かって下っていく。

やっと、ガスがなくなり、進む方向には、ヒュッテ大槍や殺生ヒュッテの赤い屋根が見える。感激だ! 
(写真は稜線上にあるヒュッテ大槍)



少し下ると、小さい子どもが3人登ってくる。あっ、ごめん、足場が悪いから先に下りさせてね。子どもの後ろから、付き添いのおじいさんらしき人が子どもたちに罵声を浴びせている。「降りてくる人がいるんだから、進んではだめだ。足場のいいところで待っていなければ。そんな足場が悪いところで、立ち止まってはだめだ。滑ってしまうぞ。」などなど。上り優先の山登りのルールを、ちょっと破ったのはこちらなんだから、そんなに怒らなくても。と、かえってこちらが恐縮してしまう。すれ違いざまに、よねやんがおじいさんに、「きびしいねー」と一言。おじいさん曰く、「子どもたちは山が好きなので、今のうちからトレーニングさせているんだ」と。それにしても、まだ幼稚園のような子どもの顔も見え、その子が大きなザックを背負わされている。見れば、おじいさんは空身ではないか。かわいそうなのか、親心と見るのか、何か複雑な心境になってしまった。翌日知り合った、Mさんご夫妻の話によると、Mさんたちが、槍の穂先から降りるときに、この御一行に会ったとか。普通は、大きなザックは下に置いて、空身に近い状態で登るものだが、小さい子はまだ大きなザックを背負わされているままであったという。見ていて、危なっかしかったとのこと。周りの人がおじいさんに、何でザックを置いてこなかったのか聞いたら、山小屋に迷惑をかけたらいけないのだと。うーん、よくわからない、そういう問題でもないと思うのだが。おじいさんはおじいさんなりのポリシーがあるのだろう。いろいろな人がいるものだ。

しばらく、降りていくといよいよお天気が回復。振り返った槍ヶ岳の向こうに青空がのぞく。



進行方向のかなたにも山並みが見えてくる。おおっ、表銀座ルートの山が見えるではないか。あの三角は常念岳だな。左の大きい山は何だろう、などと考えながら歩く。



途中、何人かのパーティーとすれ違う。ここを登ってくる人は、ほとんどが燕岳を起点とする、表銀座コースを歩いてきた人たちである。途中の難所、喜作新道の様子をすれ違った人に聞いてみる。(殺生小屋の創始者、小林喜作氏のことはここを参照してください)
はしごや鎖はあるが特に問題なく歩けたという。そうか、そんな具合なら自分にも歩けるかな。いつかは挑戦してみたいルートだ。

ヒュッテ大槍は見えているのだが、写真を撮ったり、すれ違う人と話をしたりで、なかなか到達できない。とか何とか、歩いているうちにやっと今晩の山小屋、ヒュッテ大槍に到着。2時15分。まだ時間が早いせいか、先客は一組、槍が見える展望台で写真を撮っている。



着いたら、まず、冷たいお茶をいただく。この心配りは憎い。一息ついたら宿泊の申し込みをしてくださいとのこと。これもうれしい。小屋についてすぐにお茶をもらったのは、今までで3回目。餓鬼岳小屋、船窪小屋、そしてこの小屋。みんな小さい山小屋だ。

お金を払って(北アルプスの山小屋の1泊2日2食付の料金は8500円が主流)、部屋に案内してもらう。今日もゆったり寝られそうだ。混んだら、布団1枚に2人といわれたが、たぶん混まないだろうと期待する(小屋の方、ごめんなさい)。

荷物を置き、カメラを持って外へ。よねやんがビールを買って、待っていてくれる。小屋に着いたらまずビール、というのが我々の暗黙の了解。今日のビールは特に美味しい。槍ヶ岳登攀という自分にとっては難業をやりとげたという満足感が、いっそうビールを美味しくしてくれている。

玄関を通ると一人、お客さんが着いたばかり。冷たいお茶をもらっている。まだうら若き女性だ。仲間はいないのかな、後から来るのかなと思いつつ、槍の見える展望台に行き、さっそく一枚。先ほどの先客さんは、茨城から来たという私と同年輩のご夫婦。この方、写真ばかりでなく、望遠鏡も据え付けて、槍の頂上を見ている。我々も見せてもらうが、一人一人の顔までわかるほどの解像度。よねやん、さっそく欲しくなる。おいおい、違う目的で使っちゃだめだよ。

お次は、裏側に回り、表銀座ルートの山々の写真を撮る。真正面に三角形の端正な形をしている常念岳。



その手前の稜線が表銀座ルートの山々。赤い屋根はヒュッテ西岳か。そこからずっと左に、大きな山が。大天井岳かな。



下を覗き込むと喜作新道の概要がわかる。えっ、いったいどこに道がついているのだろう。

槍ヶ岳のほうに目を移してみると、恐竜の背中のような稜線が見える。これが、有名な北鎌尾根。一般ルートでないので、地図には道は書いていないが、超上級者のみ許される難関中の難関、遭難者も多い。



ご夫婦と話をしていると、先ほどの若い女性が地図を片手に山を眺めている。聞けば、大阪から夜行で一人で来たというFさん。それも、今朝、上高地から入山して一日(正確にはまだ3時だ)でここまで来たという。普通は途中で1泊するのだが。すごい健脚だ。きゃしゃな体でがんばりましたね、脱帽です。
ここから見える山々の名前を私のわかる範囲で教えてあげる。遠くは黒部の針の木岳や立山も見える。

段々になっているのが前穂高岳、その手前が奥穂高岳。



本当に、天気が回復し、今は太陽が輝いている。よくぞここまでと思う。ここにいる方々に聞いてみると、ご夫妻の奥様と、大阪からの娘さんがお天気女だということ。ありがとうございます。

少し疲れてきたので、部屋に戻りうとうとする。よねやんは、隣の食堂でみんなと雑談している。ときおり、私の名前が聞こえる。いったい何を話しているのだろうと気になるが、夢うつつ。少しばかりまどろんだら、寒いので目が覚める。私も、食堂に行き、雑談に加わる。5時頃になって、夕食の準備をするので別のところに移って欲しいと言われ、解散。

5時30分、夕食。これこれ、ここの名物はワイン。ギンガムチェックのテーブルクロスと、ワイングラスがマッチしておしゃれ。メインは白身魚のフライ、それにガーッリックトーストまでついている。キャベツとキュウリのサラダ、それにオレンジの輪切りは、お代わり自由で食べたいだけ食べられる。それにホワイトシチュウも美味しい。写真には写っていないが、他に大皿で竹の子と鳥肉の甘辛煮も美味しい。



私のテーブルの対面には、兄弟で登ってきたという20台の男性2人。燕から一気にここまでやってきたという。なかなかの健脚家だ。お兄さんのお供で弟さんがついてくるみたいだ。弟さんはここに着いたとたんに昼寝をしていた。だいぶ疲れているようだ。

ここの夕食には満足した。また泊まってみたいと思った。夕食中に、スタッフの人から説明があった。何かというと、今日は槍ヶ岳に夕焼けがかかってきれいになりそうだと。えっ、だって今は雲が流れて、槍ヶ岳にかかっているではないか。本当に、夕焼けなんか見られるの? 半信半疑。今日の日の入りは午後7時くらいなので、6時50分くらいから要注意とのこと。本当かな?まあ、だまされたと思って見てみるか。

時間になって外に出る。まだ夕焼けに染まっていない。それにガスが槍ヶ岳にかかったり、晴れたり。ガスがかかる時間のほうが長い。
これですよ。これこれ。



本当に見られるのか。まだ信じられない。おおっ、少しずつ夕焼け空になってきた。それにガスも切れ、槍ヶ岳のシルエットがはっきり見える。信じられない。本当に槍ヶ岳のシルエットの向こうに、夕焼けが染まっている。きれいだなあ。感激、感激。



小屋の中に戻るが、みんな、まだ眠りにはにはつきたくない様子。9時まで、食堂は談話室として開放されるみたいなので、もう少しみんなで話をする。これが、小さい山小屋のいいところ。同宿者が仲良くなれる。こんな関係、私は大好きだ。今まで登った山のこと、今日見た高山植物のことなど、話は尽きない。8時頃になり、そろそろ、みんなあくびをしてきたので、これでお開きとする。みなさん、いい話をありがとうございました。明日も、みなさんにはいい日でありますように。
おやすみなさい。
(3日目に続く)

槍登頂記2日目執筆中

2005-08-05 17:32:53 | 山登り
槍ヶ岳登頂記(2日目)はただいま執筆中です。
もうしばらくお待ちください。
それまで、この写真でお楽しみください。

1本の枝に鈴なりのクルマユリです。珍しいでしょう。
まだつぼみですが、ペリカンの口みたいで可愛らしいので、パチリ。




双六小屋の向こうに、鷲羽岳、その左奥に水晶岳(黒岳)を望む。
2峰とも、深田久弥「日本百名山」の一つです。


槍ヶ岳登頂記(1日目)

2005-08-04 06:50:52 | 山登り
7月28日(木)。いよいよ、この日がやってきた。

普通に仕事をこなし、7時45分くらいに終了。
すぐに夕食、今晩はもらいものの真空パックのうなぎの蒲焼。妻の心遣いに感謝。
シャワーを浴びて、最後のひげ剃り。なにせ、あと3日はひげを剃れないので念入りに。

だいたいの荷物は、昨晩、ザックに詰めておいたが、こまごまとした食料などは直前に詰める。

なんだかんだで、もう、9時近くになってしまった。よねやんとの待ち合わせ時間は、新宿に10時。ああ、バスで駅に行っていては間に合わない。妻に駅まで送ってもらう。ちょうど特急に乗ることができた。

10時少し前に新宿に到着。待ち合わせ場所は、いつもの通り、交番前。ん、まだ、よねやんいない。急いで来たのに。
10時を少し過ぎて、よねやん到着。その足で、高速バスのターミナルへ直行。乗り場の確認をする。

そして、例のごとく、チョコレートパフェを食べるべく、喫茶店へ。さっそく注文、いつものお店と違うので、少し内容が違う。バナナが多すぎ。これではバナナパフェだ。でも、コーンフレークよりはましかな。いつもの儀式はとどこおりなく終了。10時半閉店とかで、お店を追い出される。しょうがない、バスの待合室で待つことにする。

バスは、直前にならないと来ないらしい。11時少し前にバスが来る。トランクにザックとストックを入れ、座席に座る。定時を少し過ぎ11時10分頃、発車。おいおい、ちゃんと時間通りに平湯に着くのかい? 急いでくださいよ、と、心の中でつぶやく。バスは中央道にのり、一路、高山方面へ。

八王子の停留所までは、乗り込む人がいるとかで、明かりはつけておくとのこと。寝ようとするが、前のおばさんの話し声で、なかなか眠れない。静かにして欲しいな。八王子で、やっと、運転席の後ろのカーテンが閉じられ、明かりも暗くなる。おばさんも静かになったが、やはりなかなか熟睡できない。

うとうとしているうちに、休憩場所の双葉SAに到着。トイレに行き、自動販売機で冷たいものを買い、喉を潤す。バスが発車、やっと寝ることができ、平湯に到着するとのアナウンスで目が覚める。寝覚めがよい。あれだけの睡眠時間だったが、熟睡できたのだろう。よかった。

平湯到着、29日(金)午前3時40分。
外はまだ真っ暗。迎えのタクシーはまだ来ていない。トイレに行っている間に、タクシーが来ていた。

タクシーで、新穂高温泉のバスターミナルまで行く。途中にクマ牧場の看板が。ここは、学生時代に来たことがある。まさか、将来、山登りのためここを通るとは、そのときは考えもしなかった。

新穂高温泉に4時25分到着。登山届を所定の箱に入れ、いざ出発。
予定通り、4時30分。

ここからは、しばらく林道を歩く。

5時45分、わさび平小屋に到着。



朝食を予約してある。6時にと頼んでおいたので、まだ、できていない。水を汲んだり、よねやんが冷やしトマトをかじったりして(ここは水槽にいろいろな果物や野菜を浮かべて売っている、自分も昨年はりんごを、一昨年はきゅうりを食べた)、それまで時間をつぶす。おおっ、よしず張りの下に、小さくよねやんの姿が。トマトをあさっているのだろう。6時になり、やっと朝食にありつける。写真が朝定食、1300円なり。



一休みして、6時40分に出発。
河原を歩き、いよいよ登りの登山道になる。ここから、小池新道。双六小屋のオーナーの小池氏が双六小屋への近道として作ったのだろう。それまでは笠ヶ岳の稜線を通って双六へ行っていたのだろうか。これから、えんえん5時間の行程。がんばろう。

秩父沢という沢を渡る。立派な木の橋ができている。毎年、橋を作り変えるので、いつも新しい。沢の上流には雪渓が見える。写真を撮り、一休みしていたら、雨がポツリと降り出してきた。急いで雨具を上下着る。5分くらい歩いたら雨がやんでくれた。もう、暑くてたまらないので、雨具を脱ぐ。ああ、これだけで涼しい。歩調も気のせいか早まる。

この先のイタドリが原にも雪渓があり、雪渓の上でしばし休憩。天然のクーラーだ、涼しい風が吹き、熱い体に心地よい。


昼食は、この先の鏡平山荘でカレーを食べる予定でいたが、あと少しのところで、シャリばて。菓子パンを食べて、お腹を少しだけ膨らませる。シャリばてにならないように、今回は飴を常時、口に入れていたのに、だめだった。
カレーのために、もう少しだけ、がんばって歩く。やっと、鏡平に到着。

カレーと、定番のキリンラガー。



写真は、鏡平山荘。



天気がよいと、鏡池から槍ヶ岳が見える。これは、昨年撮った写真。今年はガスがかかってだめだった。 残念。



これは、池のそばに咲いていたコバイケイソウ。花がまるで妖精のように、かわいらしい。



さてさて、ここから弓折岳への稜線までが、今日の最大の難関。急坂が稜線まで続く。息が切れる。まだかまだか。やっと稜線にでる。ここで休憩。高山植物のお花畑が広がる。今までの苦しさを、いっぺんに忘れさせてくれる自然のプレゼント。自然は偉大だ。

ハクサンイチゲの群落



ここから先、双六小屋までの稜線は高山植物の宝庫。なかなか目を楽しませてくれる。

イワカガミ



ハクサンフウロ



クルマユリ



クロユリ



シナノキンバイ



お花畑の先に双六岳が見える。思わずうっとり、パン・ド・カンパーニュさん。
これは、よねやんに撮ってもらったのだが、よねやん、いい迷惑。私が、顔を見えそうで見えないように撮れと難しい注文。でも、よねやん、うまい。希望通りの角度で決まり。ふふふ、皆さんごめんなさい。今日はここまで。



あっ、そうそう、今回のこのザックの重さは、出かけに計ってきたら12キロでした。今のザックはよくできていて、これくらいなら、そんなに重たいとは思わないで担げるのです。以前、涸沢に紅葉を見に行ったときは、テントを担いで行ったので、18キロくらい、さすがにこのときはへたばりました。家に帰ったら、肩にあざができていたのです。


おおっ、やっと終点の双六小屋が見える。あと少しだ。がんばれ。
昨年登った鷲羽岳、その左向こうに水晶岳が見える。



双六小屋に到着。
ここは登山の要所。烏帽子、野口五郎からの裏銀座ルート、黒部五郎からのダイヤモンドコース、笠ヶ岳からの縦走、槍ヶ岳からの縦走など、主要なコースがこの一点に集中する、まさに、日本橋のようなところだ。



途中、写真を撮ったりして遊んでいたので、2時半に到着。まあまあの時間だ。今年はトレーニング不足だったので、心配だったが、まずまず、一安心。
途中、わさび平は予定より20分遅れて出発、鏡平には予定より20分早く到着。ということは、40分早く歩けたことになる。 バンザイ!

写真を撮ったりしていると、かなりの時間の浪費となるものです。抜かした人に抜かし返されるのもこのとき。悔しいけど、しょうがない。
特に、今回は、よねやんにうるさい注文が多いので、余計に時間がかかる。よねやん、ごめん。でも、よねやん曰く、「いいんだ、時間なんか。それより、ああだこうだ、遊びながら写真撮ったほうが面白いじゃあないか。」と。
よねやん、ありがとう。 だから、よねやん、大好きさ。

これが、明日、槍ヶ岳への第一歩となる樅沢岳。
さてさて、明日はいよいよ、今回の山歩きの核心部分。 いったい何が待ち受けていることやら。




夕飯は第1組目が4時半、自分もこの組になった。早い到着順なのだ。山は、早出早着きが原則。夕飯は3組まであるという、今日は山小屋、大盛況。
オーナーの小池潜氏の顔も見える。ちらちらと小屋の中の様子をうかがって、従業員に指示をしている。山岳写真の写真家でもある。

双六小屋の玄関を入ると、作家・田中澄江の筆による、「双六小屋」の看板が掲げられている。田中澄江は花の山として、この双六岳をこよなく愛していたという。

うっかり、夕飯の写真は撮りそびれてしまった。ごめんなさい。ここの夕飯は美味しいので有名。天婦羅、鳥のささ身のフライなど、揚げ物が中心。あと、一人分のそうめんもあった。

寝るところは、幸運にも我々は二人用の布団に一人で寝られる。ラッキー。他の大部分の人は、布団2枚に3人とか。

今日は、夜行バスで疲れたので、6時過ぎには布団に入り、就寝。
明日の天気を祈りながら、おやすみなさい。(つづく)