役所 信太のひとりごと。。。(カウントダウン365×4→0)

旅先で感じたことや報道など私的に思うこと

もう今は昔か・・・、映画の後いろいろと考える・・・横顔の芸術やら・・・。

2012年11月27日 23時02分45秒 | Weblog
久しぶりに関西に帰ってきて
懐かしい思い出の地をぶらぶらする。

昔馴染みの映画館も久しぶり・・・。
カラスの親指を鑑賞。
石原さとみが
今までに無いぶっ飛びな役柄で驚いた。
かなりの引き出しを持った女優さんです。
違和感なく心に入ってきた。
それよりももっと
気になる女優さんを発見してしまいました。
その名は、
能年玲奈(のうねんれな)。
彼女は
4月からのNHKの朝のTV小説の主演に決定した
これからを嘱望される逸材とのことです。
逸材と言っても
今のところは演技は荒削りです。
だけども、
物憂げな表情を浮かべる演技は
人を惹きつける魅力を十分持っている。
可愛さだけでない「何か惹きつけるもの」を持っている感じがする。
さらに
惹きつけられるのは横顔。
鼻筋から唇にかけて
実に素晴らしいラインをしている。
芸術品の域に達している。
能年玲奈、
末恐ろしい女優になるような気がする。

そんなことを思いつつ外を歩く・・・。

やっぱり大阪は暖かい。
9月の北海道の季節のようです。

大阪駅の更新が完成して
クリスマスイルミがきれいでした。
諏訪湖花火のナイアガラを思い出す白いイルミ。

変わってない梅田の地下街を歩くと
ふと懐かしきなり
久しぶりに本を買おうと
梅田の旭屋書店へ向かうと
ビルが閉鎖されていました。
今となっては昔の話ですが
中学生の頃
初めて訪れた梅田。
当時は
画期的に大きかった書店の旭屋梅田本店。
英和辞典を買った事を思い出しました。

阪急ファイブやナビオもなくなり
梅田東映も消えました。

数年たったら
梅田界隈の再開発が進み
昔の面影もなくなり
更に新しい大阪北の中心地が完成することでしょう。
きれいに生まれ変わることはいいことです。

生まれ変わるといえば
もうすぐ国政選挙。

思い起こせば大学生の頃・・・。

55年体制の崩壊を目の当たりにした。
世界は共産主義が崩壊したのに
あろうことか日本では
保守の自民党と左翼の社会党がくっつくという
信じれれない事態となった。
だが
連立内閣は短命で崩壊し
その後
自民が再度政権復活、
そして
3年前の民主党の圧勝と
歴史が大きく動く数々の場面を
生で見ることができました。

学生だった当時、
教科書で出てくる
「ソ連とアメリカの冷戦」が終結したこと
それに続き社会主義が崩壊したことが
一番衝撃的だった・・・。
私の習った多く教師たちは
社会主義が理想の政治形態だと
持論を展開していたから・・・。

時代が流れれば
変化が起こって行くということですね。

なのに、
今の状況を見ると・・・

新聞やマスコミが報道していることが
すべて事実だと仮定し
更に
報道されていない不都合な事実はない
という前提での見解ですが、

アメリカの大統領選挙では
結局はオバマ氏の再選で幕を閉じ
中国共産党は
次の10年
以前と変わらない政策で
政権を維持しようとして
何も変わらないような気がするし
ロシアもプーチン氏の独裁政治だし・・・
それらを見ていると
世界の主要国はあまり変化を望んでいないようにも見え
現状はどの国も経済的財政的に行き詰っているのに
現状の政策で行き詰ったのに
改善しようとしていないようにも見える。

そんな時期だからこそ
日本は大きく変われる千載一遇の好機かもしれません。
弱腰日本でなく
一皮向けた日本になる好機なのかもしれません。

おもしろいことに
毎日毎日
メディアは選挙戦を垂れ流している。
新党旗揚げしたかと思うと
既存政党が名前を変えて合流したり
主張が変わってしまったり・・・
いろいろあって実に面白い。
ただ
マスコミの報道振りには少々の悪意も感じられる点がある。
小政党が乱立している現状で
小異を捨てて大同団結を促す石原氏等に対し
「以前と言っていることが違う」
「小異は捨てられないのでは」
「くっついたり離れたり
 政党間の駆け引きで主張がころころ変わりすぎ」など
そういった点です。

考えてみれば
まだ、選挙前で公示もされていない段階。
今は
自由に意見を交わし
離合集散を繰り返し形を作っていけばいい。
急に解散になったわけだし
それくらい許される範疇だと私は思います。
選挙で
国民が審判すればいいだけのこと。

最悪なのは
選挙後に当選した恩のある政党を離脱したりして
新党旗揚げや
別の党に移動したりするやからです。
政権公約を無視する政治も同じように最悪ですが
こういったやからは当選無効にすべきです。

そう考えると
選挙前にいろいろ離合集散することは
決しておかしなことではないと
私は思います。

政治家が悪いとか
政党が悪いとか
呆れてため息をつくことは簡単です。
ある意味責任転嫁していればいいからです。
どうせ自分ひとりが何を言ったところで
変わりはしないと
あきらめてしまうことも簡単です。
仕方がないと諦めると自分に言い訳できるからです。

世の中を構成するのは
一人ひとりの人間の集まった集団で
更にその集団が集まり社会が形成されて
世の中が出来上がっていく。
しかし
社会を構成する人間は
アイ矛盾する行動を取ってしまう非常に不完全な生き物という側面もあります。
悪いことだと知りながら
そのことを行動に移す・・・。
正しいと思っているのに実行できない・・・。
間違っていると思っているのに
同じ過ちを犯してしまう・・・。
平和を願っているのに
相手を攻撃して争いごとを起こしてしまう・・・。

今の政治家は
主義主張が一貫している芯の一本通った人がいないと言われる。
私利私欲のために
自己保身のために
それだけで行動をしているといわれている。
しかし
上で触れたように
人間自体が不完全なのだから
ある程度の意見のぶれは許されるべきだと私は思うのです。
どんな政治家でも
人間関係はある。
上下のシガラミもある。
良いとか悪いとか言いたいのではなく
どこの年齢層でも性別が違っても
うまくいかないことの方が多いと言いたいのです。

ことわざに
弱きを助け強きをくじく というのがあります。
世の中を見ると
弱きを助ければ
人は挑戦や努力をしなくなるし
強きをくじけば
人は好き勝手に動き出しまとまりがなくなる。
逆に
弱きを助けなければ
情や良心がいたみ
強きをくじかなければ
強者利権に歯止めがつかなくなる。
人はちゅうぶらりんの
いい塩梅でいることができないのです。

大正時代から続いた日本の政治
意見を同じにする政治家が集まる政党が執り行う
政党政治は
主義主張が
無秩序状態や荒廃した世の中を
立て直すときには有効に作用することでしょう。
そういう世の中には
ちゅうぶらりんはないからです。
しかしながら
現代の日本は
江戸時代末期のような封建的なある種無秩序社会や
昭和戦争で荒廃し
すべての人が悲惨な暮らしを余儀なくされる荒廃社会
というわけでもない。

憲法で言論の自由
結社の自由が保障され
すべて国民に選挙権が与えられ
何の苦労もなく
生まれながらにして
それらが存在する社会に生まれ育っているのです。

誰もが自分は特別な存在だと認識し
多くの権利を主張することができる。
生まれながらに
当たり前に存在する権利だと
空気や水の存在のように考える。
感謝することはない。

そういった“空気”の流れる世の中で
人は個々に自己の範疇で
物事を捉え始め
法律でも慣習法でも
自己流に解釈し争いになる。
ここでも
あそこでも
どこでも
どんな人にでも
そういった争いごとの一端を担いで
生活している。
そんな一人の人は
いろいろなしがらみの中
生きているといってもいい。

しがらみの中から
あっちを立て
こっちを立て
日々葛藤を繰り返す。
正義と情のはざ間に揺れ
解決できない難題に苦しむ・・・。
それでも
日々生き続けていると
主張がしがらみの加減によって変化する。
それを自分のことは棚に上げにし
他人のそれには批難する。
批難することで
自己の葛藤から開放されたような
優越感を味わえるからです。

ここで
橋下氏が言っていたことが頭に浮かびました。
いくら政党であっても
すべての政治家の意見が
完全に一致するわけがないと・・・。

私はそのとおりだと思います。

彼は
もうひとつ良いことを言っています。
政治家が政治をできないから
官僚が政治を動かすようになった。
現代のような
多種多様に肥大した行政事務では
致仕方ないこと・・・。
ならば考え方を変えて
官僚政治を排除し
政治家が政治を動かすという考えではなく
官僚組織をうまく動かし
政治をすると考えた方が良いのでは・・・。

私自身官僚だったこともあり
弁護するわけではないですが
官僚政治は
当たり前の成り行きだと思うからです。
官僚は
法令を遵守し
事務事業を執行することがお仕事です。
しかしながら
現代の法令は
一部の政治家が
人気取りのために考えた法令がやたらと多い。
その一例が地域振興券です。
あの法令は最悪でした。
国会で決めたはいいが
どうやって実行に移して良いかわからず
地方行政に丸投げしたのでした。
券の対象者の把握方法や範囲、
券面の印字、発送方法、
利用できる範囲、お店、有効期間、
対象外商品、海外居住者、仮住まい者、
短期移住者、外国人登録者、
行路、その他いろいろ各自で考えて
実施するようにと
概要だけ決めた通知が来ただけ。
だから
官僚政治が横行するのです。

官僚政治は
悪いというようにイメージが先行しているけれども
この政治体系を崩すことは
もはや今の日本の行政組織では不可能になっている。
ならば
行政改革、行政改革と
馬鹿の一つ覚えのように訴える政治家ではなく
組織を動かせる政治家が政治家になると考えるのは
これこそ行政改革ではないでしょうか。

どこのマスコミも
自民党が第一党になると予想しています。
55年体制が崩れ
新連立体制が失敗に終わり
再度自民党政権に(自公連立だけれど)戻った苦い経験は
もう今は昔ということか。

既存の大政党の政治がうまくいかなかったから
今があるわけで
ならば
完全に入れ替えてはどうなのだろうか。
失敗したら
うまくいかなかったら
誰が責任を取るんだとマスコミは言う。
責任・・・
事実はひとつなのに
報道機関でこれほどに温度差が出る報道振りには
誰が責任を取るのでしょうか?

本来選挙での責任って
自己責任でしょう。
上で述べた自由と権利があること自体幸せなことで
そのことに対する選択は
自己の責任の範疇だと私は思います。

見せ掛けの平和憲法に平和ボケで
多くの血が流れ獲得した権利だということを忘れてしまっている。

私が目にする評論家や意見者たちは
まるで・・・
言葉の通じない傍若無人で乱暴なやくざの集団が
刀を突きつけてきて
銭出せ!
と強盗して来た。
話せばわかる、そう言って誰かの助けを待つだけ。
そして、誰かに責任転嫁し批難して満足する。
または
自分の家の敷地に知らない人が入ってきて
ここは昔から先祖の土地ですと言いがかりをつけてくる。
なのに
先祖が悪いことをしたから仕方がないとして
泣き寝入りをするも
いつか誰かが助けてくれると待つだけ。
そして、
気分が悪い日には誰かに責任転嫁し批難して満足する。

こんなことが正しいことだ 
と言っている様に見えてならない。

親たちは言う
家を出て
独立して生計を立てて
結婚して
配偶者と子を持ってはじめて一人前の社会人だと。

本当でしょうか。

ある一家の話・・・
仮にお隣さんとします。

子供の学校の給食費は踏み倒し払わない、
自治会費5百円も
しぶしぶ支払い文句ばかり言う、
ペットの糞尿の始末はしない、
夜中でも平気で騒ぐ、
自治会の掃除には参加しないのに
ごみだけは前の日から出す、分別しない、
何かとクレームをつけ
思い通りにならなかったら誹謗中傷を吹聴する、
子供は
いじめの主犯格で
親は知らん顔・・・。
会社の備品は持ち帰り
試供品は何個もかっぱらう。
電車内での携帯電話通話や
タバコのポイ捨ても当たり前・・・。
レストランのマナーなど関係もなく
好き勝手・・・。
それでも
核家族4人。
定職もあり一軒家もある。
子供も学校には毎日通っている。

これで一人前でしょうか?

比較されることもあります。
こういった家族と40歳独身男。
独身男は信用されにくい。
男として何か問題あるように思われる。

その男は
神戸の地震では何キロも歩いてボランティアに向かい
ナホトカ号の座礁では真っ黒になりながら
重油の塊をすくい
東北の震災ではボランティアに励み
しんどい仕事も一生懸命こなす
無料敬老パスのお年寄りのためバスは座ったことがなく
電車でも常に端っこで目立たず
出しゃばらないし
マナーは守る、
結婚は良き夫、良き父になる自信がなく
妻になる人や子供に対し
悲しい思いをさせるくらいなら
結婚しない方を選択しただけ・・・。

でも世の中は
御隣さんの方が信用に値するようです。

人間は
本質を見極めることは困難・・・。
矛盾だらけで難しい・・・。

だからといって悲観することはないと思う。
その矛盾を受け入れ
権利は義務の上に成り立ち
勝手に存在するわけではないことに感謝する気持ちが大事。
選択できることに感謝。
そして
将来は託すものではなく
自己責任の上にあるものだと理解すれば
世の中
矛盾に満ちることが減り
少しは本質に迫れるかもしれません。

。。。。