家紋
思い出した事がある。母が「智子(さとこ)は、おはまはん(曾おばあさん)に似ている」と言っていた。へえ!お浜はんは、起床したら、せっせと家具などを磨いて、働き者だったおばあさんに、私が似ているとは、丁稚奉公が家には何人も居て、朝は味噌汁など朝食の準備も万端、整えたらしい。でも、そのお浜はんに、私の母はお父さん(お浜はんの息子)のお供をさせる為に、タクシーに押し込められたらしい。飲めよ歌えのドンチャン騒ぎを、隣の部屋でポツンと待っていたと母の口から、しばしば聞かされていた。母の三つ子の魂はお座敷になってしまった。私は病院に毎日のように連れて行かれたから、三つ子の魂は病院の匂いだが、今は180度、逆になって、死んでも病院には行かなくなったので、化粧品被害、左肩の怪我、右顔面落下、全部、違和感が残った状態放置、それでも絶対、病院には行く気が失せた。脱会した宗教も行く気力が全くわかない。「世界平和の祈り」すら、顔面がおかしくても、それでさえも祈りで、治そうともしなくなった。しゃーない、なるようにしかならんわ!受けて立とうになってしまった。
上の写真の光の右下が曾おばあさん(おはまはん)と左写真の女官は似ている。同一人物?
上の写真の立っている女の子が私の母です。次女でした。
両者が同一人物だとすると、点が線で結びつく。
今日おはまはんの写真と、大正天皇に想われた山川三千子の写真を比べてみた。なんかそっくりな気がする。女官、山川三千子と私の顏は似ている。だから、母が'あんたを見ていたら、おはまはん(ばあさん)を思い出す’と言っていた意味がわかった。決して先祖は良い事をしたわけではない。でも、私に先祖の1ミリ単位の研究をした精神だけは、受け継がれ誇れると思っている。まるで、両親が私の為に亡くなって、ようやく成せた、たった一つの良い事である。これだけで精一杯、後は楽しくエレクトーンでも演奏します。疲れました。
私なりに、探っているだけである。アシカラズ♡
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