Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「自分は正しい」か

2019-11-26 23:01:58 | ひとから学ぶ

 今日もまた、9台が青信号を通過していった。「経験値」で記したとおりの通過台数である。そして10台目だったわたしは赤信号で止まった。後ろから接近してきた車にとってみれば「行きたいと思ったかもしれないが、すでにわたしのところで信号は「赤」になっていた。ほぼ計算通り9台通過なのだが、ちょっと9台以内の車が速やかに運転してくれたら、10台や11台といった車が通過できるのだが…、まあ仕方ない。まだ「9台行ってくれた」だけでも良い、とも思わない位置にいたから、わたしにとってみれば、6台でも5台でも良かった。でもそうしたことが積み重なって渋滞が起きていく。無理に前の車に接近すれば、逆嫌がらせされかねないし、いっぽう後ろから追い立てられることもある。正直言って「どうなっているんだ」と思うことは、運転に限っている。

 仕事でお客さんのところに行った帰り、前を走っている車がどんどんわたしとの車間を広めて行く。ようはわたしより「速い」。信号で止まって、様子をうかがうと、「女性」だ。女性ただらと差別視しているわけではないが、わたしとの車間を広げていく状況に、いろいろ考えるネタにはなる。うかがうと、比較的若そうな女性。ハコバンから見て、業務上の車、もっといえば、雰囲気から公共系か。かなり前方の信号が黄色から赤になったのに、直近の信号が青になった途端にわたしから離れていく。結果的にブレーキを踏むのは歴然としているのに、離れていく空間に無駄な空間が広がっていく。「なぜ」と思わないのだろうか。そこまでして前のめりになる理由は何なのか、わたしにはわからない。

 前の車に接近すれば逆ギレし、前の車との車間を取りすぎると、追い立てる。この時代の運転意識をうかがうと、「追い越し」できないのも無理はない。ようは追い越すと「安全ではない運転」と捉え煽られかねない。でも追い越ししないくせに、前の車には「速く行け」とばかり接近する。「こいつら頭おかしいんじゃないか」、と思うが、彼らは「正しい」と思っているに違いない。

 追い越し自由な高速道路上では、近ごろ合流部において、前を走っていても、走行車線を走ってきた車が空いている追越車線に車線変更しない車が多い。ここでいう「前」とは、例えばインターやサービスエリアから本線上に合流しようとした際に、走行車線の車より前を走っていても、という状況だ。もちろん多くは前を走っていても走行車線の車の方が速く走っていることが多いから、そのまま走行車線に合流すると走行車線を走っていた車にふづかりかねない。したがって、合流しようとする車は、速度アップしているにもかかわらず、ブレーキを踏んで走行車線を走っている車を先に行かせなければならなくなる。「危ない」と思うことは度々。とりわけ大型車が、こういうケースで道を譲らない。


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