Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

続々〝かにかや〟

2017-02-08 23:15:32 | 民俗学

続〝かにかや〟 より

 

「かにかや」の重ね貼り

 

「蟹柊」

 

 昨日ヒイラギに鰯の頭を刺して玄関先に掲げていることに感動したと記した。実はヒイラギに鰯というのは全国的に行われている節分の風習でウェブ上で「ヒイラギイワシ」と検索すると「かにかや」など比較にならないほど関連記事がたくさん登場する。イラストなどにも柊に鰯を刺した物がいくつもあったりしていかにメジャーなものかよく解る。ところが実際のところこのあたりでそれを実践されている家は少ないし、わたしの子どものころからの経験上でも実見したことはなかった。むしろマイナーな存在である「かにかや」の方が当たり前の存在だったというわけである。

 今日も「かにかや」を意識して車上からうかがってみたのだが、やはり松川町上大島ほどその姿を見られる地域はないといっても良いのかもしれない。ちなみに『長野県史』民俗遍第二巻(ニ)南信地方 仕事と行事(長野県 昭和63年)にある「節分」の項から紙に文字を書いて貼るという事例を拾って分布図にしてみたものが下図である。前々回に節分に戸口に出す物としてこのあたりを中心に伊那谷の事例をいくつもあげたわけだが、『長野県上伊那誌』の伊那市山寺の事例に十二書きを節分にする事例がある。これを紙に書いて貼ったという例が富士見町に見られるが、十二書きは小正月に実施するところが伊那谷中部から南では普通だ。そして「かにかや」は上伊那郡南端の飯島町から喬木村まで、「かにひいらぎ」が飯田市、「かに」のみのものが阿智村から下條村といった分布を示すがあくまでも『長野県史』のみのデータによるもの。前々回の事例などからも解るように上伊那南部から下伊那北部でのみ見られる「かにかや」と言える。

 

 

  さて、上大島同様に県道飯島飯田線を通勤で走っていたら、別の地域でもわずかであるが節分に貼ったと思われる紙片をみつけた。高森町上市田でいくつか発見したわけであるが、ひとつは「かにかや」、もうひとつは「蟹柊」と書かれたものだ。前者の事例では並べて「柊」という紙片も貼られていて、このあたりでは「かにかや」だけではなく「かにひいらぎ」が混在していることが解る。ちなみに「蟹柊」と書いた紙片を貼られている方を訪ねると、このあたりでは「かにかや」と書く事もあると述べられた。さすがに「ほかに何かされますか」と聞くと「豆まきぐらい」と答えられたわけで、ヒイラギに鰯を刺して掲げるということはしなかったようだ。このお宅では北側の道に沿った木戸にも同じ「蟹柊」が貼られていて、まさに魔除けとして実施されている。街道筋ということもあって大きな農家という雰囲気もなく、わたしの予想通り、魔除けという意図からすると人によっては毎年必ず繰り返し実施されていると思われる。「節分」でも触れた通り、この県道を走っているとツノダイシを貼っている家が多い。前回触れた上大島の大場さん宅でも玄関先に2枚ほどツノダイシが貼られていて、やはり元善光寺のものだったが、みな元善光寺の節分会のものかと思うとそうでもない。高森町山吹あたりでは山の寺のものや光明寺のものが貼られていた。ところが上県道沿いではそれらをよく見かけるのだが天竜川沿いの下段に下りると姿は消え、対岸の豊丘村あたりではツノダイシの姿もすっかり見られなくなる。そもそも「かにかや」の姿は上県道沿いで見ることはできたが、そのほかの地域では幹線道路沿いではまったく見られなかったし、竜東では細い路地に入ってみてもまったく見ることはなかった。自然分野ではレッドデータブックというものがあるが、まさに年中行事はこうして見ていくと絶滅危惧種のものが多いのではないかと想像する。

 

 

 節分に戸口に魔除けを貼るということ へ

 


コメント    この記事についてブログを書く
« 続〝かにかや〟 | トップ | 節分に戸口に魔除けを貼ると... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事