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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

節分に戸口に魔除けを貼るということ

2017-02-09 23:58:38 | 民俗学

続々〝かにかや〟 より

 戸口に掲げられる魔除けについて「かにかや」を中心に触れてきたわけであるが、松川町上大島の大場さん宅においては、前述してきたようにヒイラギに鰯を刺したものの他にも庭先で臭の出るものを焼いていわゆるコトヨウカのコトエブシのようなことも行っており、ここに豆まきを加えれば4重の魔除け行為を実践する現在ではたいへん貴重な事例と言えるのだろう。「昔からやっていたこと」と大場さんはさらりと述べられたが、それをみな廃棄してきたのがわたしたちである。とりわけ世代が変わるたびにそれは進行してきたのだろうが、大場さん宅では次世代にも受け継がれることだろう。その理由に専業農家であるというあたりも関わるのではないだろうか。

 昨日示した図は『長野県史』民俗編第二巻(ニ)南信地方 仕事と行事(長野県 昭和63年)から作成したものなので、南信のみを対象にしている。ではそれ以外の地域はどうかというと、戸口に紙に文字などを書いたものを貼るところはほとんどない。富士見町のように十二書きを紙にして貼るところは若干あるようだが、文字を書くところはほぼ皆無。そんななか、小海町親沢では「子供の手形をとった半紙を戸口に張る。ほうそう除け、はしか除けになるという。」(『長野県史』民俗遍第一巻(ニ)東信地方 仕事と行事(長野県 昭和61年 443頁)事例が唯一報告されている。ということで、節分に紙片に文字を書いて戸口に貼るという習俗は全国的に見てもたいへん珍しいことが解る。『長野県史』民俗編第五巻総説Ⅰ概説(長野県 平成3年 499頁)にはこのことについて「南信の上伊那南部などでは「かに かや」などと書いた紙を神棚や建物の入り口に張り付ける。」と記されている。上伊那南部などとあるように、ここでもこの地域特有の風習であると捉えている。

 「かにかや」から「かにひいらぎ」、あるいは「かに」の事例を図示したわけであるが、今日もこの図示された下條村の現場に行く機会があったので、いまだそうした事例が現存しているかどうか様子をうかがってみた。しかしながらたとえば古い立派な家が立ち並ぶような県史に報告された地を訪れてもそれらしい家はまったくなかったし、その途中の阿智村においても見かけることはなかった。飯田市久米や箱川、あるいは山本南平あたりでも同様で、これら地域ではそもそも戸口にツノダイシなど魔除けの貼り紙もほとんど見られない。そもそも県史の事例は昭和時代の調査をもとにしたもので、その際のデータも過去に行なわれたという事例が多い。たとえば図示した飯島町の事例でも石曽根の事例には昭和30年ごろまでと示されているし、中川村大草の事例にも昭和15年ごろまでと示されている。現在も行われているのは、かなり希少ということである。


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