Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

人生の帰る場所

2007-04-08 08:36:32 | ひとから学ぶ
 飯田市の真宗大谷派善勝寺の発行する『慈窓』最新号(4/1号)に、「人生の帰る場所」という記述がある。「もっとも幸せな人とは、帰る家があり、迎えてくださる親のある人です」と。そして、「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなるお手々つないでみな帰ろ、カラスと一緒に帰りましょという童謡は、日本人なら誰でも知っている歌です。この歌は日本人だけが持つ夕暮れに思う気持ちを歌ったユニークな歌だそうです」と続けている。

 「帰る家がある」、そして「迎えてくれる親がいる」、そんな構図が確かに穏やかな人生なのかもしれないが、今やそうした構図が一般的、あるいは常識ということはなくなった。いつのまにかそうなっていて、今や家へ帰ることが幸せだと思わない人も多いかもしれない。毎日のことではなかったが、飯山に暮らしたころ。その当時はまだ土曜日は休みではなかったが、半ドンだったから昼を迎えると実家へ向って約180キロの道のりを帰ったものである。高速道路というものはその道のりのうちの、たった40キロほどしか開通しておらず、もちろんそれだけの道を利用することもなかった。約5時間近い道のりをただひたすら運転したのである。帰れば夕方であり、ほぼ丸一日を自宅で暮らすと、すぐにまた飯山への長い道のりをたどる。若いということもあるが、だからこそそこまでして帰らなくても、その地で休日を過ごすという方法はあったはずだ。にもかかわらず帰ることを選んだわたしは、まさに冒頭の言葉にあるように、帰ること、迎えてもらうことが幸せだという意識があったからだ。現実的には車を運転し始めたころだから、そんな運転をする目的として帰宅することが意味があったのかもしれないが、転勤で自宅から通える場所を望んでいたわけだから、やはり自宅へ帰ることに意味があったわけだ。

 今の若い人たちで、そんなことを毎週繰り返す人はわが社にはいない。それが家への思いがなくなったということにはならないが、家がどれだけ意味あるものなのかは、わたしの思いと異なることは確かなようだ。かつてのそんな暮らしは毎日のことではなく、週一のことだったが、同じように今も、単身赴任すれば、週末に必ず帰ることがわたしの当然な家への思いだった。そこまで執着する人はそれほどいないかもしれないが、もし幸せとは何かと問われれば、帰る家があって、もちろん帰ることである。飯山から帰った時代とは異なり、今は親が迎えてくれるわけではない。しかし、どこか親が迎えてくれるという世界は、「人生の帰る場所」という言葉が似合うし、そんな気持ちを持ちつづけたいものである。

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