こんな時に使いたい、
そう思って買った道具が、
一度も使われずに物置に置かれている。
そう気がついただけ「良いのかも」
と、思うが
気がついたから初心に戻るわけでもない。
再び
その存在が記憶から失われるのも
時間の問題。
存在感などいうものは、
第三者の発声でどうにでも変わる。
良い例は、報道か。
ちまたには人知れず日々生きる人々多数。
名前など検索しても何もヒットしないのが当たり前。
どのような操作があれば、
報道され、
どのような生き方なら褒められるのかも、
すべて第三者のなせるもの。
介在する人、
いなければ人知れずあの世に参る。
「使える」と思ったのに、「使えなかった」
モノを買う、とはそんなもの。
「買ったから」といって想像通り
とはゆかないのが常だ。
存在を忘れてしまうのも、
忘れずとも利用価値に値しなかったのも
それぞれの、わたしとの縁。
「縁がなかった」とは、
行動の後の知らせ。
結局
記憶の装置の中で
浮き、沈みの
出来事。
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