御柱祭の飾りに使うソヨゴを採りに中川村の銭方面にでかけた。以前「風三郎になった」という日記でソヨゴのことについて触れたことがある。山作業の際に「ソヨゴは伐らない」ということをみな口々に言うものの、下草刈の補助金をもらうために、林床の残木を伐っていった。それにはソヨゴも例外ではなかったわけで、祭りに榊の代用として使われるソヨゴにとっては悲しい事実でもある。6年に一度行なわれる御柱祭では道端にたくさんのソヨゴが飾られる。そのためにできるだけ山にソヨゴを残したいという気持ちは、この地で御柱祭に生まれたときから関わり、ずっと暮らしてきた年輩の人たちに強くある。そんな思いはあっても、いざとなればソヨゴを大量に集めるともなると厄介なこと。今回は中川からこの地に移り住んだ方の山に入った。意外にもこの町にはそうした山間から出てきて住んでいる人たちがけっこうたくさんいる。そして従来の山間にあししげく通い、耕作なり山を利用している人たちがいるのだ。そんな方たちの力を十二分に使うことになる町の飾り材の調達。まず足を踏み入れることなどほかではないような山間に入り、そこから眺めた赤石岳は、一段と新鮮だった。家が今も点在して急斜面に残るが、ここにふだん住んでいる人は今はいない。しかし、そう遠くないところに住んで、この山の中に通うという生活スタイルも悪くはない。山間でゆったりと暮らす方法として贅沢な方法かもしれない。
さて、先ごろ発行された『伊那民俗』80号(柳田國男記念伊那民俗学研究所)の巻頭には、所長の野本寛一氏の「民俗学の座標」という提言というか会員向けの「お言葉」が掲載されている。わたしにはどうも理解できない言葉なのだが、そもそも「民俗学の座標」とは何なんだろうか。野本氏はこの地で展開される民俗学に意味があることとこれまでにも繰り返してきた。しばらく前に「地域を考える」という日記を何篇かに分けて書いた。その発端は常民大学合同研究会というところが編集した研究紀要だったわけだが、野本氏は「常民大学は、後藤総一郎の主導展開になるもので、生活者の学び、それも、柳田國男の著作を深く読みこみ、思索し、討論し、自己啓発を重ね、郷土とこの国のあり方をよりよいものにしていこうという目的を持っていた」と言う。アンダーラインのあたりはとくに理解しにくい部分で、果たして目的を少しでも達成できているのか、あるいはあまりにもその主旨のに対して本質を見失っていないか、というのがわたしの印象である。さらに野本氏は「中央構造線ぞいの谷、南アルプスの聖岳・兎岳などを眼前にする谷、ここには古層の民俗が伝承されているのだが、同時に、現在、この国がかかえている様々な問題、例えば、過疎化・少子高齢化・地域格差・鳥獣外の深刻化などが露呈されており、座視できないという思いを深くした」と述べ、続けて民俗学の批判を痛烈にしている。野本氏の批判は見事なのであるが、その批判の土台にこの地の民俗世界を持ち込んで説明するのは筋が通らないとわたしは感じるのだ。
続く
この赤石岳には大学生の時、登りました。
幾重にも重なる谷間の底には小渋湖という人工湖があるんですね。
さて、民族学のことは良く分かりませんが、昔よく母親に「もっと慣行しなさい!」と言われました。この言葉には何か「現状の悪いところを改善してもっとより良い習慣あるいは対応をしなさい」といった意味合いがあったように思います。民族に関するそういった部分と、国の政策や資本主義的な効率性に動かされた部分を混同して考えると本質が見えてこないように感じますが、いかがなものでしょうか?