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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

明治初期村絵図に見る空間認識①(描かれた図から見えるもの㊱)

2025-05-23 23:57:29 | 民俗学

描かれた図から見えるもの㉟より

 

 

 『長野県上伊那誌』の「現代社会篇」の付図のうち、明治時代に描かれた図からその図の描き方が山を上にしている傾向を見いだしたことにより、それら明治初期の絵図に着目してしばらく検討をしていくこととする。

 その1回目は、とくに従来から「木曽山脈」という象徴性の高い山々を図上に描く空間認識に気づいていたことから、上伊那地域のそれら図の方向を一覧化してみた。その上で地図化したものがここに示したものである。これらも「民俗地図」のひとつとわたしは捉えている。

 NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブに公開されている「明治初期の村絵図」は、『長野県町村誌』に取りあげられている明治8年ころから数年の間の自治体ごとに整理されて付図1枚が添付されている。それらの図を閲覧し、図の上下を判断したわけであるが、例えば現伊那市にある「美篶村」の図を開くと、表題である「筑摩県第拾六區七小區伊那美篶村 全村略図」は東向きに書かれている。しかし凡例は北を向いているとともに、図の中にある地名などの記載方向の多くは主たるものが北を向いていることから、この図の図上は「北」と判断した。これら絵図の書き込みは、図上を意識せずさまざまな描き方をしていて、どちらが図上か判断しづらい例も見受けられるが、基本的には①表題、②凡例、図の中の地名など記載方向、といった三つの条件を総合的に捉えて判断することとした。とくに判断する際には凡例の方向を第一とし、それでも図の全体的な向きに違和感がある際には、凡例以外の表記から図上を判断した図も稀にある。

 こうして図上を判断したものを例のごとく長野県民俗地図に落としてみた。ここでは小原稔氏が作成した『長野県町村誌』の長野県町村誌地点v0.gpkgデータを利用させていただいた。

 図を見ればすぐに解ることは、天竜川西側では、ほぼ西向きの図で占められている。唯一宮田村が南向きというのはなぜなのか不明であるが、現辰野町にあるかつての村を除くと木曽山脈を図上に表しているのである。また天竜川の東側に目を移すと、その向きは逆転し伊那山脈を図上に描いている。そのいっぽう伊那山脈の東側の谷、いわゆる中央構造線の谷の村々はなぜか「北」向きとなる。いずれにしても、「山を上に描く」という確率は高いことが言えるわけである。

続く


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