明治初期村絵図に見る空間認識②(描かれた図から見えるもの㊲)より
少しずつ範囲を広げていくつもりで図化を進めている。3回目は木曽谷の村々を加えた。実は木曽谷の村絵図は掲載数が少ない。したがって記号を落とせない地域がけっこうある。とくに木曽谷南部は空白地帯になってしまった。とはいえ、見ての通り、規則性がない。あえて言えば木曽川に沿って上流を図上にしている村が図から5村ある。確率からいけば高いと言える。王滝村と三岳村は御岳山を図上にしているとも見えるが、実際の図を見る限り御岳山を意識しているようにもうかがえない。やはり伊那谷とは意識風異なると言えなくもない。
なお、今回の図には主な山々を落とし込んでみた。山を意識しているというわたしの観点に合わせれば「山がなければよくわからない」と、自分でも思った。そこで主だった山を落とし込んでみたというわけである。繰り返すが、山を意識する人々=伊那谷、と言えそうである。裏を返せば山を図上にしていない地域の人々は、少し伊那谷の人々と意識がことなる人々かもしれない。
いずれにしても今回の図を見て「おもしろい」と思ったのは、木曽谷の木曽川上流を図上にするという意識だろう。
続く
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