会社の入社して数年までの若い人たちが、「研修」という名のもと姨捨へ行って田植え体験をしてきた。姨捨については、20年も前に「棚田の保全」で触れたのが最初だ。その5年後に「棚田」を記し、2018年にも「文化財の行方」にも少し記した。かつて長野勤務時代に姨捨の棚田にかかわった。水路整備もしたが、果たして「これで良いのか」などと当時は考えた。
「どんな田植をしたの」と会社の若者に聞くと、綱を張って横一線に並び、一株植えると綱を下げて(後退)綱に沿って植えたという。いわゆるかつての縄植え方式の植え方である。一株ずつ植えて綱を移動するというのでは、手間がかかる。思わず「なんていう暇な…」口にしてしまったが、現実的に手植え時代に行われた方式であることは確かである。ただしこの植え方はあまりメジャーではないと、わたしは思っている。そもそもわたしはそのような手植え方法の体験はない。もちろんわたしの年齢では、子どものころ田植を手で行ったのは当たり前。しっかり田植え経験がある。そのころの植え方は筋植えだった。ようはあらかじめ水田の地面に筋をつけて、その筋に沿って目見当で植えていったもの。したがって横から見れば揃ってはいなかったと思うが、一定間隔があれぱ、横は揃っていなくても良いはず。したがって綱に沿って横一線というのは、時間ばかり要して面倒くさいこと。目見当で縦方向、いわゆる畝だけ通していったほうが圧倒的に早い。ちなみに縄植えについて『長野県史民俗編』第四巻(二)北信地方「仕事と行事」の「田植え」には、稲付(上水内郡信濃町)の事例に次のように書かれている。
ナワハリの場合は、両端に縄を張る人がいてはい、はいと声をかけながら植えさがる。
さて、会社で田植えの話をしていた際に、飯田から通っている若者に「手で植えたことあるの」と聞くと、植え直しをするから経験があるという。ようは機械で植えたあとに株が薄ければ追加したり、また植わっていないところがあれば植えたりすることを「植え直し」という。ところがこれを盛んに今でもするのは下伊那くらいで、ほかのところではもうしなくなっている。もちろん全てではないが、「植え直し」と言っても意味が解らない人たちが多くなった。経験かないから当たり前である。
今日は午後休んでホンジロをした。場所によってはアゲシロと言ったり、ウエシロと言ったりする。最初にする代掻きをアラジロといって、田上直前の仕上げの代掻きをそう呼ぶ。今年の我が家の田植えは6月に入ってしまう。このごろよその田んぼを見ていると均平でない田んぼが目立つ。我が家では相変わらずホンジロの後に木のハシゴを引く。トラクターによってできた凸凹をハシゴを引いて均すのである。これも下伊那ではまだ見る光景である。