前回は木造石造の別なく伊那谷にある十王像について群をひとつとして数えて図に落とした。今回は石造に限ったうえで、その石質が推定できるものだけ石質別に図化してみた。下伊那地域については岡田正彦氏の「南信州の十王信仰と十王堂」(『伊那』伊那史学会)から石質を引用させてもらっている。以前に自然石道祖神について触れた際にも言ったことであるが、石造物の石質にまでこだわって報告されたものはほぼないといってよい。したがってその石質を知ろうとするなら、あらためて調べて歩かないとわからないわけである。そうしたなか、岡田氏は下伊那の十王については石質を報告している。ありがたいことなのだが、いっぽう上伊那についてはもちろん石質を記したものはない。したがってできうる限り訪ねてみたが、鍵が掛かっていて遠目でしか望めないもの、あるいは完全に閉じ込められていて姿も拝めないものもあって、そうしたものについては図には落とせなかった。また、石質を判別したものの中にも怪しいものはある。なぜかと言えば、苔むしていて表面が変色していて実のところはっきりしないものもある。安山岩質については、表面に気泡のようなザラザラがあるためおおよそそれと判断できるが、遠目からはわからない。したがって図に落としたモノの中にも違っているものがあるかもしれないのは、了解いただきたい。
これらの石造物、削ってみれば良いのだろうが、そんなこともできない。一番良いのは十王は小さいことから、固定してなければ、ひっくり返して底面から石を見てみると最もわかりやすい。したがってそれができないものはあくまでも推定である。以前にも記したが、安山岩は黒色であり、黒っぽい十王は安山岩質と思いがちである。ところがよく見ると違う。例えば伊那市羽広の仲仙人寺の十王堂内に安置されている十王は、一見安山岩と思ったが、よく見ると違う。この一帯には同じような石質のモノが見られるが、黒色がかっているのは、もちろん含有鉱石のせい。若干緑がかっているので、三峰川上流の緑色片岩かと思ったが、それでもない。広義の花崗岩に含まれると言われる花崗閃緑岩と思われる。ただ花崗岩のように白くはない。かなり黒っぽい。
図からわかるように安山岩質の十王は伊那谷全域にあるが、西部、南部にはそもそも十王像が少ない。前編で示した図とともに見て欲しいのだが、下伊那地域は木造の十王が多い。それでも安山岩の十王が多く存在し、いっぽう上伊那では安山岩のものも多いが、花崗岩質のものもそこそこ存在する。上伊那では花崗岩を採取しやすい。いっぽう下伊那にも花崗岩は産出されるが、いわゆるふつうの花崗岩は少なく、良質な石材は少ないかもしれない。ようはそういう環境から木造の十王が多いのではないかと推定する。図には安山岩地質の場所を示した。伊那谷には辰野町の北縁にわずかながら安産が見られるが、あとは八ヶ岳山麓である。また南を望むと、東栄町の西部に若干安山岩質の一帯があるようだが、それ以外には見られない。したがって安山岩の十王の石材は、諏訪地域から搬入されたものではないかと、想定する。
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