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下諏訪町東明館西の道祖神と第六天

2018-05-31 23:32:29 | 民俗学

 平成元年2月4日に表記道祖神と第六天を訪れている。当時は和田峠越えを頻繁にしていたから、下諏訪あたりを訪れるのはよくあることだった。この道祖神と第六天のこと、実はずいぶん前にこの日記で触れていた。「大六天」と題した日記は、2006年1月22日のものだ。さすがに2005年から始めて、ほぼ毎日記録してきたから、内容の重複は当然あるし、そもそも「下諏訪町東明館第六天」と検索したら、自分の記事が登場して、「なんだ昔書いていたのか」ということになった。なぜ「第六天」ではなく「大六天」なのかは、その記事で触れている。大六天の魔力をいかんなく発揮しようと考えたのか、「道祖神」を男根形にしているあたりも、意図が見え隠れする。そして『遙北通信』へ下記のような記事を掲載した。

 

下諏訪町東明館西の道祖神と第六天 (「遙北通信」第78号 平成元年2月19日) HP管理者

 諏訪大社下社秋宮から、国道142号線を和田峠方面に向かうと、まもなく右手に来迎寺がある。この西側に車道があり、右折して30メートルも登ると東明館があり、この裏に男性器を象った道祖神がある。高さ75cm、径30cmほどのもので隣には新調された男根も祀られている。

 男根型の道祖神は、他に秋宮南の久保にもあり、かつては茅野市金沢青柳にもあったが、盗難にあっている。

 また向かって左隣には「大六天」の自然石に刻まれた碑がある。一般的には「第六天」といい、修験道で山伏、特に聖護院を中心とする本山派の人々の信仰したものである。三界のうちの欲界の最高所第六天に住する天魔で、身の丈二里、人間の千六百歳を一日として一万六千歳の寿命をたもち、男女に自由に交淫し受胎させる魔力をもち、『他化自在天』とよばれるように、他人の楽しみを自由に自分の楽しみにしてしまう法力をもつという。こんなとんでもない魔力をもっているから、その力を信じて余沢にあずかろうと信心したのである。

 この第六天は神道の方では天孫六代目にあたる面足(おもたる)・惶根(かしこね)の夫婦神ということであって、土俗的には道祖神に通ずる面もあるようである。

 祭祀対象としては、おもに信濃、甲斐、相模、武蔵、上総、下総と、一部東北地方に分布する。石造物は石神や文字塔が多く、像塔は希である。神奈川県鎌倉市小動・小動神社には丸彫りの像塔がある。古い遺品としては、千葉県君津那袖ヶ浦町蔵並の観音堂に、正徳3年(1713)造立の石神がある。

 下諏訪町には他に赤砂に文字碑が、岡谷市小井川に4基の文字碑がある。この小井川の山倉第六天にはおもしろい話が伝わっている。安政5年(1858)この村にコレラが流行した時祈念のために建てたもので、その時の名主、両角継次郎日記に、「八月ヨリコロリト云フ病気流行敢シ、依テ神倍心二テ是ヲ除キ度クト、四小路二第六天ノ供養ヲ建テ、ヨク信心スル」とあり、おかげで小井川村に人の種が尽きずにすんだという。

 東明館裏の大六天と道祖神を祀る場所を「金精様」と呼んでいるが、どちらかというと男根を指して言っているのであろう。しかし、どちらも金精様にふさわしい信仰遺品である。

平成元年2月4日撮影

 

 記事にもあるように、こうした男根形の遺物が盗まれる例は多かったことがわかる。この男根も根元をしっかりとコンクリートで固めてあった。そもそも、盗んでいって何に使うものなのか。

 


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