Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

育ちと立ち位置

2010-06-24 12:21:40 | ひとから学ぶ
 人それぞれ境遇も、そしてその人の能力の差や性格の差があって一概には言えないことなのだが、おそらくそれぞれで自らの地域を位置づけて、自らが暮らす上での他の地域とのかかわりを、位置情報的に育んでいるはず。共通情報ではないから、その人個人に確認しないと解らないことである。その情報を自ら発信してくれると共感したり、その違いを理解できるものであるが、「やはり」という具合に同じ意識に出会うと、けっこう納得してわくわくするものである。何度も書いてきたことではあるが、わたしは上伊那南部の郡境に生まれた。中央ではない周辺域は、どうしても性格的に表に向かわせないもの。そんな意味ではスポーツなどはそれを覆す精神を育ませてくれるものなのだが、現実的には周辺域の子どもたちはなかなか中央の子どもたちの勢いには勝てないもの。そういう現実に自分の立ち位置を認識させらた子どもたちがたくさん世の中に成人してくるのだから、当然おとなの社会であっても同じ位置が確立されていく。ようは育った環境から抜け出せずに、自分の位置は生まれた時から「決まっている」という印象を持って一生を終える人も少なくないはず。しかし必ずしもそうでない人もいるし、だからといってどの分野でもトップに立っている人が中央の人であるというわけてはない。

 先日もかつて『伊那路』に掲載された多様な記事について触れたが、その中に「諏訪中学と伊那学生」(『伊那路』26-1 昭和59年 上伊那郷土研究会)というものがあった。タイトルを見てすぐに感じたのは諏訪中学、ようは現在の諏訪清陵高校と伊那の高校生の立ち位置みたいなものを触れているのではないかということだったが、実際は筆者自らが諏訪清陵に通い寄宿舎でくらしたなかで、伊那出身であるという意識を持って感じたものを描いたもので、少しわたしの期待とは外れた。とはいえ、「やはり」と思う部分もあるわけで、そんなところをここで少し触れてみたい。この文を書いた中村富治氏は文面から読み取ると中村寅一氏の弟さんのようだ。『村の生活の記録』などを著した中村氏は、「柳田・折口体験をへて有賀喜左衛門らとともに、民俗・歴史・社会学を総合した地域史をめざした信州伊那谷の先覚者」である。その兄に勧められていたこのタイトルで文を著す前に、中村寅一氏は亡くなったという。「伊那路」300号を記念したこの紙面に、かつて勧められていたこのテーマを取り上げたわけである。諏訪中学と伊那の学生たちという位置をその経験から記述しているわけであるが、そもそも先ごろも触れたように「諏訪の温泉にはよく連れられていった。湖畔の湯宿で数日すごすのが、当時の農家にとって定まりのようで、松本方面への温泉にもよく行った」という表現に、きっとわたしよりは半世紀ほど年上だろうものの、わたしの時代イメージよりは新しさをその家族行動に見る。ようは我が家では半世紀も後なのに、「温泉に行く」などという娯楽的発想はまったくなかった。ここが中村氏の父上にして松本の中学に通ったという素性の大きな違いの表れかもしれない。だから育ちが大きく異なるから、そこに共感などというものが「生まれるものか」などと思うのだが、そうした育ちを考慮しなくとも、どこか同じような意識が表れていることを知る。

 中学が伊那にはなく、諏訪か松本、南なら飯田という時代であるから、中村氏のように現在の辰野町平出なら諏訪が最も近い。汽車通学ができない距離ではないものの、寄宿舎に入るというのが筋道のように決まっていたのかもしれない。「平出あたりの者は、どっちかというと伊那の中央よりは諏訪の方がなじみがあった」というあたり、もちろん距離感からいっても中央線が走っていたわけだから諏訪の方が便利で近かったに違いない。そう考えると方向性が北に向かっていたとしても不思議なことではなく、諏訪圏域だったと言っても差し支えないほどだったのだろう。ところが寄宿舎に入るとそこに集まっていたのは通えない子どもたちだったから伊那の人たちが多い。初めてそこで伊那町の子どもたちと接した節がある。やはり外へ目を向けている人たちは、田舎には目を向けない。もちろん「こうなると諏訪人も伊那人もない。とにかく、どちらの出身だろうと、もう一つひろがった経験をもち、別の世界に出たのだ。よほど頑固なやつでも、いつか平均的中学生になったようである」と言う言葉から察すると、わたしのような地域意識のようなものはそれほど生まれていない。これが世にでる人と、地域でのん気に暮らしていく人の違いなのだろう、と中村氏の文面から察知したしだいである。あたらめて誰でも思う地域意識ではあるが、その程度はどこで暮らすかという目的て大きく異なって育まれるものなのだと知る。

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