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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

道祖神祭祀場所と自然石道祖神を結びつける

2024-03-13 23:36:05 | 民俗学

 先日「自然石道祖神数とサイノカミ」を記した。同様に自然石道祖神数と重ね合わせる図を探しているが、そもそも原典の違いが意図通りに表現できないということがわかってきた。それでも何とかしたい、というのが今の心持ちであるが、試行錯誤していくしかない。

図1 道祖神祭祀場所

 

 まず、自然石道祖神と、道祖神の祭祀場所に関連性はないか、と試みた。そこで『長野県史』の基礎データから道祖神の祭祀場所を分布図にしてみた。図1は記号をいろいろ選択しながら、どのような記号が表現上傾向が見えやすいかと試みたのだが、なかなかうまい具合にはいかず、このあたりがせいぜいだった。ようは分布に傾向が見えづらいデータということなのだろう。以前にも書いたことだが、長野県は高山があるためまんべんなく調査地点が分布するわけではない。どうしても谷の中、ようは川沿いに集落が分布する。したがって地図上には当たり前に空白地帯が現れてしまう。線引きしづらい地域と言っても良いのだろう。したがってその上で分布に明快な違いが現れるということは、それだけ地域性が表現された例と言えるわけだ。「自然石道祖神の祭祀場所」ではないため、自然石道祖神との関連性が示しづらいのは当たり前なのかもしれない。とりあえず、図2はその自然石道祖神の分布数の色分けをしたものを載せてみた。そこから特徴を見いだすのは難しいかもしれないが、あえていえば、ムラ境とかムラの入口といったところに道祖神が祀られている地域は、自然石道祖神が「多い地域」と無理やり当てはめることはできるのかもしれないが、「自然石道祖神数とサイノカミ」で触れたように、まだまだ修正が必要かもしれない。

図2 自然石道祖神数と道祖神祭祀場所

 

 繰り返すが原典が異なるため、次回は同じ『長野県史』の基礎データの中に示された自然石道祖神を図1と重ね合わせた試みをしてみようと思う。

続く


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