Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

衣生活の変化

2022-08-08 23:45:23 | 民俗学

 6月に「本日の成果」の中で、わたしが野良で仕事をする際の「格好」について触れた。若いころはもちろんだが、つい数年前までは何も考えずに、「夏なら半そで」が当たり前だった。もちろん今も半袖で仕事をしているが、草刈の際には腕を覆うようなアームカバーを利用する。したがって今年の場合、夏も残り少なくなったが、真っ黒に日焼けしているいつもとは違う。けして気を遣おうと思っていたわけではないが、年老いたせいもあって、「真っ黒はどうか」と思い、少しではあるが「肌を隠す」ようになった。

 今日も外出した際、道端で作業をされている、いわゆる土木作業員の人たちがいた。これも昔と変わったところだが、ヘルメットは必須だし、相応の安全対策をするのが、今の現場である。そのあたりはわたしの業界とは少し異なるが、とはいえわたしの業界でもヘルメット着用の姿はよく見かける。もちろんわたしはしていないが…。ヘルメットだけならまだしも、着衣に至っても安全管理されたものでないと、もし事故が発生した際に責任が問われる。よって真夏の炎天下でも、それだけでも見た目を「暑く」させる。そして今日見た人たち、けして年齢的に高い人たちではないが、長そで姿だし、顔をすっかり覆う、いわゆるアフガニスタンの女性のような、いやそれ以上にほぼ肌を隠している作業員が目に入った。周囲にいた人たちもほぼそれに近い姿。

 衣生活はもちろん昔と違ってきて当然だ。しかし、見た目はそれほど大きな変化を遂げた、とはこの半世紀思えない。しかし、何といっても「肌を隠す」という意味では、変化を遂げたのはここ10年くらいではないだろうか。女性は昔から隠す方ではあったが、男性の、それも若い人たちが「肌を隠す」ようになったと著しく印象を抱くようになったのは、それほど昔のことではない。とはいえ、まだまだ子どもたち昔のように「肌を隠す」という印象はそれほどない。息子の仕事着を洗濯物取り込む度に見て思うのは、半袖が少ない。若者の多くが炎天下でも長袖を着用するようになったことも事実。当たり前に「半袖」という時代は既に終焉を迎えた。その上で、今日見た現場の人たちを思い浮かべ、世間の衣生活の、というより意識変化を強く感じるところである。


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