中曽根北村
中曽根夫領
飯田諏訪神社
6日の例会の後、梓川のスマートインターに入るまでの間に、豊科の七夕の道祖神祭りの様子をうかがった。先ごろの真光寺での調査の際にも聞いていた七夕の祭りだが、できれば例会の前に訪れた方が「良かった」と思ったのは、例会後では逆光になってしまったためだ。
中曽根北村の道祖神に限らず、東を向いて立っている道祖神がこのあたりには多い。前述したように逆光というところが残念なところだが、道祖神の前、両脇に七夕飾りが立てられている。その前に太鼓も出されているが、コロナ禍ということもあって、子どもたちが参加する行事が控えられていて今回は使われることはない。笹に吊り下げられた短冊も、大人が書いたもののようで、ここでは子どものかかわりは今回はほとんどなかったようだ。幟旗も出されていて、旗には「普照乾坤万里春」とあり、昭和56年に新調されたもののよう。ちなみに道祖神は双体像であり、「明治二已巳年花見月大安吉日」とある。
同じ中曽根で道ひとつ西側の集落内にも道祖神が祀られている。「天保三辰年正月吉日 中曽根邑夫領中」と彫られた双体像は鳥居が彫り込まれた中にある。ここでは両脇に提灯が掲げられ、提灯の上には傘が掲げられている。提灯を雨から守るためか、それとも傘そのものに意味があるものなのかははっきりしない。
もう1か所、中曽根は拾ケ堰の北側にあるが、反対の南側の飯田諏訪神社境内にも七夕の飾りがあった。こちらはささやかな飾りであった。
梓川倭野々宮神社(令和3年7月31日撮影)
梓川梓新屋敷(令和3年7月31日撮影)
さて、実は七夕飾り型の道祖神の祭りは、昨年真光寺を初めて訪れた際に、その帰り道でも確認していた。旧梓川村の倭にある野々宮神社前に飾られていたものは、既に竹が枯れて茶色になっていたが、訪れたのは7月31日だった。ようは豊科と違って、祭りは7月7日ころに行われたのだろう。いっぽうそこから南へ行った立田と丸田境のあたりの道端にあったものは、まだ飾り付けてそれほど経っていないものだった。それらもここに写真を紹介しておく。
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