原村南原の道祖神より
平出一治氏は、平成3年2月1日発行の「遙北通信」107号へ、茅野市茅野町にある木像道祖神について報告された。石垣の洞窟のような祭祀場に通常道祖神は祀られていない。報告によると「別の所に奉納されていて」とあり、その場所について触れられていない。わざわざ造られた祭祀場は、1月14日のどんど焼きの時だけ利用される。よそでも道祖神祭りの際にだけ造られる祭祀場はある。しかし、そうした習俗を模倣してこうした祭祀場が造られたとも思えない。発想の原点にはどのようなものがあったものか。また、道祖神本体が木像というところも、他には例を聞かないもの(実際には松本市などに存在するが、この例とは主旨が違うだろう)。なぜこうした道祖神が祀られたのか、興味深いというか、世の中には多様な視点があるのだと気づかされる。
昭和の道祖神25
茅野市茅野町の木製双体像
茅野市茅野町は、中央東線の茅野駅の開駅で誕生発展してきた地区で、駅前とも呼ばれている。ここの道祖神場(祭祀場)は茅野町公会所の石垣内に設けられているが、道祖神は別の所に奉納されていて、普段はここに祀られていない。道祖神が祀られるのは1日だけで、それは1月14日の道祖神祭りどんど焼きの日である。
木製の丸彫りで男神が右、女神が左の並立握手像で、二神はややうつむきかげんで内側を向いている。像高は男神が大きく42cm、女神は41cmを計る。
銘文 (台 陰) 小川由加里刻
制作年月日は刻まれていないが、北原昭「路傍の神々 諏訪の道祖神五 山浦の道祖神(2)」(『オール諏訪』5)に、昭和23年制作と記載されている。
制作者の小川由加里氏は『一九九〇年版 美術家名鑑』(美術倶楽部)に、木彫、塑像、日展会友、日彫会員、元三部会員、師池田勇八、昭和56年投、享年71才とある。
なお、訪れたのが1月14日のどんど焼きの日で、「奉獻道祖神 昭和二十三年十二月吉辰 茅野町氏子中 神朝臣守家眞拝書(落款)」の幟が立てられていた。これからみると幟の制作は昭和23年12月であり、道祖神も昭和23年の制作で同じ年である。
準備をしていた若い奥さんが「ほかの地区の道祖神は、石で作られているのに、どうして、ここの道祖神は木で作られているのか。」と首をかしげていた。
祭祀場(撮影1990.1.14 平出一治氏)
木像双体像(撮影1990.1.14 平出一治氏)
※「遙北石造文化同好会」のこと 後編に触れた通り、「平出一治氏のこと」について回想録として掲載している。
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