Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

墓標代わりの桜

2015-04-15 23:53:35 | ひとから学ぶ

 本日の「南信州」新聞に「墓標代わりの桜満開」という記事が掲載された。「桜の樹の下で眠りたい」を記したからというわけではないが、タイムリーな記事である。先日阿智村駒場曽山の桜のことについて触れたが、同じ曽山の笹良雄さん管理の墓地で墓標代わりにしていた桜が咲いたという記事である。記事によると笹良雄さんのおじさんにあたる笹邦義さんは憲兵軍曹だったためフランス軍に捕えられ、戦争犯罪に問われ1947(昭和22)年8月12日の軍事裁判で銃殺刑になり、27歳で死去したという。邦義さんは兄弟に「私は何も悪くないのに銃殺刑を受けることになった。私の墓標は不要です。ただ父母の墓の傍らに桜の樹を植えて、私の墓標に代えてください」と遺言を残し刑に服したという。そして兄であった定義さんが生家の墓地の横にエドヒガンを植えて供養したのだという。定義さんが亡くなる1年前にそのエドヒガンは枯れてしまったというが、その後後継者である良雄さんがソメイヨシノを植え、根回りで70センチほどになった桜が今年も満開になった。遺言の「桜の樹を植えて、私の墓標」にという願いを今もって引き継いでいるわけだ。

 昨日も触れたように、現在でも桜の木を墓標にという思いに多くの人々が賛同するようだ。シダレザクラが墓地に多いという話もしたが、シダレザクラに限らず墓地に桜が咲く光景をよく見る。「桜の木のある場所④」で触れたように「シダレザクラはエドヒガンザクラの突然変異」と言われ、シダレザクラを植えたからといって必ず枝垂れるわけではないという。仏様が寄り代とするものに桜の木があたるのかどうなのか。いずれにしても、毎年必ず花を咲かせるが故に、桜が咲いたら故人を偲ぶ、そんな物語に日本人ならずとも惹かれるだろう。もちろん記事にされたということは、亡き者にとっては供養になるとともに、その意味を推し量る機会にもなったというわけである。笹定義さんは“エドヒガン”を植えた。枯れてしまった前代の桜が枝垂れていたかはわからないが、定義さんにしてみればシダレザクラを植えたつもりだったのかもしれない。


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