Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

再々「集金常会」のこと

2019-01-25 23:35:57 | ひとから学ぶ

 かつて「上伊那から下伊那に入ると明らかに畑作地帯が多くなるから、より上伊那に自治組織の縛りがあるのでは、ということになってしまうが、そうでもないからこの想像は正しくない。集金常会なるものは、どうも下伊那にいまだに残存しているようだから。」と「再び「集金常会」のこと」で触れた。しかし、それは違っていたことに気がついた。

 同僚に南箕輪村に暮らす女性がいる。彼女は40代で、18軒もあるという隣組の中で、最も若い世帯だという。彼女はその地に移り住んだ人で、新興住宅地に暮らす。その隣組には集金常会に等しい集まりが毎月あるという。妻の実家は天竜川東岸のいわゆる中山間地域。だからそれもありだと感じていたが、まさか県内でも人口が増えている数少ない自治体にあって、この集金常会なるものが存在しているとは思わなかった。区費や必要経費を毎月集めているようで、ここに暮らすにはけっこう費用がかかっているようだ。でも「住みにくいでしょう」と聞くと「住みやすい」と言われているから、それとは別のメリットがあるということなのだろう。それにしてもこの毎月の集まりは、彼女にとっても面倒くさいよう。他の地区でも同じような集まりがされていると言うから、彼女の隣組だけの特別なことではないらしい。

 この地域でいろいろそんな話を聴き始めると、けっこう驚くような事例を聞く。隣の町の新盆見舞いの話に驚いたのも昨年のことだった。聞けば聞くほど、わたしの暮らしている地域の「つきあい」の希薄さが浮き彫りになる。裏を返せばよそ者はそんなもの、ということかもしれない。同じ自治会に葬儀があっても、よそ者だから、本当に身近な人のところにしか義理はしない。半世紀前だったら違ったのだろうが、今で良かったということかもしれない。

 ちなみに南箕輪村のそうした社会生活はどうなのだろうと思い、『南箕輪村誌上巻』に記載されている社会生活を紐解いてみた。民俗編に記載されているが、記述は近世に遡るあたりから記述されている。したがって記述内容から戦前あるいはもっと古い時代のことという印象を受けるが、「今は」という記述もあって混乱しやすい。とはいえ時を明記した数値もあるから、印象以上に現代も捉えているのだろうことはわかる。昭和59年の区費が一覧されており、最も高額な大泉は年25000円。最も小額な大芝は7000円という。同僚の暮らす田畑は15000円という。同僚の組では年に夫婦参加の催しは、新年会とお花見だという。前掲書にも「近ごろ組単位のお花見が行われることが多く日帰りや一泊の親睦旅行がほとんど全体に行われている」とある。ちなみに同誌は昭和59年発行。当時とそう変わりない「つきあい」が、いまもって行われている地域は多いのかもしれない。それは、この地域に暮らす人々の口から聞こえる、さまざまな日常の「つきあい」からもうかがえる。


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