Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

サンヨリコヨリ

2019-08-07 23:28:17 | 民俗学

 

周囲を回る子どもたちではあるが、かつてのようにしっかりした行列とはなっていない

 

菅笠を被った2人の男は、太鼓を打つ

 

子どもたちに打たれる男

 

逃げ出す男を追いかける子どもたち

 

 8月7日、毎年この日、伊那市美篶の上川手と下川手の間にある天伯社において「サンヨリコヨリ」という行事が行われる。社は大棚機姫命を祀っており、両川手の産土神という。伝承では、高遠の片倉から流されてきた天白様を祀ったのだという。対岸の富県桜井にある天伯社もその際の分身と言われ、三峰川水系には天伯社がいくつも祀られている。その桜井の天伯社に神輿の渡御をするのだが、それは、三峰川を渡って行き来する。今でこそ三峰川は美和ダムや高遠ダムができて、発電や農業用水への水利用が進み、この時期川に流れる水量は乏しいが、かつては神輿を担いで渡るには困難なケースもあっただろう。

 行事についてホームページにで確認すると、午後1時ころ始まるとあったので午後の打合せに行く際に立ち寄ってみると、すでにサンヨリコヨリの行事は始まっており、終盤という段階だった。サンヨリコヨリは、行事内で唱和される言葉をとってそう呼ばれている。神輿の渡御に先立って、川手地区の子どもたちが太鼓を叩く役の2人の男(「鬼」という)を中心に、円陣となって神送りのような所作をする。手には笹竹に願い事を記した短冊を吊るしたものを持ち、左周りに3周回る。この時、「サンヨリコヨリ」と回る間唱え続けるのである。3周回り終わると、中心にいる男に向かって笹竹を打ち付ける。しばらく男は打たれているが、そのうちに囲みから逃げて行き、終了となる。この所作を3度繰り返すのだが、午後12時50分ころうかがうと、すでに3回目を始めるところであった。

 この神送りとも思われる所作が終わると、「神主・区長が先頭で、御輿・その台・五色の小幟十五本を、上川手・下川手より選出した各係が神酒を立飲みしながら行列をつくり、青田のなかの道を進み、三峯川の流れを渡り対岸の桜井につく。ここでは神主以下の出迎えがあり、御輿をすえ、幣束を社殿に移し祭式がある。このあと桜井の子供たちによって青柴の枝をもって、同様にサンヨリ、コヨリがあり、御輿はもとの路を還ってくる。」(『長野県上伊那誌民俗編』)というわけであるが、この日はサンヨリコヨリが終わったところでお暇した。

 ところで、七夕飾りと言えるこの笹竹について、終了と同時に場内放送があり、会場の脇に停めてあった2トントラックの荷台に載せるよう指示があった。子どもたちはその指示にしたがって、トラックの荷台に笹竹を載せていたが、これには少しびっくり。このサンヨリコヨリは昭和62年にも訪れているが、その際にはこのような光景はなかった。当時この笹竹の処理について確認しなかったが、もしかしたら、現在と同じようにトラックでどこかに運んでいたかもしれないが、会場の脇にトラックが用意されるということはなかった。この後トラックに載せられた笹竹がどう処理されるか、聞いてはみたものの、はっきりしたことはわからなかった。焼却場に運ぶとも聞いたが、確実な答えは聞けなかった。

 

昭和62年8月7日撮影

 


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