Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

飲み会後に電車で帰る人

2018-12-28 23:24:05 | つぶやき
 以前は電車で通っていた時期もあったから、こと飯田線のことに何度も触れたし、その利用のことについても多々触れたものだが、今は通勤どころか、乗ることそのものの回数も減って、偉そうなことは言えない立場にある。昨日は会社での「遅い」忘年会となって、もちろん帰宅は電車を利用した。そして今朝、再び電車に乗っている。
 
 とりわけ今年は利用回数が少ない。忙しいこともあって、飲み会が少なかったということになるのだろう。会社の同僚の中でも、飲み会後に電車を利用して帰宅するのは、わたしのみ。公共交通機関を利用して帰る人も、ほかにはいない。ただでさえ地方の人口が減っているのだから、わたしのような環境の者さえ電車を利用しなくなれば、飯田線の利用者が減って当然のことなのだろうが、かつて盛んに電車で通っていたころと、乗ってみて見える光景は、だいぶ異なる。
 
 以前にも触れたことだが、わたしが乗車する駅で、通勤時に電車を待つ人の姿は、当時(10年ほど前)は本当に数えるほどだった。2、3人といったところだっただろうか。そして電車に乗り込んでも、乗った車両に乗っていた乗客は数えるほどだった(乗車する駅近くに高校があるため、電車が着くと大勢の高校生が降りて、空いてしまうという光景)。もちろん好きなところに座ることができた。ところがこのごろは、乗車する駅にも10人ほどの電車を待つ人がいて、電車に乗ってもそこそこ人が乗り合わせている。ようはかつてに比べると、乗車客が多いという印象だ。印象ではない、確実に当時よりは多い。なぜなのか、と考えると、高校生がそのほとんどを占めることから、下伊那から上伊那の高校へ通っている子どもが、かつてより多いということなのだろう。当然のこと、かつてのように乗車しても好きなところに座るというほど席は空いていない。座れないということはないが、空いているところに仕方なく座る、という感じだ。かつて電車通勤をした際には、空いているという状況も、それを選択させた理由でもあったから、今の状況を見ていると、車で通勤を選択したのも正解だったのかもしれない。
 
 とはいえ、飯田線の絶対的利用者が増えたという印象はない。前述したように、会社の同僚で、飲み会後に電車を利用する人は皆無。1年に一度も飯田線を利用しない住民は、実に多いはずだ。

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