Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

再び、倉掛のヒャクマンベー

2019-03-24 23:32:09 | 民俗学

 

 昨日触れたとおり、かつて「倉掛のヒャクマンベー」について記した。そのヒャクマンベーについても、本日訪れた。当時も彼岸に近い土日に行われていたが、今年も中日ではなく日曜日に実施された。5軒で実施されていた行事だけに、「今はどうなんだろう」とこの季節が訪れる度に思っていたが、考えてみれば倉掛では女性が中心となって実施されていたので、男性だけで実施されている行事よりは継続する可能性は高い。今もって行われていると聞き、ホッとしたしだいだ。とはいえ、今年の当番の家を訪れると、奥様てから4年ほど前に1軒仲間から外れた話を聞いた。自家が当番だった年、「来年から辞めます」という話があったという。とくに行事の中心的な女性だっただけに、皆には少し動揺があったようだが、その後も続けられている。

 今年もあらかじめウマは当番の家のご主人が用意されていた。実際はご主人ではなく別の方が作られたようだが、以前にも記したように、当番になった年だけ男性は加わるから、作るといっても不慣れなところがあるようだ。以前にも触れた通り、集合時間に集まるととくに打ち合わせをするわけでもなく、各々人形を作り始める。女性であっても毎年携わっていることなので、手早いものである。やはり指5本はしっかり意識され細工される。厄落としの棒である「十二ヶ月の厄落とし」は、ご主人が12本の螺旋を引くはずなのだが、今年は当番の家の奥様が引かれていた。わら人形は以前同様、大根のつばで刀が挿され、男性であることがわかるように、シンボルとしてトウガラシが股間に挿される。今年は侍の足が比較的閉じられていたせいで、完成した侍が自立できず、セッティングに苦労されていた。法音寺同様に手綱が藁で綯われたが、人形の大きさに比して、だいぶ長い手綱になった。

 完成すると善光寺大勧進の掛軸をそれぞれ拝んで、数珠回しとなる。この時「十二ヶ月の厄落とし」の棒は掛軸の前の祭壇に置かれる。人形を並べる向きについて、参加者の中で議論になったが、今年は掛軸側に向けて並べられた。以前は送る側、ようは縁側に向けて並べられたが、まったく逆だった。やはり中心的な女性が抜けられたことが影響しているようにも見えた。何といっても、今年は事前に掛軸などの道具は、当番の家で引取りに行っていたため、以前訪れた時のように、当渡しのような引き継ぎ式はなかった。わたしたちが訪れた際に、すでに掛軸は祭壇に掛けられていた。4軒の参加者だけで数珠を回すともなると、長い数珠は一層長さが際立ったが、途中で当番の家の息子さんたちが加わって、少し賑やかな数珠回しになった。3周回す数珠回しが3回繰り返され、いよいよ最後は数珠で人形たちが送り倒され、人形送りとなった。本来は縁側から人形を送るというが、今年は玄関から送られた。

 人形は川に掛かる橋上から川に捨てられたが、流れている水が少ないだけに、投げられた人形は、そのまま橋下に横たわっていた。当番の家から最寄りの川で送られるようで、当番の家によって送られる場所は異なる。

 今年の当番の家では、玄関の戸の上に「十二ヶ月の厄落とし」の棒を納めるための場所があって、古い棒が何本も重なっていた。当番の方が言うには、今年数本古い棒を捨てられたようだったがそれでも10本近い棒が玄関上に重なっていた。古いものも長さにして40センチから47センチほどのもの。今年作られた「十二ヶ月の厄落とし」は32センチと、少し短めのものだった。

 

 掛軸の背面には、「倉掛講中」として32名の名が記されている。「万延元申年」のものである。そして別に貼り紙されていて、そこには「覚」として毎年彼岸の中日の百万遍のお祝いは酒3升と定めるとある。

 


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