Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「電車は夜空の美学をもとめて」

2007-05-31 20:08:33 | 

 昭和37年国鉄に就職。「石炭をくべ、湯を沸かす。その蒸気がシリンダーを押すと動輪が回り、結果として機関車が動く。単純にいえばこれだけのことである」と始まる『電車は夜空の美学をもとめ』は、東京で生まれ戸隠に生涯の土地を選んだ和田攻さんの何冊目になるのだろう、このごろ出版されたエッセイ集である。冒頭で盛んに「石炭をくべる」という言葉が登場する。「くべる」という言葉を聞くと、身近な雰囲気を覚える。国鉄の中で通常使われていた言葉だったようだ。この言葉はてっきり方言なのだと思っていたのは、あまりほかの人が使わずに、身近な年寄りが使っていたからそう思うようになった。ところがどうも共通語らしい。ということで、石炭は「くべる」がとても似合っている。「機関士・機関助士は三ヶ月から半年を同じコンビで乗務する。相手の人間性・人生観・家庭状況、ほとんどを知り尽くす。勉強に励む人、組合活動に傾注する人、多彩な趣味で退職後は、師匠格として地域で活躍の人。そんな生き様を吸収しながら多感な青年は生きる術を探す。」和田さんもまた、そんな多彩な生きる術を表現している。かつてお付き合いさせていただいた京都の方も国鉄マンだった。退職後は写真の趣味を生かされていたし、弓もされていた。みなそれぞれに多彩さをみせているようで、今のサラリーマンにはそんな余裕がなく、ひたすら日々を追っているだけで人間味がない。

 さて、冒頭の文のように機関車は単純に動くのだろうが、そこで働く人たちにとっては、大変な技術を必要とするようだ。たたき上げられて、日々の職場で繰り広げられる常識が、読みながら頭に浮かんでくる。それほど書き出しの「青春をSLに乗せて」は詩情豊かに展開されてゆく。「新井駅の次ぎは二本木といい、今では珍しいスイッチバックの駅である。そこから次の関山駅までの中間辺りに差し掛かると、屏風を広げ岩肌を剥き出した妙高山、二四五四メートルの火山が突如現れる。その時の驚きは一瞬目を疑う。山の頂に空が広がるのではなく、星空の下にパッと山が差し出されたと。山間地というのに、この一帯は見渡す限り障害物がなく、妙高の天空から天の川が滔々と日本海へ流れ出て行く。楽しみの醍醐味は三○秒間、線路の両側は一面の田んぼである。空を見上げても苦にはならない。星との距離が縮まっているのだろうか、かなり下段で明るさを競っている星たちに遭遇する。」信越線の上り、二本木駅と関山駅間の夜空の美学だ。まさに詩人だからこその表現で、わたしにはとても真似のできない世界だ。第1部の「JNR(国鉄)&JR Story」には、こうした鉄道マンの日常がふんだんに歌われている。

 そしてそんな美学もあるいっぽうで、運転士たる所以とでもいえるのだろう、人身事故の話がつづられる。近頃は鉄道に飛び込んだという話はあまり聞かなくなったが、わたしの子どものころには、子どもたちの間でも「あそこで飛び込みあったってよ」なんていって噂がすぐに立ったものだ。通学路の近くだったりすると、近くまで行ってみたりしたものだ。背筋が「ぞくぞくっ」とする経験は何度かある。それほど珍しいことではなかった。そんな飛び込み処理をするのも鉄道マンの仕事だ。「散乱した細切れの塊も丁寧に線路脇に安置しなくてはならない乗務員」なのだ。「乗務員は定年まで、普通は一人か二人をあの世へ送り届ける」という。「二人抱き合っての心中、往復にての飛び込み、都合七、八人なんて、昔の人は桁が違う」と、時をさかのぼるほどにこんな経験をいくつも体験したようだ。自ら体験したそんな飛び込み処理が、俄かに自殺の世界を呼び起こす。自殺者が多くなったというのに、鉄道への飛び込みが減ったのは、賠償金が高いという認識が広まり、自殺後の身内の苦労を察知してのことだろうか。

 電車通勤を始めた初日の電車の中でこの本を手にし、目的地までゆっくりと電車の美学を読み解く。すぐそこに運転手の姿があり、きっちりと電車はホームに停止する。確認の合図が客席にまで響く。それぞれの美学があると気がつく。和田さんは一昨年、長野県詩人賞を受賞された。多くの方に、電車の美学を広げてもらいたいし、また、あらためて電車の良さを多くの人に気がついてもらいたいと願う。


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