Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

伊那谷学の主張から (2)

2007-06-08 08:29:06 | ひとから学ぶ
 前回触れたように、飯田下伊那地域研究団体連絡協議会のシンポジウムでは飯田市の関係者が2人講演されている。その1人、飯田市長の講演内容に少し触れてみる。牧野市長が誕生して、一貫した地育力の必要性を説いている。そこから受ける一貫した考えは評価されるものだろうし、その考えに沿って自立を目指した地域形成の施策がとられていると、端からは見受けられる。それはそれでけしてわたしがどうこういうことではないのだが、飯田下伊那地域研究団体連絡協議会としての伊那谷学とはちょっと捉え方が異なっていると思っているのは、わたしだけなのだろうか。

 飯田下伊那ではない人々がこの「伊那谷学」を耳にしたときにどう捉えるか、おそらく伊那谷全体をエリアとして捉えるはずである。それは、飯田下伊那以外の伊那谷、いわゆる上伊那の人たちもそう捉えるだろうし、さらにそのエリア外の人たちは、当然のごとく伊那谷を指していると思うだろう。そういう他人のことはあまり意識せずに、ネーミングしたとしたら、それは自分よがりということになってしまう。以前にも触れてきたが、山梨県内の合併後の市が、中央市とか甲斐市とか、あるいは南アルプスとか甲州なんていう名称をつけるのと同じように、本来の地域とネーミングされた感覚的な、あるいは歴史的な地域対象異なってしまい、解り解かりづらくなるわけだ。知らない人は、本来の地域名、あるいは通常言われる地域名をエリアとして捉えるのはごく当たり前のはずだ。そういう他人の捉えかたでいうのなら、やはり「伊那谷学」というネーミングをする以上、そのエリアは伊那谷であるはずだ。北城節雄氏から伊那谷学という言葉を聞いたとき、「伊那谷まるごと博物館構想」という観点からも、伊那谷全体という捉えかただと認識していた。

 ところが飯田市長の講演内容の対象は、飯田市であり、ときおり出てくる下伊那というものはとってつけたようなエリアに感じるのだ。「南信州」「飯田下伊那」「飯田市」「この地域」とエリア名がぽんぽんと飛び出しているのだが、「この地域」という「この」とはどこを指していっているのか、と考えて見ると、どうも飯田市のことなのだ。もちろん市長という肩書きで講演する以上、自らが治めている地域が対象であることはなんら不思議ではないのだが、それでは「伊那谷学」論に適していないと思うのだ。飯田市教育委員会が作成した「地育力向上連携システム推進計画」というものがある。その中の人材育成のための研究機関ネットワーク構成において、「飯田下伊那には、様々な研究団体があり、地域研究団体連絡協議会が横断的な組織となり、伊那谷学(地元学)の研究を行なっています。」と記述されている。しかし、ここでとりあげた人は「伊那谷学」とはどういうものなのか理解して記述しているのだろうか、と疑問を持つわけだ。「伊那谷まるごと博物館構想」から発展した「伊那谷学」なるものが、狭いところへ行ってしまったという感は否めない。

 飯田市には美術博物館を基軸としての活動がある。伊那谷自然友の会は、その基軸で始まったものだが、飯田にこだわらず範囲の広い活動をされている。伊那谷を見回したとき、飯田市のような美術館という基軸はもちろん、歴史研究所まで抱えて活動を行なっている市町村は他にはない。伊那市に博物館らしきものは見当たらない。税金で抱えているものなのだから、よその者が利用するのはおこがましいことなのかもしれないが、ほかの市町村をリードしているだけに、視野の広い取り組みがあって当然だと思う。そういう意味でも、「伊那谷学」を掲げるのなら、地域研究の連携というものは飯田下伊那に限るものではないと思うのだがどうだろう。なにより自らが「中心」という印象で語る飯田市の掲げる「伊那谷学」は、すでに誤った路線で進んでいるといってもよくはないだろうか。「伊那谷の南と北」で触れているように、それぞれが相容れないから連携がとれない。将来の行政エリアというものは予想すらできないほど、自治体の先々は不透明だ。そういう意味でも、行政が「○○学」なんていうものを前面に出してエリアを囲ってしまうのはおかしくはないだろうか。「飯田学」ならわかるが。不思議なことに「南信州」と飯田下伊那をネーミングしておきながら、「伊那谷学」である。てっきり、「伊那」という言葉が嫌いだから「南信州」だと思っていたのだが…。と考えていたら、市長のあとに講演した市教育委員会の方が、全体討議の中でこんなことを述べている。「あえて下伊那郡とか、飯田というのを抜きにして、伊那谷のど(こ―脱字)に位置するかを整理することで理解も深まることから、伊那谷というエリヤが一番いいと思います。しかし伊那だけで呼称した時は現在の伊那市が浮かんでしまうので、伊那谷という表現でどうか、要するに天竜川を中心としたエリヤそんな感覚で捉えています。戦略的に使うなら伊那谷が一番効果的ではないかと考えます」という。「伊那市が浮かんでしまう」なんていう捉え方に、明らかに地域名称にこだわっている姿が見える。これではますます「伊那谷学」はネーミングだけのものになり下がってしまいそうだ。この『伊那』949号をみるかぎり、飯田市以外、とくに郡外の人たちには冷めた見方をする人が多いはずである。選挙戦だったら明らかにマイナスイメージになるだろう。

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