Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

分水施設に見る地域性

2009-09-03 12:38:47 | 歴史から学ぶ

 西天流幹線水路の32号系の支線用水路には円筒分水工が3基ある。最も下流にあるものは伊那市駒美町の北にあるもので、3方向に分水している。およそ340メートルほど上流にある御射山社の脇にある円筒分水工によって3方向に分水された用水、三度円筒分水工で分水されるという技のある用水路である。ところで西天流にある円筒分水工は小型のものが多い。支配面積にして大きくても100ヘクタール程度ということからも自然と小型のものになるのだろう。末端にいって支配面積が小さくなると円筒ではなく角型の水槽になるものの、分水の仕組みは円筒分水工を踏襲している。

  まずこの32号系統の第3分水工についてみてみよう。手前の角型の水槽に流れ込んだ水は、ここからヒューム管で円筒分水工のど真ん中まで暗渠でつなぎ、そこから縦にすえられたヒューム管で真上に吹き上げられる。その外周に円形の壁が設けられる。円筒の水槽だと思えばよいわけでそこに12個の窓が設けられて窓の数によって水は配分されるのである。ここでは6:5:1で3方向に分水されていて、6は写真の向こう側である東へ分水、5は右側である南へ分水、1は左側である北側に分水されている。円筒の内径は2.3メートル、3番目というだけに1、2番目のものよりは小さくなっている。ちなみに第1は内径3.6メートルで2方向分水、第2は内径2.3メートルで3方向分水である。窓いわゆる堰の大きさは幅15センチ、高さ25センチですべて同一規格。側水路の幅は43センチである。写真でも解るように鉄板で窓を隠している部分がある。6個の窓を配している東側への分水の両脇二つずつの合計4個の窓が塞がれているのである。6個のうちの4個が塞がれているということで必要とされている窓は2個。この下流域は段丘をひとつ下ると住宅街に変貌している。かつては水田地帯であったところが転用されて水がそれほど必要なくなったということもあるのだろうし、住宅街ということで余分な水を流して溢れたりすれば苦情のもとになるということもその背景にあるのだろう。円筒の壁は12センチと薄いこともあって老朽化している施設では鉄筋が露出している。その天端の部分は幅を広く縁を設けてあっていわゆる飾りが施されているあたりは、機能だけではなく見た目も考えて造られたということが解る。

  さて、円筒分水ばかりに目がとまるが、前述したように、小型の分水工もこうした構造を応用している。単純な矩形水槽でありながら、分水の前に隔壁を設けて流れ込んできた水はいったん隔壁下の開いている口を通過して分水部分に上がる。ようは流速を抑えて、もちろん直進方向により水流は引かれるものの、直角方向に向いている分水にも少なからず配慮しているのである。このため水槽そのものが大きくなるわけで、隔壁が水没していると、この程度の分水になぜこんなに大きな水槽が必要なのか、と思うほどに見える。しかしそこがこの地域の思いなのだろう、均等に分水させることを第一に考えてのことなのである。事故が起きたということを聞かないのが救いであるが、大きいからこそここに落ちたら「溺れてしまう」という危惧はある。しかし混住化している地域でありながら水田地域と住居地域にけじめがあるような印象がある。もちろん犬の散歩はもちろんウォーキングをする人の姿もあるが、あくまでも農業を営む人と暮らしている人には境が設けられていて、それがこうしたけじめのようなものを醸し出しているのかもしれない。それがこの時代に良いかどうかはまた別の視点もあるのだろうが、このけじめがこの地域らしさなのだと思う。


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