Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

戦渦の時代

2010-07-23 20:18:28 | ひとから学ぶ
 このところ大正から昭和時代の資料を盛んに紐解いているが、それは用水路に関わる部分。ところがこの時代といえば当然のこと戦渦の時代。戦争を知らない世代であるわたしであるが、それでも戦後そう経っていない時代に生まれた。しかし、では戦争の時代の空気があったかといえばまったくなく、この国が戦禍をまったく遮断して新たなところに向かっていたということがうかがえる。その落差が漂う中、戦渦を前にした時代にはすべてのことが戦争というところに通じていたのかなどと思ってしまうのだが、整然と進められていた西天竜の開田の姿を垣間見ると、あの戦争は一時(数年)の中にあったということが解る。わたしの戦前イメージは、だいぶ変わったといっても良い。そもそも古い図面や、古い計算のメモを見ていると、その時代の人々の能力の高さを改めて感じたりする。しかしそのいっぽうで「そんなことをしたんだ」と思わされることも確かにあったわけで、人間の質の違いのようなものを印象として受ける。

 関口楳邨氏は「役場日誌に見る戦時中の村の様子」(『信濃』62巻7号信濃史学会)の中でそんな時代の一こまを読み取っている。

 先ごろ平谷村だっただろうか、戦時中のポスター100枚ほどが寄贈されたという小さな新聞記事を見た。当時村の有力者であった方が、密かにとって置いたものだというが、戦争に関わるものは進駐軍が入る中で焼却するようにという通達があった。関口氏は『大町市史』の文書を例にあげているが、そこには

1 門標にかかげてある「出征軍人」「誉の家」「忠烈勇士の家」「武運長久」とか、これに類したもの
2 戦争目的のためのポスター類
3 其の他軍国主義的なものは全て取り除くこと

以上について「該当する向があったら速急に取り除くよう御徹底願います」と県当局より通知があったという。そんな指摘がありそうなもののほかにも「我が家には桃の節句の雛人形が有りました。敗戦直後、その様なものを持っていると進駐軍に咎められることを虞れて処分しました」と関口氏が語るようにまだ見ぬ進駐軍を恐れて処分されたものがどれほどあったかが想像できるのである。果たしてこの戦渦にあった中の戦争とは直接的には無関係の資料がどれほど残されているのか、仕事で関わりながらそのあたりは大変興味のあることである。

 さて、関口氏が役場日誌から拾い上げたもののなかに「畜犬供出のこと」というものがある。馬の供出はよく知られているが、犬も供出させられたのである。その用途は食用としてもあったのだろうが、毛皮革を軍需資材として利用したとも言われている。そんな話を妻にしたところ、幼かったころ、家で飼っていた老犬を地区内の知人の家に祖父があげてしまって泣いた覚えがあるという。そして後から知ったことだが、その家のおじさんは酒ばかり飲んでいてろくな者ではなかったといい、食べるものがないと犬を食べていたという。そんなことからあの犬は年老いていたこともあって、きっと食べられたんだと思いますます悲しんだと言うのである。供出の話をしたらすぐに飛び出してきた妻の悲しい思い出なのである。我が家もそうであるが、今はペットとしてたくさんの犬が飼われている時代。現代では想像しえないような時代の一こまである。

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