不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

時代は変わった

2006-06-20 18:32:06 | 農村環境
 自治会未加入者が多いという話題も時折耳にする。田舎であっても、まったくの農業主体の地域ならともかく、今や勤め人が多くを占めるような状況では、しだいに自治会の必要性も問われ多様な考えから加入不要論も出る。しかしながら、かつて農業主体の地域にあって、老齢世帯のため地域の共同作業や、負担金の協力ができないと盛んに町や区へ主張された方がいた。そのSさんは、血縁ではないがわたしの祖父母が親しくしていた方で、子どものころには正月や盆というとよく訪れていた方である。Sさんは、昭和42年ころからそうした社会の中で暮らすことの矛盾を問う投稿を新聞に盛んにされていた。わたしが就職したころSさんの家を訪ねた際に、投稿された記事のコピーをいただいた。当時75歳で、今はその町を越して別の地でご健在だという。Sさんはわたしの生まれたに家を構えていたが、娘さんが嫁にいき、奥さんと二人で暮らしていた。今でこそ75歳といってもそれほど年寄り扱いすると文句も言われそうであるが、当時の75歳といえば多くの方は腰が曲がっていたし、ずいぶん年寄りに見えたものである。それほど苦労もされたのであろうが、わたしにはその実を知るすべもなかった。そんなSさんが区会を辞めても抜けたということを高校生のころだろうか聞いたことがあった。もちろん自家で父や母が話していたものを聞いたわけである。そして、に入り、区会に入るのが当たり前であっただけに、父も母も縁があるからあまり口にはしなかったが、「辞めてこれからどうするのだろう」といった不安な話をしていた記憶がある。

 昭和52年9月17日信濃毎日新聞建設評欄にSさんが投稿された文にはこんなことが書かれている。

「地区共有林の下草刈りに出かけた。これは毎年決まって行なわれていて、私も若いころは欠かさずに参加していた。だが、ここ数年は老齢のため欠席して出不足金を納めていた。しかし今年は離職して収入の道を閉ざされ、出不足金四千円を支払うあてがないので出ることにした。植林してある山は人家から三キロも離れた奥山である(Sさんの年代で車を持っている人は稀で、山作業に自力で行くとなれば歩いていったと思われる)。(中略)・・・実を言うと、私はかねて老人家庭からは負担金や作業などを免除する条例でも作ってくれるよう国や県に要望していた。地元の町当局でもその方向で検討したいと意欲あるところを示してくれているのだが、反対という冷たく厚い壁にはばまれているらしく、いまだに実現していない。(後略)」

 区に対しての負担を免除して欲しいという願いを、Sさんは長年されていたようである。ところがなかなか叶わなかったようで、最終的に区の脱退という結論をつけられたのである。Sさんはお酒を全く飲めなかったようで、昭和62年6月17日同新聞の建設評欄に「下戸のつぶやき」という投稿をされている。かつて努められた職場での飲み会が苦痛で仕方なかったようで、加えて飲まないのに飲んだ人たちの後片付けをするという不合理な役回りに憤慨されていたようで、60歳までは付き合うが、それ以降は一切酒席には出ず、自分の老後のために浪費したいという考えを持ったようである。このようなさまざまな投稿をみる限り、とてもまじめな暮らし振りが見えてくるし、現代の社会問題に通じる視点で語っているものが多い。30年後の社会問題を予期していたごとく、Sさんの記事は的を得ている。そんなSさんの記事を読んだのは社会人になって以降であったが、共感するものが多く、同様に自ら投稿を試みたものだが、2回ほど掲載してもらったが、期待に反しそれ以降採用されることはなかった。Sさんほど視野が広くなかったのか、あるいは先を見る目がなかったのか、そんなところなのだろう。

 自家のある現在の区の考え方を聞いていないが、現代でそんな強制をしたら反発が強いだろう。加えて家がなくなっていく田舎なのだから、そんなことをいっていたら新たなる住民はやってこないだろうし、子どもたちも「こんな住みにくいところに住めない」と言って出て行ってしまうだろう。自分が現在住む地域を見渡したとき、やはり共同作業があり、山作業がある。そして本人の申請によって免除者が承認されている。しかしながら、「本人申請」という現実は、長く住んできて息子が外に住んでしまっていたりすると、なかなか自ら申請というのも体が悪くなったりしない以上し難いようだ。その気持ちもよくわかる。このごろは高齢者は負担の軽い作業へ、という意図もあるようだが、ある程度年齢を考慮して何歳以上は免除、というような方針を出す時期にきているように思う。もちろん、息子が近在に住んでいるのなら、息子にその責を負わせるという考えはあるが、あくまでもその家の考え方に任されることであろう。共同作業のあり方そのものも地域で考える必要があるだろうし、負担にならない共同の行為をどう描いていくかについても地域で考えていかなくてはならない。そういう意味でもかつてのSさんが脱退した時代にくらべれば時代は変わっているようだ。そして、そんな要因ではなく自治組織へ加入しない人たちが増えているのだから、現代にSさんが暮らしていれば、どんな気持ちだっただろう。

コメント    この記事についてブログを書く
« 行政の役割とは | トップ | 消えた村をもう一度② »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農村環境」カテゴリの最新記事