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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

シンボンを迎える

2018-08-05 21:10:35 | 民俗学

 

 「シンボン」と言うと、北信の人たちは「何それ」レベルである。昨年「新盆」で触れた通り、「新盆」のことを「シンボン」と呼ぶのは、ほぼ伊那谷のみ、県内の他地域は「シンボン」ではないのである。「新盆」で触れた通り、県内ではほとんどの地域で「アラボン」と呼ぶ。父が亡くなった2013年には、「新盆」に関して何度となく日記に記した(送りウマ」、「新盆見舞客」、「新盆のしるし」、「砂山」、「新盆への心構え」、「盆花のある風景)。母の新盆を迎える今年は、身内に新盆が多いこと、時代が5年ほど経たこと、などなど、父の新盆を迎えた時とはだいぶ違った状況にある。

 今日は妻の母の新盆と1周忌を兼ねた法要を行った。かつてなら一緒に行うなどということはしなかっだろうし、許されなかったかもしれないが、今は親戚筋から異論が出ることもなく、一緒に法要することも容易となった。旦那寺もけしてそれがいけないことなどとは言わない。盆には新盆見舞い客が多いと想定しての、少し早い新盆法要である。母も同様に盆明けに新盆と1周忌の供養を一緒に行う予定。あらためて盆にしなくてはならないという意識もないというわけだ。下伊那では法要後、玄関先にロウソクを建てて、仏様を迎える所作をする。繰り返すが盆に入ったわけではないが、これをもって新仏はお帰りになったと言ってよいのかどうかは分からないが、お迎えをしたからには、少し早い仏様のお帰りとなる。そういえば伊那市美篶の六道地蔵尊では明日、6日未明に仏迎えをする。9日には穂高満願寺でも仏迎えをする。それらは宗派に関係なく、とくに新盆の際には迎えに行くと言われ、かつては広範なところから仏迎えに来たという。したがって新盆の年は特別だったのである。少し早めに迎えて、長く家にいてもらう、というわけだ。

 以前にも触れたように、かつては墓地から家までの間に百八の松明を建てて新盆を迎えたという。しかし、「新盆の家では百八束のたいまつをこしらえ、十三日の晩に縁者が集まり、墓地の所で火をつけてふる。近頃は庭に新砂を盛り、線香を立てこれに代える」(『上伊那誌民俗篇上』)というように、簡略されてきた。ロウソクたての数は今は54である。ようは百八の半分のロウソクを立てている。そしてロウソクの前に砂山というよりは砂を入れた箱を用意して、線香立ての代わりにしているのである。そして玄関先には家紋の入った盆提灯が吊るされる。これは8月1日から吊るされ、8月いっぱい吊るされるわけで、これも「新盆のしるし」で触れた通りである。

 


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