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旧武石村余里の自然石道祖神 前編

2024-06-22 23:11:04 | 民俗学

 「旧丸子町西内の自然石道祖神①」に依田窪の自然石道祖神についてまとめた表を示した。あらためてここに同じ表を示すが、注目したいのは旧武石村である。自然石のみを祀る事例が18、併祀する事例が13あるという。これは小林大二氏が昭和47年に著した『依田窪の道祖神』に掲載された一覧(135頁)であるが、そもそも同書には道祖神碑の一覧は示されていない。以前から触れているように、東信地域は石造文化財の報告書が乏しく、『長野県道祖神碑一覧』の依田窪の道祖神碑一覧は、小林氏のこの書籍から推定して作製した。同書には写真で道祖神が紹介されていて、その写真から一覧化したもので、必ずしも全ての道祖神が取り上げられているかは不明である。

 

 旧武石村においてとりわけ自然石道祖神が多いことがわかるため、これまで同地の自然石道祖神を求めてきたわけであるが、武石川沿いにはそれほど自然石の道祖神が顕著であるという印象はなかった。旧丸子町西内の様子とは明らかに異なったわけである。ではこの一覧の自然石道祖神はどこにあるか、ということになるが、あらためて『長野県道祖神碑一覧』にある旧武石村の一覧を確認してみよう。左端の数字はわたしが加工したものであるが、この数字は『依田窪の道祖神』の写真に付けられた番号と整合している。したがってあくまでも同書から推察すると、道祖神は70箇所で祀られているとみられる。一覧からもわかる通り、「余里」(より)に自然石道祖神が多いことがわかる。そこで余里の自然石道祖神を追ってみることにする。

続く

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