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ある「常会」の記録より⑪

2019-06-01 23:37:19 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より⑩より

 昭和43年3月に始まった記録は、昭和53年12月で終わる。その最後の昭和53年の記録を紐解こう。ちなみに前回「慰労会」という単語が頻繁に登場すると記した。昭和53年の記録から慰労会が何回行われたか数えてみよう。

新年会 元旦午後1時から3時

どんど焼き 1月8日午前8時半から(ただし清酒1本のみ)

道作り 4月12日午前7時半から 終了後慰労会 午後12時過ぎ散会

お花見 4月25日午後6時から8時30分

川草刈 8月6日午前8時から 終了後慰労会

盆野球 8月15日午後5時から

 〃  8月16日

運動会 11月3日

記録からみると以上である。どんど焼きは清酒1本のみだったことから、慰労会に数えるべくではないかもしれないが、酒席として数えた。ここには常会での宴会が1度も記録になく、毎回でなくとも節目には懇親会がもたられた可能性は高い。労働を伴えば慰労会がもたれた感があり、例えば道作りや川草刈といったものは、朝から実施され、その慰労会はおそらく昼間行われていたようだ。また、当時の慰労会がせいぜい2時間程度であったことを記録に留める。

 さて、昭和53年の注目記事を取り上げてみる。

 4月10日の常会において、「氏子青年の結成について」という項が見られる。「前からの区民の願いがようやく叶えられ、3月28日発会式を挙げお祭り青年が誕生した。三十才迄の青年が対象であり、今後益々会の発展を祈り、区民全体あたたかく見守って欲しい」とある。この地域では祭りにお囃子が引き回されるが、そうした実施に影響が出てきていたと想像する。いわゆる現在も継続している祭典での芸能の類は、このころ保存会のようなものが結成されることが多かった。ここでは「氏子青年」としているが、現在もそう呼ばれている組織があるかどうかは確認していない。

 4月12日に実施された「道作り」の出不足金について、取り決めが記されている。出不足金は1500円で、「女子のみの家庭は500円」とあり、「女子出労の場合は分切り500円」とある。女性のみの家庭では出不足金が一定料免除されているいっぽう、男性がいるのに女性が出た場合は、1人前には扱われなかったことになる。

 この年8月28日に常会内の個人宅で火災が発生している。「朝8時45分ころ住宅台所より出火。いち早くかけつけた隣近所、区民多数の機転により、水不足の折にもかかわらず、隣近所への延焼も防ぐことが出来、9時30分ころ鎮火。2時近く漸く検視が済み、直ちに灰かきをする。」と書かれている。

 9月17日の常会では祭典の寄付にかかわって、区長から提案がされている。当時国の補助事業である基盤整備事業と上水道設置事業などが始まることから、「これら莫大な出費を予想され、事業遂行のためにも無駄な出費を防ぐべきである。したがって煙火も、基本的には集まっただけをこれに当て、決して無理のないように」と。毎常会において、これら事業の進捗状況が報告され、昭和53年の記録は記録簿の16ページにも及ぶ。

続く

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