Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

草寄せ

2019-06-10 23:31:59 | 農村環境

飯島町飯島大正新田

 

 二つの写真には決定的に異なる部分がある。おわかりだろうか、1枚目の写真は畦畔の草刈をした後、刈り払った草を寄せて始末をしている。一方2枚目の写真は、草刈をした草をそのまま畦畔に残している。もちろん刈り払ったばかりは草が重いため、乾いたら草寄せをするという家も少なくなく、2枚目の写真も、いずれは草が寄せられる可能性は高い。こうした草刈管理の光景は地域性をあらわす。

 春先に駒ケ根市のある市会議員さんと宴会の席で会話が盛り上がった。ようは駒ケ根らしさと思われる美しい畦畔の光景についてだ。草刈を頻繁に行うため、駒ケ根市あたりでは、短めに刈られた畦畔を随時見ることができる。頻繁に畔草を刈っている証拠なのだが、裏を返せば植物多様性という面では丈の長い草を根絶やしにしてしまう。頻繁に草刈を行えば、丈の短い草が占有することになる。ようは芝化するといえる。したがって草刈管理にもほどほどに、ということが言えるわけだが、あえてわたしはこう口にした。「そもそもほ場整備をした段階で、植物の多様性は壊されていて、選択として管理しやすい芝化はありえる」と。多様性を重視したいところだが、畔の管理に主眼を置くとすれば、芝化して多様性が失われるのは仕方ない。むしろ多様性か失われつつある畦畔において、多様性以上に管理を優先することによる芝化は必然ではないか、と。その上でもし美しい畔が形成されるとすれば、その美しい畔を売りとすることは、批判されることではない。畦畔管理の選択肢として派生した美田の光景は、もちろん人目を惹くものであって、これを「らしさ」とすることのどこに問題があるのか、とわたしは説いた。

 芝化することにより、畦畔の表面が安定化することは言うまでもなく、畦畔の脆弱化を防ぐことになる。とはいえ、写真1枚目のように草寄せをする畦畔と、2枚目のような草寄せをしない畦畔では、草寄せをした方がより畦畔のためになることも言うまでもないこと。草をそのままにしておくと、畦畔は脆弱化の道を歩むことになる。この草寄せは地域性があって、駒ケ根あたりでも草寄せをしない畦畔は少なくない。ところが伊那市あたりまでくると、さらに草寄せは当たり前の作業ではなくなる。この光景差を目の当たりにしたければ、箕輪町の春日街道と言われる県道から広域農道を経て南下するとよくわかる。西天竜の水によって潤っている水田地帯は、畦畔がそれほど高くないこともあって、草寄せをする農家は少ない。そもそも草刈がそれほどされていない水田が多い。そして伊那市から宮田村に入ると、少し芝化した畦畔が見られるようになる。とはいえ、宮田村あたりは畦畔が大きくなるが、草寄せをしてある畦畔は少ない。そして駒ケ根市に入ると、頻繁に畔草が刈られている光景が広がり、冒頭に記したように畔の美しさが特徴的となる。しかし、草寄せとなると、それほど盛んであるとは言えない。もっと美しい畦畔を見たければ、さらに南下して飯島町に入る。ここでも草寄せをしていない畦畔もあるが、写真1枚目のような綺麗にされた畦畔が目立つようになる。地形の傾斜度に比例するような変化と言えるかもしれない。畦畔が高くなれば、より一層その安定化への意識が高くなる。したがって草寄せは必須作業となっていくのである。

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