Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

車ありきではない生活①

2007-11-19 12:18:04 | ひとから学ぶ
 妻も呆れるほどの最近のわたしの行動だ。息子が入院している病院に明日行くというと、以前なら当たり前のように車を利用していた。ところがこのごろは車を使わずに電車を利用することが多くなったことから、妻も内心「電車で来るのでは?」と予想するまでになった。その予想通り、会社を1時間早く早退して、電車に乗る。病院の最寄りの駅まで約2時間という行程である。最寄の駅は飯田線伊那八幡駅である。ところが飯田線の飯田市内の路線は、丘の上と言われる市街地へ線路が迂回しているため、最寄りといっても一概に最寄りともいえない。息子の入院している病院には、ほかにも下山村とか鼎といった駅からもそう遠くはない。早く着く駅から鼎・下山村・伊那八幡となり、病院に近い順には伊那八幡・下山村・鼎というようになる。ようは早く着いた駅から歩いても、最も近いみ駅から歩いても、到着する時間はそれほと変わりがないのだ。

 そんなわたしの乗った電車は、飯田駅で約15分停車する。15分でどれほど歩けるか、ということもあるが、迂回しているために、例えば伊那上郷で降りて、五つ向こうの下山村の駅まで走れば間に合うのだ。駅と駅の間が近いために、「乗り遅れそうなら次の駅まで行けば間に合う」という話しをよく聞くものだ。そんな立地にあるのが飯田周辺の迂回の内側に縁のある人たちだ。

 伊那八幡で降りて徒歩15分くらいだろうか、息子の入院する病院に着く。顔を見て病院を後にするが、次の電車まで時間がしばらくあることから、帰りは飯田駅で乗ろうと市街地に向かって歩き出す。妻からケイタイに連絡があり、「自宅へ帰るところだが、どこにいるんだ」という。当初は病院にわたしがいるうちに落ち合うつもりだったようだが、わたしが予想外に早くに病院に出向いたために行き違ってしまったようだ。すでに飯田市街地へ登り始めていた。結局妻がわたしを見つけたのは、銀座である。とても自動車は早い乗り物ではあるが、歩くのもけして遅い、計算のつかないものでもない。電車で帰宅すれば午後9時過ぎだったのが、迎えてもらったこともあって、予定よりは約1時間早い帰宅となった。確かに電車に比較すれば早い。しかし、そんな時間を買おうとしなくなったわたしは、「間に合わなければそれもいいじゃないか」という決められた枠にあわせようとしている。当初電車で通勤を始めたころはそんなに電車にこだわるようになるとは自分でも思ってもいなかった。しかし、今やどこへ行くにも「電車で行くとしたらどうだろう」と考えるようになった。それが駄目なら車という選択をする。車ありきの生活ではなく、決められた時刻表にあわせる生活である。

 先日も会社の飲み会で、「飯田線も30分に1本くらいあればよいのに・・・」という言葉が聞こえた。確かに選択としてもう少し本数があれば利用しやすい常態にはなる。ところが、だからといって利用者が増えるとは思わない。基本的生活スタイルが「車ありき」である以上、どんなに利用条件を良くしようとも、乗らない人は乗らないのだ。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****