Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

駒ヶ根駅前通りを憂える

2007-11-13 12:24:19 | つぶやき
 「手土産を持って電車に乗る」で書いたように、駒ヶ根市の駅前通りにある店で髪のカットをした。そこでの世間話である。

 近ごろ町の山麓側を走っている広域農道の昭和伊南病院の近くに「きらく」という食べ物屋さんがオープンした。この食べ物屋さんは、この駅前通りになあった店で、駅前にあった当時はお客さんがまばらというか、あまりいなかったようだが、広域農道沿いに移転してからは駐車場がいっぱいだという話しになった。妻の父の知人の家もこの駅前通りで店をやっていて、たまたま新米を届けようと店の前を通ると、店が閉まっている。カットしてもらう知人に「○○は今日休みなんですね」というと、日曜日は定休日らしい。まさかこのまま新米を持ち帰らなくてはならないのか、と思っていると知人が「○○は日曜の夜に1度店に来るから脇の出入り口において置けばいいんじゃないかな」という。妻も時おりそうしているようだ。ということで持ち帰ることなく、店の脇の入り口に置いて帰ることにした。この日、駅前から知人の店まで歩くと、シャッターの下りた店がとくに目立った。新米を届けようと思っていた店か定休日だと聞き、知人に「今日は日曜日だから閉まっている店が多いんですかねー」と聞くと、「そんなことはない、毎日こんなものよ」という。途中にあった間口の広い店はとくに気になったので「あの店は・・・」と聞くと、「その店は定休日」という。???「○○さんとその店ぐらい、日曜日に閉まっているのは」と、こちらの意図していたことをすぐに答えてくれた。

 カットしてもらったあとに何店くらい開いている店があるのだろうと見回してみると、駅前から国道までの約200メートルくらいの間に、両側でせいぜい10店余しかない。ホテルとか飲み屋といった夜しか目立たないところを入れても20店あるかないかである。「次に出て行きそうな店はあるんですか」と聞くと、「○○さんが噂されている」と妻の父の知人の店の名があがった。

 シャッター通りという名称はすでに知られたものではあるが、こうして定期的に駒ヶ根駅前通りにやってきている者にとってその変化は、徐々に、そして確実に開店する店がなくなるまで続くのではないかと思わせるほどここへきてさらに進行しているように思う。その典型的な店が「玉屋」書店の変化だ。何度かここでも触れてきたが、この書店はわたしが子どものころからお世話になった店である。地元にはまともな書店がなかったため、この隣の町にある書店が、この地域の家々へ本が発行されると配達してくれたものだ。子どもたちにとっては月刊誌が毎月届くのが楽しみだったものである。今や車で買い物に行くからそうした雑誌も特定の店に頼る人たちが極端に減少した。店を訪れてもお客さんの数は本当に減ってしまった。それに合わせるように店内のスペースは縮小され、前回訪れた際よりもさらに本の数は減った。これほど変化が目に見えてくると、「閉店してしまわないか」と心配になる。必ずカットに行くとここを訪れ、本を手にしたもので、そういうことをもう15年近く続けている。義理で買うわけではないが、数少なくなった本や雑誌の中から一つは手にレジに向かうが、顔見知りの店長の顔にますます疲れが見えていて残念でならない。こだわりを持って置かれていた本も、かなり少なくなったが、今でも気持ちは持っているようで、だからこそ、思いとは違ってきた現状が、口には出さないがわたしには解る。

 今ではわたしの用事のある店はカットしてもらう店と玉屋くらいであるが、子どものころは森文具店のほかざまな店を利用した。社会人になったのちもしばらくはもっとも利用する町だったのに、今では見る影もない。アーケードのある通りにいたっては、足を踏み入れることはまったくない。近在でみた場合、これほど寂れてしまった駅前はそうはない。ここよりも小さな松川町の大島商店街よりシャッターの閉まった店が多い。いずれどこも同じ道を歩むのかもしれないが、明らかに地方の町が進むべき方向ではなかったはずなのに、行政は無力であったと証明しているようなものだ。
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