Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

長距離通学

2007-11-02 12:12:38 | ひとから学ぶ
 長野まで往路に電車を使うのは、もしかして初めてかもしれない。入社当事にそういうことがあったかもしれないが、記憶にはない。1日に1、2本しかない長野直行便である。約3時間半の道のりとなるが、直行便でないものだと4時間という所要時間だ。松本までは混雑するが、松本以降長野までは時間帯もあるだろうが、ずいぶんと空いた空間となる。この列車に乗ってみてまた気がついたことがある。ふだん伊那から乗車すると、寡黙で有人もなく1人で座っている高校生を何度となくみてきた。この高校生、わたしが乗車区間はずっと乗っている。ということはわたしの利用している駅よりも南からやってきて、北へ向かっていく。たまたまこの日の電車に乗り合わせた。まったく人と話すことはなく、声など一度も聞いたことはない。「どこまでいくのだろう」とそんな疑問に答えてもらえる絶好の機会である。有人がまわりにいないということは、たまたまのことだと思っていたが、飯田線を過ぎても乗車しているからその理由がよく解った。住居も高校もこのあたりではないから、当然知人もいないことになる。上伊那郡をまたいで高校に通学しているのだ。

 塩尻を過ぎ、広丘あたりまでくると、今までの彼の表情が一変する。寡黙な姿は消え、口から絶え間なく言葉が出る。「へー、こんな声だったんだ」と思うとともに、「ずいぶん話すんだ」という印象になる。もちろん高校の友人たちが乗車してきたからそうなるわけだが、誰よりも言葉が多い。まるで長い時間言葉を発することに絶えてきた反動のように。結局松本駅で下車する。松商学園なのか松本第一なのか、そのあたりの高校に通っているのだろう。わたしが乗車してから約2時間である。南へどれほど遡るかにもよるが、ずいぶんと長距離の通学である。高速バスでも気がつくのだが、このあたりから乗車して松本下車という子どもたちも数は少ないがいる。これも今回解ったことだが、駒ヶ根当りで乗車して、そのまま中央線に入り松本近辺まで乗車する人もそこそこいる。このあたりでは遠距離といえば「車」と言う印象なのだが、それでもこうして電車を利用している人たちが少なからずいることを知った。

 帰路途中で電車がシカをひいたといって停車した。「いつ動くだろう」などと思っているとさほど要さずに再開したが、車ならもうとっくに帰社している。電車を利用しているなどというと、「何を暇そうに」などと思われてしまうのが長野県内の実態である。近くても車、遠くても車。何にでも車。こんなイメージになってしまっている社会が変わらないと、なかなかこうした交通機関は生き延びれないだろうし、北陸新幹線の在来線問題ではないが、JRから手放された民営鉄道では、廃線の危機は絶えず引きずることになるだろう。
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