Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

知性ではない領域

2007-11-15 12:11:03 | ひとから学ぶ
 内山節氏は、信濃毎日新聞の土曜日に連載されている「風土哲学」の中で日本人の根底にある思想について触れている。近ごろの11/10朝刊では、中国留学生が「最近では歩いていて神社やお寺をみつけると、ふらふらと境内に入っていって、手を合わせたり賽銭をあげたりするようになった」という言葉を紹介している。中国にはそんな民衆のための小さなお寺はなかったという。日本では都会の真ん中でもそして地方都市の真ん中でもあらゆる場所に小さな祠があったり、路傍に立つお地蔵さんにいたってはいたるところに存在している。そういう小さなものから、一応境内というものを持つお宮や、お堂のようなものまで、多種多様な神様仏様がある。それぞれにいわれがあるのだろうが、これほど文明の利器に浸りきっている日本なのに、なぜかそういうものを廃すことはない。いまだに祟りなどという後々の身に降りかかる災いを起さないために、どんなに小さくとも粗末にはできないという存在であり続けている。

 この中国人について内山氏は「これほど近代化したのに小さな寺や神社が健在で、人々にとって無くてはならないものでありつづけていることを、面白く思っているのである」と書いている。神仏の知識がなくとも、神社や寺に参ると、何となく落ち着いて手を合わせたりする。それを「日本の風土に馴れてきた」と綴る。このことについて知性では説明できない領域という内山氏。そして中国人が靖国神社には入れなかったという理由について、靖国神社は知性の領域にある神社という。具体的な靖国論はともかく、わたしこう捉える。巷にある小社に足を踏み入れるような敷居の低い場所ではなく、知性を持って踏み入れなくてはならない領域、知性があって踏み入れるともなれば、当然そこには理解できないものは足を踏み入れることはできない。ようは一歩間違えれば理論武装しなくてはならないような空間であって、手を合わせれば己が見えてくるような場所ではないともいえる。そう捉えると、民衆のために存在する神社ではないことは歴然とする。まあ博物館のようなものだと思えばよい。よく戦犯と分離するべきだという理論があるが、日本人の精神論に整合させるなら、すべての戦死者を靖国からとき放してあげた方が似合うのではないか、などと思ったりする。

 小さな社であろうが自然と手を合わせる日本人の心のありようは、長いあいだ変化せずにきている。若い人たちにもそれはつながっているものなのだろうが、明治時代になって合祀されてもまたそれぞれに社を持ち続けた地域も少なくない。これは日本人の個別意識とでも言うべきだろうか、小さな枠を作ろうとしてきた精神が根底にはある。国家統制と民衆、そんな構図の中で存在し続けてきた心が、今後も永続するものかどうかについては、疑問も残る。



 写真は11/14に撮影したものだ。浅間山を背景にしているこの地域では、こんな具合に大きな木が生えている場所には墓地がある。墓地を探すのなら大きな木を目印に、というくらい、広々とした耕地に大きな木が目立つ。
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