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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

選挙の民俗

2007-09-07 08:15:42 | 民俗学
 杉本仁著『選挙の民俗誌―日本政治風土の基層』に対しての書評「政治をめぐる「民俗」の超越は可能か」は、選挙にずいぶん興味を抱いている若き研究者の書評である(『甲斐114号』山梨郷土研究会)。「選挙の民俗」という言葉はよそで聞いたこともあったが、実は民俗学でいうところの社会生活には、欠かせない世界である。なぜかといえば、もともとがムラというものは支配者によって構成されていた面が強く、そうした支配者に食べさせてもらっている、という意識はけして小さなものではなく、大きな日常であったはずだ。そうなれば選挙権が与えられたとしても、ムラとしての選挙であって個人の選挙ではなかったはずだ。書評を書いた室井康成氏は、政治資金規正法違反で捕まったある知事の縁者が、警察の厄介になったにもかかわらず、犯罪意識がまったくないことに端を発してこの書評を書き始めている。

 民俗学においては、柳田国男がすでに政治や選挙をめぐる人々の意識の解明をしようとしていた。それだけ今とは比べものにならないほど、柳田の時代は公職選挙法などというものは名ばかりだったにちがいない。現代の選挙の結果を柳田が見たら、その変わりように驚くだろう。そんな柳田の選挙に対する人々の意識を、柳田以降あまり研究テーマにしてこなかったことは確かで、盛んに室井氏は「体系化されてこなかった」という言葉を繰り返す。そして室井氏は、坪井洋文が1984年の『日本民俗学体系8』において説明した論文以降、民俗学における「政治」の概念自体が、寄合の議決や自治会役員の選出方法などといった根生いの社会組織の運用形態を指すものへと萎小化されていったといっている。その坪井氏の説明とは、「1982年に行われた県議会議員選挙の際、地区ぐるみの買収事件を地区外の知人に漏らした人物が、地区の他の成員たちから社会的制裁を受けた事例を、当該地の水利慣行をめぐる人々の「水をもとに暮らしているから勝手なことはいえない。もし、はみ出しそうとすると水を引くのを断わられたり、田にたまった水をぬかれる」」というものである。社会生活上は、この事例の通りの聞き取りがされたとしても、それが政治や選挙にかかわったことである、という触れ方は、確かにこのごろの民俗学では触れられていないかもしれない。とくに、自治体誌などを中心に行われている調査においては、政治とのかかわりで記述すると固有の政治家を批判することにもなりかねないから、タブー視されてきたともいえるだろう。ムラの成因とも関わるのだが、社会生活という部分については深入りすることが避けられたということになるだろうし、またその聞き取り技術というものも持ち合わせなかったのかもしれない。

 室井氏が言うように、民俗学における社会生活は、根本に選挙という要因がありながら、組織の役員選挙とか、その慣行といった差し支えない部分に逃れていってしまったということは事実だろう。ここで、室井氏が甲州選挙について杉本氏の著書から引用して触れているので紹介してみよう。「候補者を選ぶ「選挙ヒマチ」から始まり、事前運動にあたる「顔見せ」や「ツトメ」を経て、晴れて候補者となったものは「神社参拝」によって神意を伺い、選挙事務所には神棚をしつらえ、「大鏡餅」「ダルマ」「生け贄」「御神酒」といった縁起物を配置し、いよいよ選挙戦に突入すると、当該ムラの成員たちは、地縁・血縁・義理によって候補者の「オテンマ」に出かけ、「暴れ神輿」と化した候補者は、その見返りに「撤銭」を施しながら、顔見せ興行さながらの「オネリ」を行なう。この過程で発生する金品の授受に対して、人々は「罪意識がなく、『せっかく応援してくれるのだから、お礼するのは当たり前』、『票を買う、という意識よりも、有権者が引き続き支持してくれることに対する、ささやかな感謝の印』という市議や、『もらわなければ義理を欠くことになる』という自治会員もあった」というように照会している。そしてそこまでやったのか、というようなところまで触れる。

 選挙日当日のことである。「各候補の運動員が、まだ投票を済ませていない有権者を投票所へと運ぶ「狩り出し」が始まり、時には勢い余って、本人になりすませた「替玉」投票までが強行される。そんな選挙日当日を避けようと、1968年3月に実施された南都留郡勝山村の村長選挙では、約98パーセントという投票率のうち、67.5パーセントが不在者投票だったというから驚きであるが、理由はよくわかる。こうした実態から、ムラ選挙は、それ自体がムラの祭礼だという。信じられないような選挙によるこうした不正は、ある意味では、当該ムラの内的な秩序や他のムラとの関係を維持してゆく上での「生きる方法」だとも述べている。柳田は、「自分の偉大さを誇示するために難解なことばをもって、ややすぐれた者が、ややすぐれない者を率いる形になっておったのでは、真の民主政治がいつまでたってもできる気づかいはないのである」と言った。こうしたムラ社会であってはならないという指摘なんだろうが、室井氏も書評を書きながら、最後にこんなことを述べている。「私は、政治や選挙における、この「義理」に立脚した贈与・互酬の「民俗」は、廃されるのが理想であると考えている。(中略)だが、私は最近、それが本当によいことなのかという疑念にも苛まれている。杉本の言葉を借りれば「政治と民俗の関係は切断されるのがよいのであろうか。それはムラ人にとっては、生活意識と選挙を分解せよというに等しい」からである」と述べている。

 実はこの最後の言葉の部分と言うのは、これまでのムラを見ていたら、確かにその通りなのだが、既にそうした既存のムラ選挙を必要としているムラは壊滅状態であり、現実的には、理想を受け入れる体制になっているといえるだろう。坂本氏、そして室井氏がどういうムラ空間を経験してきたかは知らないが、加えて、そんなムラが山梨にはまだたくさんあるのか知らないが、少なくとも長野より東京に近いという立地を見る限り、どうなんだろうという疑問はわく。いや、東京に近いからこそ、従来の方法でも生きていける社会が生きているかもしれない。しかし、長野にはすでにそういうムラはない。

 さて、実際坂本氏の著書を読まずに、室井氏の選挙観というようなものをヒントに展開してきた。しかし、いずれにしても社会生活上、かつてのムラハチプを回避するためにも、当初のムラの選挙はどこも似たようなものであったに違いない。いまだにそうした選挙をしている地域があるのかもしれないが、いずれ地方が壊滅すれば、そのまま消え去る運命にあるはずだ。しかし、もう一度考えなくてはならないのは、かつての「ムラを治める」という意識と組織については、その内面も外面も含めて、民俗学の中では捉えておかなくてはならなかっことだろう。たとえ自治体誌に記述されなくとも、捉えて、そして記録しておいてほしかった部分である。
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