Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

午後の陽射しから思う

2007-09-02 10:10:03 | 自然から学ぶ


 夕方の西山の姿の変化が楽しいと、以前にも触れた。そんな表情は焼けた色に目を奪われがちだが、焼けた色ではなくとも、山の表情を見ているといつになく印象深いことがある。ただ、ふだんと変わりない色の中に映し出されるものだと、焼けた色とは違い、気がつかない人も多い。

 冒頭の写真(撮影 2007.9.1)は、中川村葛島の段丘上から望んだもので、右手の最も高く見える山が、ふだんよく捉えている烏帽子岳その左手手前は小八郎岳になる。山の形も場所が変われば変わるもので、ここから望む烏帽子岳はふだん見ているものとはずいぶんと異なる。どうということはない午後のひと時なのだが、こんな雰囲気を午前中に見ることはまずない。それだけ空模様が多様に変化する午後ということになるのだろう。重い雲間から降り注ぐ陽射しという雰囲気がよく解る。

 もう1枚、こちらは降り注いでいるというよりは発光しているといった感じの陽射しだ(撮影 2007.8.17)。これもまたどうということはない雰囲気なのだが、いっぽうで気にしてみるとけっこう印象深い空と山を映し出している。こちらは飯島町飯島から望む中央アルプス南駒ケ岳である。あまり今まで意識していなかったのだが、わが家のあたりからこの山はかなり北の方に見える。だから陽が落ちる山という印象はまったくない。そして、同じ飯島町で生まれ育ったのに、こんな雰囲気は見た覚えもない。夏場に陽が落ちる山は生家かる見ると里山であって、こんな高い山々ではなかった。ようはやはりこの南駒ケ岳に対しては、生家が南よりにあったということだ。真夏の陽射しが、南駒ケ岳近くに落ちていくなんていう姿は、まったく予想もしなかったもので、こんなどうということもない山の姿からそのことに気がついた。

 陽が上がる山も、沈む山も、ふだん暮らしているとなんとなくそれぞれでイメージを持っていると思う。しかし、少し場所が異なるだけでその背景の山は明らかに違う。昔、統計グラフコンクールなんていうものがあって(今でもあるのだろう)、いわゆる夏休みの一課題で日の出日の入りの位置を調べる、なんていうのをよくやる子どもが多かったが、日の入りと日の出の位置ばかり重視していたが、むしろ見ている場所がどうかということも意味のあることだったのだと、今更ながら思うのだ。

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