『100,000年後の安全』という映画を見ました。
公式サイト http://www.uplink.co.jp/100000/
(2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語)

非常に美しい映画でしたわ。音楽が怖くてホラー調でしたが・・・
えー、この映画のタイトルですが、100年後でもなければ1000年後でもなく、1万年後でもないのです。
10万年後です。
核廃棄物が危険なので、10万年の間、地下深くに保管するっていうドキュメンタリーです。
10万年後の世界を考えている映画です。曰く
「廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、誰がそれを保障できるだろうか。10万年後、そこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。」
・・・それを、真剣に考える人々の映画です。
この映画では、原発の是非については主張されていません。
・原発に賛成か反対かは関係がない
・核廃棄物は確実に存在する
・未来の世代に対する責任として、核廃棄物を処分する
という話です。
私は、今までにも何回か書いてきましたが、原発はやめるべきだと思っています。
原発は、作業者も近隣住民も被曝します。事故が起きなくても、正常な運転の範囲であっても、被曝が避けられない。そんな犠牲の上に成り立つ運転は、既に「正常な運転」とは思えないのです。
人道に反するものを経済性などで語るのは、どうしてもおかしいと思うわけです。
この映画の舞台となったフィンランドでは原子力発電所が稼動していて、そのことの是非は、直接的には語られていません。しかし、核廃棄物の問題をクローズアップすることで、見る側としては
「今すぐやめないと、どんどん核廃棄物が溜まってしまう!」
という恐怖を感じてしまいます。
今、地球上に20万トン~30万トンの核廃棄物があるそうです。そして、原発が稼動している今も、核廃棄物が増え続けているのです。この映画を見れば「やはり、原発はすぐにやめないといけない」という思いを強くします。少なくとも、私は。
*
この映画、そもそもが「地中深くに10万年の間、核廃棄物を保管する」という場所を撮影しているので、現実離れしたシーンが続きます。静かでゆっくりとしたシーンが続き・・・雪の降る美しい森だったり、薄暗い工事現場だったり、真っ白な壁&天井の核廃棄物の処理場所だったり、どーもSF映画チックに見えるのです。繰り返し「10万年後の世界」が語られるので、現実の話のようには思えなくなってくるのです。
映像も美しく、出てくる方々も静かに理性的に、まるで「演技指導を受けている俳優さん」のように語られています。
けれども、語っているのは、このプロジェクトに関わる「実在の人物」で、現実問題として「自分達の、未来に対する責任」を真剣に考えていらっしゃる方々です。原発の是非はともかく、
「現実問題として、核廃棄物をどう処理するか」
ということを考えている国の人々のお話です。
それも、10万年後の未来のことを真摯に考えている人々の、です。
*
この映画を見ながら、そして見終わった後に、私はひどい鬱状態になってしまいました。この映画の舞台となった国と、日本との大きな違い。。。
未来に対する責任を考える人は、確かに日本にだっているはずです。
けれども、そういう人たちの考えや行動が、この国の主流になっているシーンを、私は今まで見たことがありません。10万年後の未来に対する責任どころか、今いる子ども達の10年後にすら責任をとるつもりがない政治家や企業人や、それを支持する高年齢の人々。
つい今日も、ニュースで都知事が「脱原発なんかできっこない」と発言したということを知りました。http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20110426122.html
言わずもがなのことを言いますが、本来であれば、「できるか・できないか」ではなく、「やるか・やらないか」でしょう。どうしてこんなに幼稚な男が、日本の首都の長なのか。そう思うと絶望的な気分になってしまうのです。
だいたい、脱原発ができなければ、核廃棄物を出し続けていくのです。10万年の後も、有害物質を発生しつづけるものを。
この空は日本だけのものなのか。現代人だけのものなのか。
この海は日本だけのものなのか。現代人だけのものなのか。
日本社会では、そういう問いかけが(表立って)出て来ないのは、なぜなのでしょうか。
この映画の中で、プロジェクトメンバーの一人に「神学部教授」という肩書きがテロップで出ていました。それが非常に印象深かったのですが・・・この映画で表現されている世界と、日本社会の違いは、根底に「哲学」が有るか無いかの違いなのではないかと、思ったりもします。
日本人が特定の宗教を信仰しないということを問題だとは思いませんが、しかし、いい大人たちが、哲学的な思考ができない社会というのは、やはり問題が大きいように思います。
で、ひどい鬱状態になったというのは、つまり
「この国のこの時代に、どうやって子どもを育てていったらいいのか」
というやるせなさです。大変な困難じゃないかと思ってしまうのです。
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(2009年/79分/デンマーク、フィンランド、スウェーデン、イタリア/英語)

非常に美しい映画でしたわ。音楽が怖くてホラー調でしたが・・・
えー、この映画のタイトルですが、100年後でもなければ1000年後でもなく、1万年後でもないのです。
10万年後です。
核廃棄物が危険なので、10万年の間、地下深くに保管するっていうドキュメンタリーです。
10万年後の世界を考えている映画です。曰く
「廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、誰がそれを保障できるだろうか。10万年後、そこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。」
・・・それを、真剣に考える人々の映画です。
この映画では、原発の是非については主張されていません。
・原発に賛成か反対かは関係がない
・核廃棄物は確実に存在する
・未来の世代に対する責任として、核廃棄物を処分する
という話です。
私は、今までにも何回か書いてきましたが、原発はやめるべきだと思っています。
原発は、作業者も近隣住民も被曝します。事故が起きなくても、正常な運転の範囲であっても、被曝が避けられない。そんな犠牲の上に成り立つ運転は、既に「正常な運転」とは思えないのです。
人道に反するものを経済性などで語るのは、どうしてもおかしいと思うわけです。
この映画の舞台となったフィンランドでは原子力発電所が稼動していて、そのことの是非は、直接的には語られていません。しかし、核廃棄物の問題をクローズアップすることで、見る側としては
「今すぐやめないと、どんどん核廃棄物が溜まってしまう!」
という恐怖を感じてしまいます。
今、地球上に20万トン~30万トンの核廃棄物があるそうです。そして、原発が稼動している今も、核廃棄物が増え続けているのです。この映画を見れば「やはり、原発はすぐにやめないといけない」という思いを強くします。少なくとも、私は。
*
この映画、そもそもが「地中深くに10万年の間、核廃棄物を保管する」という場所を撮影しているので、現実離れしたシーンが続きます。静かでゆっくりとしたシーンが続き・・・雪の降る美しい森だったり、薄暗い工事現場だったり、真っ白な壁&天井の核廃棄物の処理場所だったり、どーもSF映画チックに見えるのです。繰り返し「10万年後の世界」が語られるので、現実の話のようには思えなくなってくるのです。
映像も美しく、出てくる方々も静かに理性的に、まるで「演技指導を受けている俳優さん」のように語られています。
けれども、語っているのは、このプロジェクトに関わる「実在の人物」で、現実問題として「自分達の、未来に対する責任」を真剣に考えていらっしゃる方々です。原発の是非はともかく、
「現実問題として、核廃棄物をどう処理するか」
ということを考えている国の人々のお話です。
それも、10万年後の未来のことを真摯に考えている人々の、です。
*
この映画を見ながら、そして見終わった後に、私はひどい鬱状態になってしまいました。この映画の舞台となった国と、日本との大きな違い。。。
未来に対する責任を考える人は、確かに日本にだっているはずです。
けれども、そういう人たちの考えや行動が、この国の主流になっているシーンを、私は今まで見たことがありません。10万年後の未来に対する責任どころか、今いる子ども達の10年後にすら責任をとるつもりがない政治家や企業人や、それを支持する高年齢の人々。
つい今日も、ニュースで都知事が「脱原発なんかできっこない」と発言したということを知りました。http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20110426122.html
言わずもがなのことを言いますが、本来であれば、「できるか・できないか」ではなく、「やるか・やらないか」でしょう。どうしてこんなに幼稚な男が、日本の首都の長なのか。そう思うと絶望的な気分になってしまうのです。
だいたい、脱原発ができなければ、核廃棄物を出し続けていくのです。10万年の後も、有害物質を発生しつづけるものを。
この空は日本だけのものなのか。現代人だけのものなのか。
この海は日本だけのものなのか。現代人だけのものなのか。
日本社会では、そういう問いかけが(表立って)出て来ないのは、なぜなのでしょうか。
この映画の中で、プロジェクトメンバーの一人に「神学部教授」という肩書きがテロップで出ていました。それが非常に印象深かったのですが・・・この映画で表現されている世界と、日本社会の違いは、根底に「哲学」が有るか無いかの違いなのではないかと、思ったりもします。
日本人が特定の宗教を信仰しないということを問題だとは思いませんが、しかし、いい大人たちが、哲学的な思考ができない社会というのは、やはり問題が大きいように思います。
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