ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

兵庫県 播州赤穂駅からはじまるハイキング その7

2020-10-30 18:00:59 | 旅行
今、赤穂海浜大橋にいます。





橋の上から、北側を見ています。





ここから、上の地図の黄色の線に沿って、歩いていきたいと思います。



橋の反対側の風景








橋を東に歩きました。





橋を渡り切り、遠くに見える次の信号で右に曲がるのだと思います。





交差点のプレートの確認





大丈夫です。あっていました。











ウォーキングしているときに見る花もいいものですね。





赤穂高等学校の旧正門が移築されていました。(上の地図のJ地点)








1981年に、今の場所に移るまでは、高等学校の校舎は赤穂城本丸跡にありました。

ドイツ人建築士によって設計された、中世ヨーロッパ城郭風建物でした。

生徒は、赤穂城の大手門を通って通学していました。

(ちなみに、20歳の中頃から30歳の初めまで、私はこの高等学校に理科の教師として勤務していました。本丸内の素敵な校舎でした。)

この門も素敵な門だと思います。

よく移築して残してくれたものです。



高等学校の正門の前を通って、





海浜公園に向かいます。





木々が続く、気持ちのよい道でした。












赤穂海浜公園の風の門の前にきました。(上の地図のK地点)





中へ入ります。





入ってすぐに、水が流れる道があります。














左に見えるのは、”赤穂市立海洋科学館・塩の国”です。





塩づくりの体験ができるそうです。


右側に見える”赤湖”





さらに、まっすぐ東へ歩きました。 遠くに見える橋の手前で左に曲がるようです。





左に曲がって、





今度は右側に”白湖”





少し歩くと、木の橋にきました。





これを渡ると、左側に、昔の流下式塩田での作業する建物が現れました。


























白湖のところで、めずらしく人に出会いました。





コロナであまり観光客はいないようです。



前に見える建物の中に自動販売機があるので、水分を補給するとともに、休憩したいと思います。





コメント (1)

兵庫県 播州赤穂駅からはじまるハイキング その6

2020-10-27 13:37:22 | 旅行
赤穂城の本丸内にいます。





上の地図の⑦番のところです。


これから地図の黄色の線に沿って指定コースを歩いて、ウォーキングを楽しみたいと思います。


本丸内を東に移動し、”厩口門”から外に出ます。





外に出て、厩口門を振り返った風景です。(上の地図のHの地点)





厩口門は本丸にあった3つの門のうちのひとつで、森家の時代には、「台所門」と呼ばれていました。


ここから内堀を見ながら、本丸の周りを歩きます。








二の丸門跡にきました。








上の地図のIの地点で、武家屋敷に出会います。








元禄15年の赤穂城内侍屋敷図によれば、家老格の重臣の屋敷は、城の重要な門の近くに配置されていました。

城の守りのためには、重臣たちをそれぞれの門の近くに住まわさせたのです。

ここの武家屋敷は、清水門のおさえとして、坂田式右衛門の屋敷がありました。

八百石、組外、準家老格です。

この建物は、江戸時代の武家屋敷の様子をよく表現していました。



ここから少し東へ歩くと、清水門跡にきます。





清水門は、赤穂城三の丸の東に開かれた門で、川口門とも呼ばれました。

なお、この門は、元禄14年4月19日に、幕府に城を明け渡し、退去したときに、大石内蔵助が名残を惜しみつつ去ったことで知られています。



正面に見える5つの建物は、”赤穂市立歴史博物館”です。





歴史博物館の正面玄関です。





”塩と義士の館”といい、赤穂の塩、赤穂の城と城下町、赤穂義士、旧赤穂上水道の4つをテーマとしています。



播州赤穂駅から、ここまでは、わりと観光スポットが多いコースなので、観光に時間がかかりました。


ここからは、歩く距離が長くなって、ハイキングコースになります。





歴史博物館の東側の道を加里屋川に沿って歩きます。





右側には、赤穂城の石垣が見られます。











しばらく歩いて、遠くに小さく見える汐見橋で川の東側の道に移ります。





前に見えるのは、武道館です。

(ちなみに、赤穂は剣道で全国的に有名です。)



道路の左側には、赤穂市民病院がありました。コースの目標物です。


(間違えずに歩けています。)





市民病院の横を、南へまっすぐ歩くと、大きな道路と交差します。


交差点の場所を確認するときは、交差点のプレートが役立ちます。





ここは、”東沖”という名称で、バッチリあっていました。


この交差点を左に曲がって、東へ坂道を歩くことになりました。








”赤穂海浜大橋”への坂道です。











左側に見える市民病院





海浜大橋にきました。








橋の上から、北側を見た風景…………。






ここから、次に”赤穂海浜公園”を目指して歩きます。

(ちなみに、ここまで歩数計は10000歩を超えました。)













コメント

兵庫県 播州赤穂駅からはじまるハイキング その5

2020-10-23 15:00:48 | 旅行
次の地図の⑤番の大石神社にいます。





これから、ちょっと寄り道して、⑥番の赤穂民俗資料館に向かいます。


大石神社の境内から、四十七士の石像が並ぶ参道を南へ歩き(地図のE地点)、右に曲がりました。

少し西へ歩くと、地図のF地点の”塩屋門跡”に来ます。





塩屋門は、赤穂城三の丸西に開かれた門で搦手にあたります。


”明治10年代頃の塩屋門”





元禄14年3月19日に藩主浅野長矩の刃傷、切腹を知らせる早使が入ったのがこの門だったそうです。


塩屋門跡の近くに、ひっそりと”良寛歌碑”がありました。





良寛が諸国行脚の途中、赤穂天神の森に立ち寄り、野宿した時に歌ったと言われています。


碑面  ”あこうてふところにて天神の森に宿りぬ  さよふけがたあらしのいとさむふふきたりければ

  やまあらしよ いたくなふきそ しろたへの こころもかたしき たひねせしよは”









ここを後にして、”赤穂民俗資料館”に向かいました。





つきました。








資料館の入り口です。





赤穂は古くから製塩業が盛んで、大蔵省塩務局の庁舎として明治41年に建築されました。

現存する日本最古の塩務局庁舎で、明治の洋風建築の素晴らしさを残しています。





江戸時代から昭和の中頃に赤穂で使われた日常生活用具、農耕生産用具など約8000点を超える民俗資料を収蔵展示しています。



ここから、もと来た道を赤穂城の方へ戻り、本丸の方へ行きました。





大石神社の骨董市が開かれている横を通って、








二の丸の石垣を通り、





二の丸庭園の前を歩いて、





本丸の入り口に来ました。














本丸門です。








本丸内





赤穂城の本丸跡は、本丸御殿の間取りが地面に記されています。























天守台に上がってみようと思いました。





天守台の上から見た赤穂城本丸内の風景





赤穂城は、正保2年(1645)に、常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ、1661年に完成しました。

城郭の縄張りは、近藤正純の指導のもと甲州流軍学によるもので、一部に山鹿素行が設計変更したと伝えられています。

天守台のみ築かれて、天守は構築されませんでした。














この天守台で、周りの素晴らしい景色を楽しみたいとおもいます。
  








コメント

兵庫県 播州赤穂駅からはじまるハイキング その4

2020-10-19 10:05:43 | 旅行



地図の黄色の線に沿って、番号順に観光スポットをめぐりながらウォーキングしています。


上の地図のD地点にある”赤穂玩具博物館”の前にいます。

前の通りの南側の風景を見ています。






この通りを少し東へ歩き、赤穂城の隅櫓の角のところで曲がって、





先に見える、太鼓橋へ歩きます。





正面に見えるのが、大手門です。(地図の④番)





この地点は、毎年12月14日に行われる”義士祭”のパレードのスタート地点となるので、メディアに露出が多く、赤穂城の顔です。



太鼓橋を渡り、大手門をくぐって、城内に入りました。





石垣を方形に積み上げた枡形です。

枡形は打ち出す兵を待機させたり、敵兵を閉じ込めて攻撃するためのものだそうです。





ここを入って、正面に見えるのは、番所跡に番所を模して建てられました。





当時、番所には、門番として足軽3名、下番2名が詰め、大手門の警護にあたっていたそうです。


この番所の左手にはこんな風景が…………。





正面の塀の向こうに広がっている木々や建物は大石神社の境内になります

これを左へ進んでいくと、

道の左手に”近藤源八宅跡長屋門”があります。









この通りをさらに歩くと、”大石邸長屋門”にきます。









この先を右に曲がると大石神社につきました。





今日は、骨董市が開かれていました。


神社の門のところに来ました。


門の前の参道には、赤穂義士四十七士の石像が並んでいます。

(上の地図のE地点から見たものです。)

















門のすぐ前には、右側に大石内蔵助の石像、





左側には、大石主税の石像があります。





神社の門をくぐって、中に入ります。





門を入ってすぐ右側の恵比寿さま





左側の大黒さま





門にあったこの紋は





浅野家の家紋の”違い鷹の羽”です。



こちらの紋は、





大石内蔵助の家紋”右ふたつ巴”



中に、まっすぐ進むと、正面に見えてきたのが、大石神社拝殿です。

(神社の場所は、赤穂城の旧城内で、大石内蔵助の邸宅跡です。)








この拝殿の背後に本殿があります。

本殿に祀られているのは、大石内蔵助をはじめとする四十七士です。

それに加えて、萱野三平という浅野家旧臣も一緒に祀られていました。

萱野三平は、江戸で浅野内匠頭の刃傷事件を知り、すぐに赤穂へ駆け、大石内蔵助邸へ一報を知らせた人物です。


また、本殿には、義士たちの主君である浅野内匠頭長矩など浅野家三代も祀られていました。



本殿西側にある義士宝物殿







ここで、参拝をして、ちょっと休憩します。













コメント

兵庫県 播州赤穂駅からはじまるハイキング その3

2020-10-16 10:44:03 | 旅行
JR西日本から発行された"播州赤穂駅からはじまるハイキングMAP"をもとにして計画したコースを歩いています。





黄色の線に沿って番号順に歩きたいと思います。

今は、③番の花岳寺の本堂の前ににいます。





義士の寺として知られる花岳寺は、正保2年(1645)に、浅野長直が笠間藩から赤穂藩へ所替えされた時に、浅野家の菩提寺として建てられました。

墓所には、浅野、永井、森歴代藩主の墓のほかに加えて、大石内蔵助ら四十七士の墓があります。



花岳寺山門を出て、すぐ右手の角にある建物です。





私の持っている詳しい地図では、”たこ焼き・たい焼きの店”と出ていますが、全然そんな雰囲気がない建物になっていました。

この近辺にあわせて、復元された建物のようと思えます。


この角を西へ行くと、素敵な古い町並みが現れました。





右側にあった、古い町屋を旅館にした建物を見つけました。(上の地図のB地点です。)





のれんに、”茜の街ゆらら 加里屋旅館”とあります。





この通りは、地図に”備前街道”と記されています。










ここから東へ戻って、角をこんどは右へ曲がり南へ歩きました。





次の、ウォーキングコースの目標物は”格子の家”とあります。(上の地図のC地点にあります。)








この家とは位置が違うようです。道の反対側となっています。



目標物発見しました。”格子の家”です。








塗りごめ窓や千本格子……、城下町の風情……。









地図に、すぐ隣の家が、”お塩家・赤穂の焼塩”となっていますので、まちがいありません。





”塩売り”の古そうな看板です。素敵ですね。









道の反対側には、”赤松滄洲宅跡”…………。





赤松滄洲は、享保6年(1721)に佐用(三日月藩)に生まれます。

元文4年(1739)に赤穂藩医大川安碩の養子となりました。

延享4年(1747)には、藩主森忠洪により藩儒に登用されることになります。

のちに、赤穂城塩屋門外に藩校「博文館」を完成させます。



お塩屋さんの隣が”理容室”と地図にありますが、





素敵な雰囲気の建物にリニューアルされていました。



この先を、右に曲がって、





”赤穂玩具博物館”の前にきました。(上の地図のD地点)








昔懐かしい玩具が3000点以上展示されているそうです。

ある人の感想 ”まさにおもちゃ箱をひっくり返したようなにぎやかな楽しい外観”

明治、大正、昭和のおもちゃや骨董品がいっぱい詰まっています。

























玩具博物館の前の通りの風景





左側に見えているのは、赤穂城隅櫓です。



この通りを少し歩き、右へ曲がって赤穂城大手門に向かいます。







コメント (1)