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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

ときどき水彩画 2023/8月31日(木)

2023年08月31日 | 水彩画
岡山県高梁市、備中松山城が臥牛山の山頂にそびえていますが、南麓には備中松山の城下町が広がっています。







ここは、”武家屋敷通り”と言いますが、どこからか武士の声が聞こえてくる錯覚におちいりました。




この通りを進むと右手に”旧埴原家(きゅうはいばらけ)”があります。






江戸時代の中期から後期にかけて、百二十石から百五十石ぐらいの近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅です。




この通りを先の方へ行き、きた通りを振り返った風景です。






”石火矢町”の名前が、いかにも城下町の雰囲気を想像させます。










ときどき水彩画 2023/8月24日(木)

2023年08月24日 | 水彩画
愛知県犬山市にある博物館明治村です。


その中にある建物を探訪するシリーズの最終回になりました。


”ハワイ移民集会所”です。







この建物は、ハワイ島ヒロ市ケヤベ街のワイルック川のほとりにあった教会です。


牧師であった岡部次郎によって日本人向けの教会として造られました。


教会の役目を終えたのちに周辺の日本人の集会所になります。


建物は高床になっており、入り口は太鼓橋のようになっているのは、周囲が湿地帯であったためです。



ハワイへの日本人の移民は明治元年に始まりました。


希望を持ってハワイに渡ったものの、炎天下での長時間の作業はとても過酷だったようです。


最終的に移民が禁止されるまでに延べ13万人の日本人がハワイに移民したそうです。


ときどき水彩画 2023/8月16日(水)

2023年08月16日 | 水彩画
愛知県犬山市にある博物館明治村の中です。


”札幌電話交換局”の建物です。






電話交換業務が北海道で行われるようになったのは、明治33年でした。

ちなみに、日本で最初に始まったのは東京・横浜間で明治23年です。


高価な交換機を火災から守るために、地元産の石材(定山渓産の厚い石)を用いて建てられました。

ルネッサンス以降の西欧を想わせる端正で重厚な石造建築です。


電話はアメリカのベルが発明した翌年の明治10年に日本に紹介されました。

ときどき水彩画 2023/8月7日(月)

2023年08月07日 | 水彩画
愛知県犬山市にある博物館明治村です。


”本郷喜之床”の前です。





この建物は、東京都文京区本郷にありました。


屋号を”喜之床”という理髪店です。


明治の後期から大正初期にかけての商家を知ることができる建物になっています。


店の正面がガラス張りになっていて、当時の新しいスタイルでした。


床屋は”バーバー”と言って、庶民にとっては暮らしに欠かせない店屋でした。


ところで、この建物の2階二間を、明治42年から間借りして家族と生活していたのが、歌人のあの有名な”石川啄木”です。