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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

越中八尾にて おわら風の盆

2018年01月30日 | 旅行
2泊3日の北陸旅行に出かけた。高岡のホテルで連泊する。初日に富山駅まで行き、高山本線に乗り換え、越中八尾駅におりた。ここから、あの有名な踊り「おわら風の盆」の町へ行く。携帯のナビを使って歩いたが、初めて来たところなので、随分長いように感じた。着いた時は、ようやく着いたと感じたことを覚えている。坂の町八尾とのこと、その印象を最初に感じた。




山合いに石積みをし、細長い土地を造成した場所が多いらしい。



町の中をゆっくりと歩くことにした。私は古い建物が好きで、この町のようにそれらが沢山と続いてるところは、嬉しくなってしまう。







ゆっくりと、物想いにふけりながら歩いていると、八尾町東新町というところに出た。この町の名前に心覚えがあった。「おわら風の盆」は越中おわら節の哀調に合わせ、おけさ笠を深くかぶった踊り手が町を流す。その町が、10ほどあるのだが、そのうちの一つに東新町があったような気がする。胡弓が奏でる哀愁のあるメロディーが八尾の町のたたずまいにマッチするような気がする。テレビのドラマにとりあげられ、小説の舞台にもなって、よけいに有名になった。「おわら風の盆」を素材にしたNHKのドラマは、こんな調子で始まる。著名な指揮者「五十嵐肇」、失明の危機と、見知らぬ少女の幻影に悩んでいた。幼馴染の千鶴子から八尾のおわら風の盆に誘われ、千鶴子の産んだ自分の娘が、自分が原因で自殺したと知る。…………





風の盆の踊りは、風を鎮めるために210日に当たる、9月1日から3日に行われる。八尾地方に暮らす人々が大切に守ってきた民謡行事だそうだ。
踊りを生でみたいと想いながら歩いていると、日本の道100選の石碑のある場所に出た。石碑に「諏訪町本通り」と刻まれている。日本の道100選とは、歴史を語るぜひ守っていきたい、地域の内外から親しまれ愛されている、優れた環境のもとで美しい美観を持つ、周辺環境と調和している、そういう道を選ぶらしい。私はこの道の一つに初めて出会った。



今度は、踊りを観に来ようと心に決めて、八尾を後にした。

黒田官兵衛と御着城跡

2018年01月27日 | 旅行
N H K の大河ドラマ「黒田官兵衛」をやっているときは、地元の播磨にいながら、御着城跡に行ってみようと思わなかったのですが、最近、ついでもあったので御着に行ってみました。JR御着駅から徒歩10分ぐらいで着きます。着いた時は、ちょうど二の丸にあたる野球場で少年たちの元気な練習の掛け声が飛んでいました。本丸跡には、姫路市の東出張所が、城に似せた姿をして建っています。




黒田官兵衛ゆかりの地の旗がなびき、御着城本丸跡の石碑があり、ハリボテの人形の顔の部分だけをくりぬいた写真撮影用のものなど、まだ、大河ドラマをやっている時のものと、考えられるものが残っていました。



黒田官兵衛は若い時にこの城の主小寺政職の近習となり、さらにその後、家老を務めました。黒田家が勢力を増して行く過程の出発点です。残念ながら、小寺政職の考え違いによって秀吉を裏切り、官兵衛を裏切って、滅亡することになります。官兵衛の本当の能力を知っていたら、政職人生は変わったであろし、日本史の教科書も変わっていたでしょう。姫路市の東出張所に向かってほんの少し左へ行くと、黒田家の廟所があります。官兵衛の祖父重隆と母の墓です。建物も墓もすごく立派であると思いました。



さらに、姫路市の東出張所の裏にまわってみたら、立派な石の橋がありました。これは、移設されたもので、もとは、旧山陽道の天川に1828年、姫路藩によって築造されたものであり、竜山石による総石造りの
太鼓橋で、全長26.6m、幅4.45m、高さは約5mです。重要な場所の橋なので、姫路藩の威信をかけた工事だったと思います。




その後、黒田官兵衛は秀吉の軍師として活躍し、中津城を与えられ、その子長政は関ヶ原の戦いで活躍し筑前福岡城を与えられます。最後に、長政が、没落した小寺政職の子の氏職を迎え入れ、その子孫は代々福岡藩士として仕えます。御着城跡本丸付近には、堀や土塁跡と思われる痕跡がわずかばかり残っているとのこと、確認はできませんでした。大河ドラマの場面を思い浮かべながら、配役の顔を浮かべながら、楽しい時間を過ごせました。

長崎街道 木屋瀬宿

2018年01月26日 | 旅行
2泊3日の博多旅行の最終日の朝、博多からJRで直方に向かった。知らない土地で、初めて乗る鉄道は、なんとも良いものである。直方で20分ぐらい歩いて、筑豊電鉄に乗り換え、木屋瀬に向かう。初めて行く場所は、不安と期待が入り混じる。木屋瀬につき、観光案内所でパンフレットを貰おうと思ったが、朝早すぎたのか、手に入らなかった。だいたいの方向を定め、ヤマカンで宿場町をさがした。長崎街道の起点である小倉から2番目の宿場が木屋瀬宿である。街道と遠賀川の水運で栄えた宿場は旧街道沿いに、当時の街並みが残っているそうである。しばらく歩いていると、偶然に、「みちの郷土史料館」の前に出た。のちにわかったことだが、ここは宿場の丁度中央あたりにあたる。



タイミングよく、掃除をされていたご婦人がおられたので、聞いてみた。「宿場町を見るのであれば、どこどこを観たら良いでしょうか。」「この辺りも、古いものが沢山残っていますが、あっちのほうにもあります。旧高崎家というのがありますので、是非行ってください。」知らないことは、なんでも聞くのが良い。土地の人と話すのも、楽しみである。ゆっくり歩いて、話の方向へ行った。旧高崎家があった。


(絵は高崎家住宅)
中に入ると、観光客が私だけで、そこの職員の方が親切に案内してくれた。ここは市の施設だそうだ。高崎家は商人の家で庄屋も務めた由緒ある家だそうだ。伊馬春部の生家である。春部は、作家、劇作家で、ユーモア小説やラジオドラマで活躍し、歌人としても知られている。N H K ラジオ連続ドラマ「向う三軒両隣」は有名である。職員の方は、私より2、3歳上で、ちょうど、話がよくあった。後まで記憶に残った話が、高崎家の雨戸の話だった。戸袋を端にだけに限るために、雨戸が、直角に曲がったところで、その直角のところを移動して、通り抜けることができる。これは、面白かった。当時の技術の高さがわかった。この町でこういうところを見て帰りなさいと教えられ、高崎家を後にした。宿場は1100m の長さもあり、ちょうど、私が、最初に出た「みちの郷土史料館」の所が、宿場がくの字に曲がった中間部で、代官所、本陣、脇本陣、郡屋等がある。それらとともに、14、5軒の旅籠があったそうだ。木屋瀬宿には、有名なシーボルト、ケッペル、伊能忠敬も宿泊した記録が残っているそうである。もし、タイムマシンで、時代を遡ることができれば、そういう人たちがいた場所に立っているのである。この町は、今でもよく整備されていて、まるで、映画を見ているようでもある。



旧い街並みを、沢山見れてよかった。さあ、これで、我が家へ帰ろうと、宿場町を後にした。

福岡タワーにて

2018年01月24日 | 旅行
博多旅行の時に、福岡タワーに行きました。今まで、東京スカイツリー、横浜ランドマークタワー、通天閣に登ったことがありました。高いところはあんまり気にしないたちで、どっちかといえば好きです。福岡タワーは高さ234m、日本で一番高い海浜タワーです。アジア太平洋博覧会に合わせて建設されました。展望台は地上123m、1階から70秒で到達します。



展望台で志賀島が見えました。志賀島と言えば、金印です。中高等学校の日本史の教科書に登場する最もポピュウラーな国宝で、黄金に五つの漢字(漢委奴国王)が刻まれており、これが、江戸時代、志賀島の田地より掘り出され、現在は福岡市博物館に所蔵されています。委の国王が後漢に使者を派遣し、それに後漢の光武帝が金印を贈ったものと考えられます。歴史上の大きなことが目の前の志賀島であったというのはすごいことだと思いました。さらに、目の前の博多湾を見ていると、元寇を想像しました。鎌倉時代の中期に、モンゴル帝国および、その属国である高麗王国による2度に渡り行われた対日侵攻であります。文永の役、弘安の役ともいいます。日本に対して朝貢を求めた2度の戦いはともに神風のおかげで、時の鎌倉幕府が勝利したと言われますが、定かではありません。こんな歴史的に大きなことが、目の前の博多湾で起こったということは、凄いことに感じました。



タワーには新しい驚きもありました。数多い南京錠が目を奪います。恋人の聖地ということで、永遠の愛を誓う恋人がこれらの南京錠をかけて、愛を誓ったそうです。過去、現在のいろいろが想像されてなんとも言えない気持ちになりました。

櫛田神社にて

2018年01月22日 | 旅行
12月の初め、滞在している博多のホテルから朝早くに歩いて櫛田神社に向かった。こんな時はスマホのナビが便利である。特に最近は、方向音痴になって、自分でも嫌になってしまう。まったく反対の方向に行ってしまうこともよくある。なんとか、ナビのおかげで、櫛田神社の近くまで来たら、博多町家ふるさと館に行きあたった。明治中期の博多織元の町家を移築復元したものだそうだ。残念ながら、朝早すぎてまだ中に入れなかった。(下の絵 ふるさと館近辺 銀杏並木)




櫛田神社に入って、最初に大きな銀杏の木に目を奪われた。




樹齢千年とも言われ、御神木だそうだ。銀杏は長寿のイメージが強いのでさもありなんと思った。次に本殿に進んでいったら、霊泉鶴の井戸というのがあって、本殿下から湧き出ているらしい。不老長寿の命の水として信仰されているとのこと。不老長寿であれば、飲んでみたいと思ったが、現在は飲めなくなっているみたい。本殿で参拝した。いつも、参拝する仕方に迷ってしまう。説明が書いてある神社もあるが、色々あるような気もする。日本の人は何かにつけて神様仏様にお願いして、いろんな願い事を叶えてもらおうとするのだが、外国人にはこの姿はどう映っているのか興味がある。



さらに、神社内を散策していると、夫婦ぎなんに出会った。「ぎなん」とは、たぶん、銀杏のことだと思う。大きな木が3本あって、このうちに雄木と雌木があるのだろう。銀杏は実をつけるので、「夫婦」の名がついていると想像した。それにしても、博多は、銀杏が多いと感じた。昔、私が勤めていた高等学校が進学校で、受験に御利益があるというので、近所の奥様が自分の子に食べさせるのに銀杏の実を拾い集めていたのを思い出した。