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ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

広島県 福山城にて

2019年05月31日 | 旅行
尾道へ行った帰りに福山駅に降りて、福山城に行きました。

駅から出てすぐの信号のところ。





駅前のすぐに、大きな石垣が続きます。





先の方の石段を上がると福山城です。

昔の福山城の図だと思います。





三の丸から下の部分は、道路、JR、町になっています。


石段を上がって、城の中に入りました。





前に見えるのは、「伏見櫓」。

三層の隅櫓です。もとは伏見城にあったものでした。

戦禍からもまぬがれて残った貴重な遺構です。



黄色の線に沿って番号順に歩きます。





伏見櫓の前を右に曲がり、

少し東へ歩いて行くと、石垣の先の方に「月見櫓」、手前に「御湯殿」がありました。





月見櫓は、伏見城にあったものを移築したもの。

明治元年にいったん取り壊されましたが、昭和41年に外観復元されました。

御湯殿は、昭和20年の戦災により焼失しましたが、同じく昭和41年に復元。



ここから、筋鉄御門の方へ向かいます。

門のところのやってきました。





本丸の正門のところの現存する櫓門です。

戦災の焼失をまぬがれました。

福山築城のときに、伏見城から移築したものといわれています。

扉や門柱に筋状の鉄板が打ちつけられていることから、「筋鉄」の名称になったようでした。





筋鉄御門を通って、本丸へやってきました。





鐘櫓の近くに行って、本丸の外を見た石垣の風景。





私は、石垣が好きです。

ここのも、すごいですね。

今までで、私が一番すごいと思ったのは、熊本城です。

地震で崩れて残念ですが、復元されたら、ぜひ、行ってみたいと考えています。


天守の方へ行ってみることにしました。


天守です。





「福山市立福山城博物館」といわれていました。

中に入ります。


さっそく、目の前に、「徳川家康」と「水野勝成」の像が現れました。





家康と勝成の関係を示す系図。





福山城は、ここより西の方の国の鎮護の重責を担って、水野勝成が1620年より3年の歳月を費やして完成した平山城でした。

この地は、西の方を守るため、陸、海の要衝です。

総面積八万坪、内外二重の濠をめぐらし、本丸には、白亜の五層六階の複合天守と多数の櫓を構築し、その偉容は、全国城郭中屈指の名城とされていました。

福山城は、別名「久松城」、「葦陽城」とも呼ばれます。


福山城の模型が⋯⋯⋯。





一番上に上がりました。

外の風景です。





先に福山駅が見えました。


反対の方向に、特徴ある建物と庭園が見れます。








「福寿会館」の建物と庭園。

海産物商で財を成した「安部和助」が、建築したものだそうです。






天守の下の階に降りて、見残した展示物を見ました。












天守の外へ出て、駅に戻ります。


城外へ向かって、歩いて降りているときに天守のほうをふりかえった風景。





向こうに見えるのは、たぶん月見櫓でしょう。





降りてきた道をふりかえった風景。

両側の石垣がよかったので、撮影しました。





もう一度、最後に天守を見ます。





一番下まで降りてきました。





すぐ先の駅へ向かうときに、見た石垣です。






長い間、福山城に来たかったのですが、機会に恵まれずそのままになっていました。

実現できて、満足しました。


これから、播州赤穂へ帰ります。
















西の小京都 尾道 文学・古寺巡り その6

2019年05月29日 | 旅行



千光寺道を降りてきて、JRの踏切を渡ります。


黄色の線に沿って番号順に歩いています。





踏切で、尾道駅方向を見た風景。






尾道本通り商店街へ向かって歩いていると、突然現れた行列のできる店「Eternity」です。

甘い香りがしました。

携帯でEternityの意味を調べると、「永遠」。








列の側に立っている人に、なんの行列かたずねると、クレープの人気店のようでした。

私も食べたかったのですが、そろそろ尾道駅から乗る、帰りの予定の電車の時刻が近づていたので、行列に並ぶのはパスしました。


本通り商店街に来ました。





今日は、少し寂しいですね。

ちょうど昼前ぐらいですが。





歩いていると、スポーツ店に、カープの選手の写真が、⋯⋯⋯。





赤は、強いカープのイメージですね。


歩いて行くと、右側に「御旅所」の看板が、⋯⋯⋯





なかに入ってみると、「尾道ベッチャー祭り」で使われた旧神輿がありました。





文化4年(1807年)に、尾道市内で流行した疫病の平癒祈願のために行われた祈祷に由来するお祭りだそうです。

ベタ、ソバ、ショーキの三つの鬼の面を付けた氏子が子供達を追いまわし、ささらや祝棒などで、頭をたたいたり、ついたりされると、病気平癒のほか、子宝に恵まれたり、頭が良くなるとされていました。












さらに、本通り商店街を尾道駅の方へ歩いて行くと、「大和湯」がありました。





お風呂屋を改装した、食べ物屋さんと喫茶の店です。

中は、昔の銭湯の雰囲気が残っているようでした。

お店の前では、いろんなものを売っていて楽しい雰囲気です。

地元産のジュースやテングソース?⋯⋯⋯も、並んでいました。

全体の雰囲気が、なんとも言えないレトロな感じがします。



さらに、歩いて行くと、「尾道商業会議所」の名があります。





大正時代に建てられた商工会議所。

当時と同じように復元して、改修したようでした。

尾道市の商業史に関する資料展示がされているほか、観光の休憩所や観光案内も兼ねているそうです。


なかに入ってみました。


「本因坊丈和」のものが展示されています。





「本因坊丈策」のものも。











本因坊秀策の自画像と思われます。





秀策は、この近くの因島で生まれました。

囲碁の世界では、秀策流で有名で、碁聖と呼ばれています。


私も囲碁は好きで、夢中になったこともありました。


女流の棋士の書があります。






外へ出ました。

時計を見ると、いよいよ予定の列車の時刻が近づいたので、駅へ急ぎます。


途中で、土産を買いました。


駅へ着きました。





次は、帰りの途中の福山駅で降りて、福山城によります。













西の小京都 尾道 文学・古寺巡り その5

2019年05月27日 | 旅行
千光寺の鐘楼のところのベンチにいます。





下の方の眺めが素敵です。桜も見頃。


ここから、さらに上のほうの展望台に向かいます。

黄色の線に沿って番号順に歩いていきます。





千光寺の建物の裏を通って歩いていきます。

「鏡岩」がありました。





岩の上の方の白い円になった部分のことだと思います。

鏡岩と呼ばれているものでした。

鏡には神が宿るという信仰の対象であったと言われています。


ここを通って展望台へ歩きます。








下の風景が、だんだん小さくなりました。(望遠で撮影しています。)





「文学のこみち」を通ります。





尾道ゆかりの25名の作家・詩人の詩歌・小説の断片等を千光寺山頂から中腹にかけて点在する自然石に刻んでいました。

林芙美子のがありました。





物心ついた小学生時代の貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、ことに名作があります。

舞台でも有名になった「放浪記」は、彼女の作品です。


志賀直哉のものも。





桜も綺麗です。








ロープウェイの山頂駅です。


下は、向島との間の海が見えました。





展望台のすぐ近くのところです。





なぜか展望台には上がりませんでした。

少し、つかれた気分になったのかも。


そばのこの場所からも下がよく眺められました。





売店で、ソフトクリームを買って、子供のように食べてから、下におります。







おりてきたところを振り返った風景。

左の白い建物はトイレでした。








どんどんおりていきました。

千光寺の方へ進んでいった途中に、「頼山陽」の像。





さらに、相撲と関わりの深い土地柄か、大横綱の手形が⋯⋯⋯。





懐かしい名前があります。


遠くには、千光寺の裏の石鎚山の鎖場が見えました。





この辺りから、まっすぐ下へ降りていきます。





千光寺道です。左側に天寧寺の海雲塔。





さらに、急激に石段を降ります。





趣のある家。





「茶屋 昇福亭」のところまで降りてきました。





閉まっています。

ここは、「はっさく大福」で人気の店。

餅のなかに、はっさくの身がまるごと入っていて、白餡との相性が抜群です。

以前に来た時に美味しかったので楽しみにしていたのですが、残念でした。





ようやく、下のJRまできました。






踏切を渡って、商店街の方へ行こうと思います。



西の小京都 尾道 文学・古寺巡り その4

2019年05月24日 | 旅行
中村憲吉旧居のところにいます。





中村憲吉歌碑

岩かげの光る潮より風は吹き

幽かに聞けば新妻のこゑ






今から、「千光寺」の方へ行こうと思います。


黄色の線に沿って番号順に歩きます。






しばらく行くと、「みはらし亭」のところに来ました。








ゲストハウス。


東を見ると、ロープウェイの2台がいきちがおうとしていました。





みはらし亭の玄関です。





2016年4月にゲストハウスとしてオープン。

築100年の茶園(さえん:別荘建築)。

茶園とは、尾道の豪商たちの粋の極みである別荘のことです。

大正10年の建築。


いよいよ、この旅のハイライトの「千光寺」にやってきました。

桜の名所と言われています。











満開とまでいきませんが、綺麗ですね。


「毘沙門堂」のところまで上がってきました。





さらに、石段を登りました。





上がったところに行列の人ができています。





「三十三観音堂」。

千光寺名物の一つ、「カチカチ数珠」があります。

関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊、観世音菩薩33体が祀られ、西国観音霊場を巡拝しなくてもここだけで同じ功徳があると伝えられていました。

お堂の正面に、百八煩悩滅除大念珠がさがっていています。

幸せを念じながらゆっくり引きますと、珠が上から落ちてカチカチと音がします。

この音で、煩悩を打ち消して、観音様が守ってくれるとのこと。

それで、行列ができているのかな?⋯⋯⋯。





いよいよ、この石段を上がっていくと、本堂にたどり着きます。





一番下からだと、かなりの数の石段を上がりました。





本堂。


本堂を通り抜けて、東側の横から見た風景です。





千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現。

本堂の裏には、石の鳥居があり石鎚蔵王権現が奉られています。

本堂裏の石鎚山の鎖場を登って、一般客もお参りできます。





私は、鎖場は苦手。ヘソの下がこそばゆくなります。





奥に進んで、「大師堂」にきました。





もちろん、千光寺を開かれた空海様をお祀りしている堂です。


さらに、奥へ行くと、海に向かって「鐘楼」がありました。





朱塗り、唐づくりの鐘楼。

断崖絶壁の上に建っていました。

この鐘は、元禄時代の古くから時の鐘として有名だったそうです。

近年は、「除夜の鐘」として、広く人々に親しまれ、尾道の名物のひとつです。

この附近の情景は、志賀直哉の「暗夜行路」にも描写されていました。



ここのベンチで座って、少し景色を楽しみます。








西の小京都 尾道 文学・古寺巡り その3

2019年05月22日 | 旅行
今、尾道の文学記念室の前にいます。





この建物は、元々は、地元企業役員の福井邸でした。

福井邸の希望により、1998年に市が建物ならびに庭園を整備し、文学記念室として公開しました。

この建物は、映画「太陽は泣かない」(1976年飯塚二郎)、「あの、夏の日」(1998年大林宣彦)のロケ地でもあります。


ここから、次の地図の黄色の線に沿って番号順にウォーキングを続けます。





元の路地へ戻り、少し東へ歩いたところの風景です。

わりと、高いところにいます。





さらに東へ歩きます。





遠くに、「新尾道大橋」が見えたので、望遠を使って撮ってみました。





ここから少し行くと、「天寧寺 海雲塔」に着きました。





1367年に足利義詮が建立しました。

その時は、五重の塔でしたが、江戸期の1692年に上の二重を撤去し、三重塔に改められます。

和様に禅宗様式を取り入れた建築当初の姿をよく残しています。

高さは25mです。

三重塔のバックに見える海と空は格別とのことから、海雲塔の名前が付きます。

尾道を代表する景色。






次の観光ポイントの「中村憲吉旧居」に向かいます。


途中に通った風景。

下の方の店に猫の看板が見えます。

ちなみに、尾道は猫でも有名なところらしいです?⋯⋯⋯。

坂道を歩いていると猫によく出会いました。





上りの道を歩いていきます。





左手の下の方に、あの海雲塔が⋯⋯⋯、遠くの海も⋯⋯⋯。





石段を上がります。








しばらく行くと、「中村憲吉旧居」に着きました。





1933年12月25日に病気療養のためこの地を訪れ、1934年5月5日に亡くなりました。46歳でした。

斎藤茂吉をはじめとする多くの文人たちが見舞いに訪れたといわれています。





千光寺に夜もすがらなる時の鐘 耳にまぢかく寝ねがてにける 中村憲吉

広島県三次市の人、アララギ派の歌人。



ここから次の観光ポイントの「千光寺」に向かいます。