goo blog サービス終了のお知らせ 

ウォーキングと旅行でのひとり言

ウォーキングと旅行の途中で頭に浮かんだことを書いてみました

上州沼田 天空の城下町 真田の里 その1

2018年11月30日 | 旅行
11月のはじめ、関東方面へ4泊5日の長期旅行へ旅立ちました。

今回は、体力が持つか、不安な気持ちを持ちながらの出発です。

播州赤穂から相生へ、新幹線こだまで新大阪へ、のぞみ110号で東京に着きました。





東京から、初めて乗る北陸新幹線「はくたか559号」です。

これに乗り、高崎で降り、上越線に乗り換えてそこから沼田に行きました。

そして、最初の訪問地の「沼田」に12:49に着きました。

はるばるやってきたという思いです。





沼田駅です。





黄色の線に沿って歩きます。

まず、「滝坂」を上がって、「沼田城址公園」へ行きます。

沼田には3つの川が流れます。利根川、方品川、薄根川。

この川の働きで、世界でも有数の「河岸段丘」がつくられました。

(私もテレビでブラタモリを見て知りました。いちおう地学を高等学校で教えた経験はあります。)

河岸段丘は、「段丘崖」と「段丘面」からできています。段丘崖がゼッペキ、段丘面が平らなところ。

城下町は、段丘崖を80mも登った段丘面にあります。





駅前から続く「滝坂」を登っていきます。





坂の途中にあった旅館です。

もう、紅葉が見られるみたいです。

来る前は、今日は雨との予報で心配していたのですが、たいしたことがないので安心しました。





この先に、左に曲がると、歩行者専用の急な石段がありました。

何段あるか数えませんが、すごくあったと思います。

息をきらせて、上りきりました。

さらに坂です。





だいぶん上にやってきましたが、まだまだみたいです。

この辺りで、可愛い犬を散歩させているご婦人に会ったので、城への道があっているか確かめると、大丈夫みたいです。




この坂を登りきり、少し歩くと、やっと、沼田城址公園に到着しました。














公園の中に入っていくと、すぐに城址のあとが見れました。





「沼田城本丸堀跡」。











ここから、先へ行くと、「旧生方家住宅」が現れました。





生方家は、沼田藩の薬種御用達を務めた商家でした。

17世紀末ごろに建築されたものと考えられるそうです。

東日本では、最も古い町屋造りの建築物です。

家の中を見学させてもらいました。











屋号は「ふぢや」ですが、上之町の角地にあったので、「かどふぢ」と呼ぶようになったそうです。

この場所は、建物が移築されたところです。

外へ出ました。





正面から見た生方家住宅。

ここの奥に「旧土岐邸洋館」があります。





大正13年(1924)の建設。

ドイツ郊外別荘風住宅。大正末期から昭和初期にかけてよく見られたそうです。

屋根にある「牛の目」窓と、1階のドイツ壁仕上げがかわっています。

江戸時代に沼田藩主を勤めた土岐家の東京渋谷にあった邸宅を現在地に移築したそうです。

内部は和風と洋風の両方の要素を持つそうです。

中は見学できませんでした。

「段丘崖」を登ってきたので疲れました。ここで、ひと休みします。



続きは、次のブログで。

京都 南禅寺 三門

2018年11月28日 | 旅行



京都、南禅寺の三門(山門)です。

高さは22メートルあります。

別名「天神竜門」と呼ばれ、上の方の楼を「五鳳楼」と言い、日本で、三大門にあげられます。

料金を払えば、上の方に上がれるみたいです。上に上がれば、そんなに高い建物ではないのに、京都が一望できるみたいです。

かの石川五右衛門が、「絶景かな、絶景かな」と言ったとか。はたまた、作り話だとか。

ただ、三門あたりに来ると、京都らしい雰囲気が味わえるのは確かです。

現在の三門は、1628年、藤堂高虎が大坂夏の陣に倒れた家来のために再建したものであります。

一番下の敷居は容易にまたげないように高くなっています。

これは、聖域と人間の俗世との結界である門の敷居を高くし、簡単に踏み入ってはならないことを示したものでした。


この敷居に、若いカップルが仲良く並んで座っている姿が、ほほえましいと感じました。

比叡山 延暦寺にて

2018年11月26日 | 旅行
午前中に比叡山坂本の門前町を歩いて、午後は比叡山にあがります。





比叡山に登るケーブルカーの乗り場です。

各時刻の00分と30分に発車します。

ケーブルカーは、窓の大きな、ヨーロッパ風なデザインですね。なんか、大正時代の匂いもします。

景色も長さも、日本一というふれこみなので、楽しみです。

ホームは階段状になっています。

座席は進行方向に対して背を向けるようです。








ケーブルカーの建設中に発掘された多数の石仏が、左のほうの洞の中に安置してあります。





これは、織田信長の比叡山の焼き討ちの時、犠牲になった人達の霊をなぐさめるために土地の人がまつったものといわれています。





トンネルを通過。








延暦寺駅に着きました。





駅舎は大正14年に建設されたそうです。「近畿の駅百選」に認定されています。

ここで、ケーブルカーの仕組みに少し触れたいと思います。(私は、乗り物が好きです。)

急勾配の線路を上るため、車両にケーブルを接続し、巻き上げるつるべ式になっています。

巻上げ機はこの駅にあり、モーターが回転してロープを巻き上げます。

ケーブルの所要時間は11分です。





ここから延暦寺をまわります。黄色の線に沿って歩きます。





こんな山道です。





入り口に来ました。入場料を払って入ります。





まずはじめに、「根本中堂」に入りました。今は、改修のまっ最中で、建物は覆いがあり、見れません。

中は、非常におごそかな雰囲気です。

最澄が788年に創建したお堂で、国宝です。

伝教大師の自作の薬師如来像の前に、1200年以上消えることがない「不滅の法灯」がありました。

中の写真は撮れません。


次に急な石段を登って「文殊楼」に向かいます。





急なのがわかってもらえると思います。

文殊楼です。





一行三昧院とも称されます。864年に完成。その後なんども焼失。

現在の建物は1668年のものです。





石段を降り、「大黒堂」へ。





日本の大黒天信仰の発祥の地だそうです。


ここから、「大講堂」を通って、「阿弥陀堂」、「法華総持院東塔」に向かいます。





大講堂です。僧侶が法華経の講義を聞き、互いに問答する学問修行の場です。





「阿弥陀堂」に来ました。比叡山開創1150年の大法要を記念して建立された「先祖回向」の道場。





建物が美しいですね。


東塔です。





伝教大師が全国6カ所の聖地に建立した宝塔を総括する重要な信仰道場です。





そろそろ、ケーブルカーの時間が気になってきました。30分おきですから。

急いで、延暦寺駅に戻ります。


駅に戻ってきました。


ボーイ、ガールスカウトの女の子が、手を出して、ポーズをとっています。





何をしているのかきくと、手のひらにピーナツをのせて、鳥を呼び寄せるのだそうです。

私もその瞬間の写真を撮ろうとしましたが、2度のチャンスを逃し、空振りに終わりました。

ほんとうに、鳥が来るのですね。


手のひらから取るところは撮影できませんでしたが、すぐ近くの鳥は撮れました。








あまり、はっきり写ってませんね。難しいです。






大正の延暦寺駅を出発して、播州赤穂への帰路につきました。


比叡山坂本 門前町を歩く その3

2018年11月23日 | 旅行



隣の日吉蕎麦で昼食を食べて出てきたところです。

ここはすぐ隣の鶴喜蕎麦です。いつも、たくさんの人が行列をつくる人気店みたいでした。

300年の伝統の味を今も受け継ぐ老舗の店です。

築130年を超える母屋は、登録有形文化財に指定されています。


ここを左のほうへ進み、「作り道」を歩きました。





古い町家が並んでいます。





石屋さんのところに猿が沢山いました。

ここの日吉大社では、猿は神様の使いとされています。

神様と人間とをつなぐ役割を果たすので「神猿(まさる)」と書き、「魔が去る」や「勝る」に通じ、縁起がよいとされました。

「見ざる聞かざる言わざる」の言葉もここが始まりだそうです。

さらに、その言葉に、「思わざる」が追加されるみたいです。


ここから、元の蕎麦屋のところに戻り、次は「滋賀院門跡」を目指しました。





ここを通りました。この先を左に曲がります。





個人のお家だと思うのですが、玄関までの素敵なアプローチです。





清らかな流れの小川がありました。





滋賀院門跡の入り口に着きました。正面がそうです。





滋賀院門跡です。





徳川家康の参謀として名高い「天海」に関わりのあるところです。

天台座主の御在所として、地元では「滋賀院御殿」と呼んでいます。

狩野派、渡辺了慶作の襖絵、小堀遠州作の庭園が見事でした。

立派な籠もありました。


中は撮影ができないので、写真はありません。見ごたえはあります。


ここから奥に進んで行くと「慈眼堂」がありました。








「慈眼大師・南光坊天海大僧正」を祀る廟所です。

家康、秀忠、家光の三代の将軍に仕え黒衣の宰相といわれました。

近くにある「十三体石仏」です。阿弥陀如来石像。





ここから、次に、「日吉東照宮」に行きます。





この石段を上がったところです。ずいぶんたくさんの石段です。

やっと上がれました。





日吉東照宮です。ここの日吉大社の南300mほどのところにあります。

僧天海が建てた東照宮のひとつです。


ここから、延暦寺に行くため、「ケーブル坂本駅」に向かいます。





その途中に見た琵琶湖の風景です。


駅に着きました。






次のブログで「延暦寺」にケーブルカーで行きます。







比叡山坂本 門前町を歩く その2

2018年11月20日 | 旅行
西教寺の本堂の場所からウォーキングを再開します。





本堂の向かって左側にある建物です。「客殿」になります。

伏見城の旧殿を移したもので、桃山様式をよく現している建物だそうです。





黄色の線に沿って歩きます。

ここから、総門まで戻ります。わりあい長い道のりです。





西教寺の総門の前まで戻ってきました。

ここを左のほうへ進んで行きます。

途中で、大きな道から右に入り山道を進みました。

しばらく行くと、「ハ講堂千体地蔵尊」がありました。





周辺の田畑から掘り起こされた地蔵尊を集めています。

今も住民の手で守られているそうです。





この道を「山の辺の道」と言います。

右手には、山の傾斜を利用した棚田があります。

左手には琵琶湖が見えます。

のどかなところで、ウォーキングには最高です。





この近くで、大きな農家の前に、野菜や柿を売っていました。誰もいなくて、お金を入れるものがあります。

私は柿が好きなので買いました。それと、野菜の"ししとう"も。100円や200円です。安かった。

そうしていると、家の中から、ご婦人が出てきて、少し話をしました。

旅に出て、地元の人と話をするのも楽しみのひとつです。

「日吉大社」への道をご婦人に確認して、さらに歩きます。





ここからすぐに、「日吉大社 東本宮」に着きました。





東本宮の入り口です。中に入りました。








「東本宮拝殿」。拝殿は本殿の前の独立する建物です。1596年ごろの建築。

「東本宮 本殿」です。





国宝です。1595年に復興された建物です。

ここから出て、「白山宮」、「宇佐宮」に向かいました。






途中の道です。清々しい空気を感じます。パワースポットかも?。








清流が流れています。





「宇佐宮本殿」。





ここから、少し歩くと、「西本宮」がありました。








西本宮の本殿です。





ここを後にして、先に進みます。


むこうに見えるのは、大宮川にかかった「走井橋」です。








こちらの「大宮橋」を渡りました。





「走井橋」、「大宮橋」そして「 二宮橋」を日吉三橋と呼んでいます。




次は、「せせらぎの道」を通って「生源寺」を目指します。


せせらぎの道にやってきました。





門前町 坂本の景観を特徴付けるのは、「穴太衆積み」と呼ばれる石垣です。

加工しない自然石の面を巧みに活かした、素朴であるが強固な感じを受ける石垣。

美しいですね。(実は私は石垣好きなのです。)


このような道がしばらく続きました。

そんな時に、素敵な風情のお家があり、外人さんが中に入っていました。

どうも個人の家のようで、中に入ってもいいか疑問です。





外人さんだから、そのへんがわからないかも。

不安を感じながら、みていましたが、なにもなくてホッとしました。


生源寺に着きました。








伝教大師(最澄)の御誕生地とされます。山門を入った右手に産湯を使った井戸があります。





1595年に再建され、1710年に改築されました。


ここから、京阪電車の坂本駅に行きます。


今回、「関西1デイパス」のお得な切符を使っているのですが、ケーブルカーの乗車券を引き換えるために「京阪電車 坂本比叡山口駅」に来ました。



そろそろお腹が空いたので、「鶴喜そば」にいきます。

また、いっぱい人が並んでいるかも。心配です。

案の定、たくさんの人が並んでいました。





テレビで、「ますだ、おかだ」の増田さんが、ここを訪れ放送したので、さらに人が多くなったようです。

諦めて、隣の「日吉そば」に入りました。








ここで、蕎麦をゆっくり食べます。


ブログも休憩。

続きは次回。