この曲ほど死の恐怖を生々しく、赤裸々に描いた曲も少ないのではないかと思います。マーラーは言うに及ばず、ショスタコーヴィッチでも、もう少し洗練されたというか、もって回ってというか、シューベルトほどあからさまではありません。上に掲げたエゴン・シーレの悲痛な絵がこの曲に触発されたのかどうか、不明にして知りませんが、その内実において一致するものがあると感じます。
4楽章全部が短調というのも異様で、ショスタコーヴィッチの最後の弦楽四重奏曲第15番がすべてアダージオで書かれているのと同じく、死に憑かれているとしか表現が見当たりません。病気と政治と理由は全く異なりますが、二人の偉大な作曲家を襲った不条理な苦難を思わずにはいられません。
前回、友だちにしたい作曲家No.1はシューベルトだということを書きましたが、それはシューベルティアーデに見られるような、社交的でいてどこかおずおずとしたやさしい性格が好きだというだけでなく、この曲のように死の深淵を見つめ続けたところも大きな理由です。
絵が知っているのですが、この曲は知らないんです。
絵と一緒に今度聞いてみます。
すごく格調高いブログですね。音楽のお話ってこう書かなくちゃいけないですね。
でも啖呵についてって・・・(>_<)
啖呵って好きな言葉なんですが、やっぱり可憐な女性には失礼なので、同義語に代えておきましたw。
死神のダンスとは言いえて妙ですし、ゴスホラ(そんな言葉はないかな)って感じもよくわかります。ただそのダンスの相手は、シューベルト=リスナーなんですよね。
これからもよろしくお願いします。