夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

過去に引きこもる国

2009-03-10 | news
イノセントな昔を懐かしむ日本――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

まず元記事を全文引用する。

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イノセントな昔を懐かしむ日本――フィナンシャル・タイムズ 2009年3月9日(月)08:00
(フィナンシャル・タイムズ 2009年3月5日初出 翻訳gooニュース) アジア編集長デビッド・ピリング

経済の惨状を目の当たりにしながら世界各国は、このような事態を二度と引き起こさないには何をどうしたらいいのか考えている。市場資本主義を活気づける創造的な天使たちを自由に解き放ちつつも、破壊と混乱をもたらす地獄の番犬たちは好き勝手させないよう閉じ込めておくには、いったいどうしたらいいのか? 世界各国ではそうなのだが、一方の日本ではむしろ過去を振り返ろうという人の方が多い。

このほど東京を訪れた私は、会う人会う人に、日本は経済危機にどう取り組むべきか質問していった。そしてそのたびに、質問した相手はまるで忍者のような素早さで、明治以前の日本について言及するのだった。19世紀半ばにアメリカの軍艦によって無理やり開国させられる前の日本は、まるでアダムとイブがエデンを追われる前のような、原罪なきのどかな時代だったと言わんばかりに。当時の日本はまだ、世界の中で生きるためにゴリゴリ薄汚く働かなくてもよかったのだと、そう言うのだ。

「ミスター円」と呼ばれ続ける榊原英資・元大蔵省(現・財務省)財務官は、明治以前の日本は平和で整然としていて、手つかずの、人懐っこい国だったと言い、そういう国に立ち返るべきだと話す。

また、経済政策について質問した民主党の「次の内閣」閣僚は、江戸時代の日本は輸入量がほとんどゼロだったと言及(江戸時代の日本はほとんど200年間、出入国を事実上禁止していたのだから、輸入量ゼロは驚くに値しないのだが)。この政治家によると、日本が輸出を始めたのはただひたすら、国を守るために軍隊を築き上げる必要があったからで、それ以外の理由はなかったという。そしてその決断のせいで日本はこんにちのような、工業製品を海外消費者に売ることで成り立っている、過剰なまでに輸出依存型の国になってしまったのだと。

一年の半分を日本で過ごす、コロンビア大学のベテラン学者、ジェリー・カーティス教授によると、今の日本には確かに危機感よりも、昔を懐かしむ強いノスタルジアのにおいがたちこめているという。

「インテリの多くはアメリカを丸ごと拒否しはじめている。ネオリベラルな自由市場資本主義をそっくりそのまま鵜呑みにしていた人でさえ、もうアメリカはいらないと言い始めた。今の日本では、いかに日本の過去が素晴らしいかを語り合うのが、言論の主流になりつつある」

経済危機を機に、(明治時代にさかのぼらないまでも)戦後日本の三つの柱に対する評価が、大きく塗り替えられている。

一つ目は政治だ。(わずか10カ月の空白をのぞいて)過去半世紀にわたり日本を統治し続けた自由民主党の死は、あらかじめ予言されていたに等しい。これまでも何度か危篤状態に陥っては息を吹き返してきた自民党だが、今度こそいよいよ臨終を迎えようとしている様子だ。信頼できる政策がない、しかも特に信頼できる経済政策をもたないというのが、自民党が抱える問題の一部だ。自民党がまるで王族よろしく自分たちは権力を握っていて当然だといわんばかりにふるまっている姿を(二世や三世の世襲議員が異常なほど多いのが、その象徴だ)、国民が怒っていることも、自民党の問題の一部だ。政治システムをぶっ壊したはずの、過激なアウトサイダーだったはずの小泉純一郎氏でさえ、自分の議席を息子に譲ったばかりなのだ。対照的に野党・民主党は(世襲議員もそれなりにいるが)若きテクノクラートであふれている。遅くとも9月までには行われる次の総選挙では、民主党が勝つだろう。

日本の言論界がいまさかんに攻撃している、戦後日本のもうひとつの大黒柱は、官僚システムだ。かつては「奇跡の経済復興を主導した、無視無欲で優秀きわまりない日本の官僚」と称えられていた世間における役人のイメージは地に堕ちてしまった。今や世間的イメージでいう官僚とは、私利私欲に走る強欲なエリートで、政策失敗を専門とし、楽で実入りのいい天下りポストを自分にごほうびとしてあげることに汲々としている連中のことになってしまった。

崩れつつある三つ目の柱は、戦後の経済モデルそのものだ。今の日本では、戦後経済の礎となった製造業重視を弱めて、農業重視への転換がさかんに主張されている。たとえば世界は二度とかつてのような消費レベルを回復しないだろうと考える榊原氏は、製造業を主力とする日本はおそらくこの経済危機で最も苦しむだろうと指摘しているのだ。

日本の農業は手厚い保護政策で守られているというのが、一般的な見方だ。けれども日本人は、カロリーベースの食料自給率が40%でしかないことを心配している。民主党は農家補助の大規模拡大や戸別農家主体の農業の産業化推進を主張しており、榊原氏はこれを支持。榊原氏はさらにトヨタ自動車に対しても、自動車産業は今や斜陽産業なのだから、トヨタのエンジニアを使って農業の効率改善に取り組むべきだと説得を試みてきた。「ジャストインタイム方式」で作られたニンジンの時代がまもなくやって来るかもしれない。

世界は今、金融メルトダウンに必死で取り組んでいるし、日本の製造業は受注減の衝撃にさらされている。そういう状況でこうやって日本国内で、のどかな農業社会の幸せや明治以前の古き良き日本についてさかんに取りざたされている様子は、いささかシュールではある。つまりそこからうかがえるのは、これぞというアイディアを懸命に探し求めている国の姿だ。そういう状況だからこそ、半世紀目にして自民党を破る絶好のチャンスが、野党にも巡ってきたと言える。しかしもしも日本の国民が選挙で新しい政権を選ぶとしたら、それは何か新しいものを求めてというよりも、もっと古いものを求めてそうするのかもしれない。

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この記事の指摘する「日本にはびこるノスタルジー」はぼくも賛成で、その主な理由は「精神的な老化現象」だろうと思う。年を取れば誰だって「昔はよかった。自分の若い頃はもっと穏やかな陽だまりのような社会だった」と考えがちだ。そして、「未来は暗い。将来に希望はない。いちばんいい時期はもう終わった」と老人にありがちな悲観的で、意地の悪い宣告を若い世代に対して下すのだろう。

こうした認識自体は間違っていないのかもしれない。多くの人たちは政治や行政に希望が持てる、信頼できるとは思っていない。何よりそうしたものに対して、シニカルなスタンスを取ることが「空気」になっている。もうKYという言葉は時代遅れかもしれないけれど、「空気」を読むこと、他人と同じように考えることはずっと前から日本人の習い性だろう。

経済も同じだ。景気が悪いと伝えるニュースでますます景気を冷え込ませている。たまには元気のある経営者も出てくるが、小さなヴェンチャー企業だったり、不景気を逆手に取った商売だったり、なんだか周りが暗いから星や街灯が目立つという感じの話みたいだ。

じゃあ、ホントのところ過去に戻りたいのか?江戸時代がいいと思うのか?そこまでいかなくても昭和30年代にでも戻りたいのか?江戸時代なら北朝鮮かミャンマーに行けばいいし、昭和30年代なら中国の田舎か東南アジアにでも行けば似たような経験はできるだろう。江戸時代のどこに言論の自由や人権があったんだ?昭和30年代は公害や交通事故がひどかったし、だのに集団就職とかで若者は都会に移住したんじゃないのか?そういう意味では江戸幕府の最大の課題は繰り返される飢饉とそれによる農村から都市へ流れ込む人たちをどう抑制するかだった。そうでなければ犯罪は増え、治安は保てないから。今の政府の入国管理政策と同じ発想だ。

こう考えていくとノスタルジーなんて勝手な妄想、視野狭窄のフェティシズムにすぎないことがわかるだろう。趣味の世界ならそれもいいだろう。ぼくもそういう方向は嫌いではないし、音楽やアートや文芸において、もう真に新しいものは出て来ないんじゃないかという思いは強い。しかし、人びとの生活に責任のある政治や経済に携わる人たちがそんなことに耽っていてどうするのだろう。

話は簡単なんじゃないか?老化した社会を変えるには若者を増やすしか途はない。とは言え、出生率の向上なんて無理だし、最低20年はかかる。そう、入国管理政策を変え、移民をじゃんじゃん認めればいいんだ。アメリカやヨーロッパのような「普通の国」になるというならそこからだろう。その時こそノスタルジーではなく、過去の経験が生かせるんじゃないか?



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