夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

国境が雲の峰

2012-09-02 | diary
国境のトンネルを抜ければ福島は間近なり。
福島駅前も旅を経し目には繁華に見ゆ。
仙台方面よりの列車到着せしに忽ち満員の様相なり。
今日は盆の中日にして休みが最終日なる人多きか。
ヴァーグナーがジークリンデの“Ewig War Ich”をばゲルメーネ・ルービンが歌えり。
1929年が録音にしてトーキー映画にて聴ける歌に甚だ似たり。
穏やかな歌い方なり。



福島にて24分の待ち合わせにて郡山に向かいたり。
彼の地にて一電車遅らせて1時間20分過ごす目論見にして謂わば最後の休憩地点なり。
車中の吊り広告に東京駅が修復10月に成れりと。

郡山駅前のマンガ喫茶にてけいおん!が2巻まで読了せり。
16:27発黒磯行きに乗りし。
いずくまで行かば旅らしきや。
普通列車を乗り継がばこそさありなん。
しかれば宇都宮は直行電車ありたれば未だし。
東北線は交直流の切り替わりありて黒磯にて必ず乗り換えあらば那須塩原、郡山辺りとせんか。
ベリオがバッハのコントラプンクトを編曲・改変したるぞ頗るおもしろし。



さてこそ夕食をば如何にせんとす。
どの途中駅も面倒な気もしたれば上野にて駅弁を買い求め、シャワーを浴び、猫とオーディオを相手に気兼ねなく晩酌するが良策と思い当たりぬ。
未だ白河の関も越さざるに気の早きは心既に帰らんや。
客年が被災地巡りの記憶新しきに福島以降の車窓に新鮮味乏しきによるか。
モーツァルトがグラスハーモニカのためのアダージョとロンドを久方ぶりに聴きぬ。
フルート、クラリネットにヴィオラ、チェロを合わせたるや、運動性と正確なる音程に欠けたる楽器が美点を引き出せり。



新白河を出て山中に入るや驟雨降りぬ。
峠より北に白河関が設けられたるは、北より攻め来たらん蝦夷をば迎え撃つに山を背にするとの道理によるものならん。
シュッツが「十字架上のイエス・キリストの7つの言葉」の『かくも神はこの世を愛す』の聞こゆ。
“alle”が3回、アレ、アレ、アーレと繰り返されぬ。



そはすべての人を救わんがために神がひとり子を与えしことを強調するものにして、彼の作品中最も印象深き旋律なり。
ドイツの人口が25%~40%を失わせしめたる30年戦争を経験せしシュッツにとりて「すべての人」には痛切なる思いあらん。

蒲須坂にて雲の峰の夕陽に輝くを見ゆ。



雨はやみたるも鼠色が厚き雲多し。
わずか3分の乗継ぎにて宇都宮よりの通勤快速に乗りぬ。
車内は満員なれど、わずかに一人分席の空きたればためらい急ぎ座れり。
旅行客らしき者は見えず。
休日に出掛けた帰りの様子なれど、小山などにても降りる者少なし。
ショスタコーヴィッチがピアノトリオを聴けり。
軍隊に身を置きし心地す。
種々感情を述べれど詮なく、押し潰されるや。



古河は茨城県にして速やかに埼玉県に入りぬ。
久喜、大宮、浦和、赤羽とカウントダウンが心持にて、漸く上野に着きたり。
8時を回りたれば弁当屋は品数少なく店仕舞い前なる趣きなりて幕の内を買い、長き地下道を歩きぬ。


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