最初このアニメを見たときは死後の世界を舞台にしたバトルものとしてしか理解できずに地下を根城に天使に対する反逆を企てていくストーリー(だと思って)にうんざりして、2話の途中で放り出してしまった。だいたい天使ってなんだよ、学園の外はどうなってるんだ、NPCってなんだよ、死んでも死なないなんて格ゲーかよ、などなど細かいところが雑に感じたこともあって。
ところがしばらく経ってから我慢しながら最初から見たところ、「Girls Dead Monster(ガルデモ)」なるガールズバンドのVoでGの岩沢まさみが成仏(と言っていいと思う)したシーンで一気に持っていかれてしまった。ちなみにぼくはYUKIを始めとして女の子をヴォーカルに据えたバンドが好きで、最近の一押しは「ねごと」だ。それで、このアニメのテーマがわかったから、後は一気呵成に見た。まどマギもそうだけど、3話と10話は大事なんだろう。理由はよく知らないが。
ガルデモの次のヴォーカルになったユイはドジでうざキャラっぽいけど、それが生前の身の上とうまく符合していて、その消え方は感動的だった。2つのギターが並んで壁に立て掛けられているシーンは心に残るもので、この後どうするのかかえって心配してしまうほどだった。
しかし、優れたアニメは昨今のほとんどのドラマや映画を軽々と超えていく。心臓移植のドナーとレシピエントの関係が立ち現われた時には若干の違和感とともに驚かされた。タイトルの意味はバンドと鼓動のハートビートということだろう。なぜ天使という存在が必要だったのか、なぜ学園しか描かれていないのか、そうした疑問はかえってこの作品のモメンタムになっている。
音無結弦、立華かなで、仲村ゆり、日向秀樹による卒業式で彼らが次々と消えていくシーンは絶妙で、画面の切り替えというよりカメラワークと呼んだ方が正確だとさえ思えた。学園生活も、人生もいつかは旅立たなければならない。そこで何を言うかよりも、不安に包まれ、涙しながら親しい者と言葉を交わすこと自体が重要なのだ。
他のキャラのエピソードが十分でないとか、すべてのモチーフがきちんと回収されていないのではないかとか、NPCと影について説明だけで片づけられているといった消化不良な気分は残る。でも、バンドの演奏がそうであるようにアニメにおいては完璧よりもパワーやノリの方がずっと大事な場合が多いんだよと言われればなんの異論もない。何よりこの作品は学園ものの本質を見事に取り出して見せているから。ぼくらは高校生活で成仏なんかしちゃいないんだ。
ところがしばらく経ってから我慢しながら最初から見たところ、「Girls Dead Monster(ガルデモ)」なるガールズバンドのVoでGの岩沢まさみが成仏(と言っていいと思う)したシーンで一気に持っていかれてしまった。ちなみにぼくはYUKIを始めとして女の子をヴォーカルに据えたバンドが好きで、最近の一押しは「ねごと」だ。それで、このアニメのテーマがわかったから、後は一気呵成に見た。まどマギもそうだけど、3話と10話は大事なんだろう。理由はよく知らないが。
ガルデモの次のヴォーカルになったユイはドジでうざキャラっぽいけど、それが生前の身の上とうまく符合していて、その消え方は感動的だった。2つのギターが並んで壁に立て掛けられているシーンは心に残るもので、この後どうするのかかえって心配してしまうほどだった。
しかし、優れたアニメは昨今のほとんどのドラマや映画を軽々と超えていく。心臓移植のドナーとレシピエントの関係が立ち現われた時には若干の違和感とともに驚かされた。タイトルの意味はバンドと鼓動のハートビートということだろう。なぜ天使という存在が必要だったのか、なぜ学園しか描かれていないのか、そうした疑問はかえってこの作品のモメンタムになっている。
音無結弦、立華かなで、仲村ゆり、日向秀樹による卒業式で彼らが次々と消えていくシーンは絶妙で、画面の切り替えというよりカメラワークと呼んだ方が正確だとさえ思えた。学園生活も、人生もいつかは旅立たなければならない。そこで何を言うかよりも、不安に包まれ、涙しながら親しい者と言葉を交わすこと自体が重要なのだ。
他のキャラのエピソードが十分でないとか、すべてのモチーフがきちんと回収されていないのではないかとか、NPCと影について説明だけで片づけられているといった消化不良な気分は残る。でも、バンドの演奏がそうであるようにアニメにおいては完璧よりもパワーやノリの方がずっと大事な場合が多いんだよと言われればなんの異論もない。何よりこの作品は学園ものの本質を見事に取り出して見せているから。ぼくらは高校生活で成仏なんかしちゃいないんだ。